ワシ、出会いに巻き込まれる
ご覧いただきありがとうございます。
――今日もいい天気じゃなあ。
雲一つない青空を見上げながら、エヴァルトはぼんやりと思った。
今は昼。天使からの命令もなく、穏やかな日差しに身を任せられるのは至福である。
――このまま昼寝でもしたいのう。
今日は何の用事もない、はずだった。家の手伝いを終わらせ、読書もそこそこに体を休める、つもりだった。
が、
「う、うぅ……」
家の外、テラスというには少しばかり狭い空間で、エヴァルトは小さなテーブルを挟みながら戦っていた。
小さなうめき声は、可憐な少女の唇からこぼれたもの。エヴァルトの対面で、チェスの盤面を見つめているツェツィーリエの苦悩である。
今日のツェツィーリエは、黒い髪をツーテールに桃色のリボンでまとめ、ドレスもまた同じ桃色。陽の下で見ると、まさに貴族のご令嬢といった雰囲気である。
ただし、表情が良くない。ドレスをぎゅっと掴み、適当な板で作ったチェスボードをにらんでいる。その上にあるのも、適当な小石で作ったコマ。
今のところ、エヴァルトが優勢である。というか、先ほどから五戦して、五戦ともエヴァルトの勝利で終わっていた。
「ま、待って……。い、今の……」
「またかのう」
「い、いいでしょ、少しくらい」
「分かった分かった」
というやり取りももう何十回しただろう。エヴァルトは一手前にコマを戻し、ツェツィーリエの熟考を待つ。
吸血族ながら、ツェツィーリエは昼間でも普通に活動している。本人曰く、太陽は苦手でも何でもないとのこと。
夜の方が好き、というくらいで、昼に全く動けないわけではないそうだ。吸血族は、単に他の種族と比べて夜行性、昼夜が逆転した生活を送っているだけだそうな。
先日は夜に、しかもエヴァルトが寝ようという寸前に尋ねてきた。なので、今度は昼にしろと言ったら、今日は夜明けとともにやって来た。
家の用事を片付けてからは、ずっとツェツィーリエとチェスをしている。最初こそ自信満々だった少女だが、五戦もすればさすがに腕前の違いを痛感しているらしい。元気が無くなっている。
――まあ、ワシもチェスはそれなりにやってきたからのう。
得意というわけではない。単に、ツェツィーリエよりは経験があるという程度。だが、チェスを覚えたばかりらしいツェツィーリエは、そんなエヴァルトの相手にもならなかった。
待っている時間ばかりが長くなる。一戦終わるごとに休憩しようと持ち掛けているのだが、
「まだよ、もう一回!」
そう言われて、ゲームが終わる様子がない。
――まあ、この待ち時間が休憩時間みたいなもんじゃが。
プライドの高い少女は、意地でも勝ちたいらしい。今回が終わっても、まだ勝負は続きそうだ。
母が用意してくれた茶を飲む。すっかり冷めていた。
「こ、ここをこうすれば……」
「ん? できたか? なら、こうじゃな」
「はうっ!?」
ツェツィーリエが固まる。エヴァルトの優勢は全く揺るがない。
「そろそろやめにせんか?」
「い、イヤっ。か、勝つまでやめない!」
「ワシ、飽きてきたんじゃが」
「勝つ! 勝つからちょっと待ってなさい!」
「ほいほい……」
――どうしたもんか、これは。
どんな説得もツェツィーリエは聞き入れてくれない。このままでは夕暮れまで付き合わされそうだ。
茶が無くなった。また新しく淹れにいこうとしたところで、甘ったるい声が聞こえてきた。
「やっほ~、エヴァルト~」
「ん?」
はちみつに漬け込んだような甘くのんびりした声。ふわふわとやってくる虹色の小さな人影は、シャルロッテだった。
「……誰?」
「ん? 母の知り合いの娘じゃな。シャルロッテ、挨拶せい」
長い金髪を陽光にきらめかせながら、シャルロッテはエヴァルトの肩に乗った。
「こんにちは~、はじめまして~。シャルロッテで~す」
「……はじめまして、ツェツィーリエ=ゲンツマーですわ」
「ん~? 吸血族さん~」
「そう、だけど。……変な間があるわね」
――それには同意じゃな。
シャルロッテはマイペースな話し方をするので、会話をするのに時間がかかる。
「なにしてるの~?」
「チェスじゃ。コマ遊びじゃな」
「へぇ~」
聞いておきながら、シャルロッテはチェスに興味がなさそうだった。エヴァルトの肩で、脚をぷらぷらと振っている。
そこで、エヴァルトは剣呑な視線を感じた。目の前で、ツェツィーリエが何やら怖い顔をしている。
「ねえ」
「なんじゃ。早うコマを動かさんかい」
「距離、近くない?」
「さっきと一手も変わらんじゃろうが。何を言っておる」
「違うわよ! アンタたちの距離のこと!」
「ん? ワシら」
言われて、エヴァルトは肩のシャルロッテを見る。
ああ、と頷き、
「まあ、肩におるからな。それは近くなるじゃろ」
「……なんで肩に乗られて平然としてるのよ。妖精族よ? 女の子よ?」
「気にするようなもんでもなかろう。ただ肩に乗られておるだけじゃ」
「それだけ……?」
「それ以外に意味などないわい」
ふぅん、と言いながらも、納得していない顔のツェツィーリエ。エヴァルトとシャルロッテを交互に見て、眉をひそめている。
「そういえばエヴァルト~。なにかいいことあった~?」
「良い事? 特にはなにも……。あ」
――あーあー、そういえば……。
この前、別れ際にされたことを思いだした。母は気にするなと言っていたが、意味を調べてエヴァルトはのけぞり返ったのを覚えている。
「なにもなかったの~? わたしじゃだめなのかな~?」
「……あー、いや、なんかあった気がするわい。良い事、うん、何かあったはずじゃ」
「ほんと~?」
「ああ、うん、たぶん何かあったぞ。あったあった」
あはは、と笑ってごまかす。去り際にされた、妖精族の祝福のキス。まさか深い意味はないと思うのだが。
「わたしのキスじゃ、だめなのかな~? いっかいじゃ、たりなかった~?」
「……キス? なに、キスって?」
「あのね~、このまえ、エヴァルトにいいことがありますように~、ってキスしたの~」
「……妖精族が?」
「うん、わたしが~」
ほわほわの笑みでシャルロッテが言うと、突如テーブルが激しく叩かれ、チェスボードとコマが飛び散った。
「え、え、え、エヴァルト、どういうこと!?」
「あ、こりゃ。負けそうだからといって、こういうのは良くないと思うのじゃが」
「それよりも、アンタたちの方が良くないわよ!」
テーブルが少女の腕一振りで飛んでった。空高く、長く滞空したかと思うと、すぐ近くに落ちた。
「修理できるかのう……」
「テーブルよりも自分の心配をすることね……」
「なんか、目が座っとるが」
「アンタ、妖精族のキスの意味、知ってるの……?」
目をそらず。
「ゆ、友情という意味じゃろ? は、母がそう言っておった」
「友情? 本当に、友情なわけ?」
「そのはずじゃが。母は、そう、言っておった」
事実を端的に話す。だが、視線が痛い。ザクザクと刺さっている。しかも、殺気まで放たれているような気がする。
そこに追い打ちをかけてきたのは、当事者のシャルロッテで、
「え~? すきなひとにするんでしょ~? キスって~」
エヴァルトの頬に体を寄せてきた。細い腕で、抱きつくように。
「わたしは~、エヴァルトのことすきだな~」
「んなあっ!?」
――空気読まん子じゃのー。
驚き、一歩引いているツェツィーリエ。しかしその顔はすぐさま変わり、髪が揺らめき、瞳の赤が光りだす。
「アンタ、私の婚約者のはずよね……?」
「えっ、それ否定しておらんかったか!?」
「うっ、うるさいっ!」
一週間前、ゲンツマー家に訪れた際の話し合いでは、婚約については先延ばし、エヴァルトにとっては無かった話にしたかったのだが。
ツェツィーリエも、否定していた。そのはずだというのに、なぜいまその話を持ち出してくるのか。
「わ、私だって、キスくらいできるんだからね! そ、その……婚約者だし!?」
「いやー、吸血族のキスってあれじゃろ? 屍人族にされてしまうんじゃろ?」
「それは下級も下級の話っ! 私くらいになれば、その、け、眷属にできるわよ!」
「でも、血を吸われるのは困るのう」
「ちょっとチクッとするだけよ!」
――なんじゃー!? なんじゃこの展開!?
白かった頬を真っ赤にしたツェツィーリエが詰め寄ってくる。
――まさか、本当にやるつもりじゃなかろうの!?
間合いに入る前に、エヴァルトは飛びのいた。さすがに眷属にされるのは勘弁して欲しい。
「な、なんで逃げるのよ!」
「噛みに来たんじゃろうが!」
「だから、痛くしないってば!」
「そもそも噛もうとするのをやめい!」
「だ、だって、だってだってー! 悔しいじゃない!」
「なんでじゃ!」
「察しろバカァ!」
じりじりと距離を詰めようとするツェツィーリエ、ずりずりと逃げるエヴァルト。気楽なのは、火に油を注いだ本人のみ。
「ね~ね~、エヴァルト~」
「なんじゃ? いま忙しいから、後にしてくれんかのう」
「ツェツィーちゃんも、エヴァルトのことすきなんだとおもうな~」
「……は?」
だって、とシャルロッテは続け、
「こんやくしゃ~、なんでしょ~?」
「いや、それは父が勝手に……。というか、ツェツィーリエも否定しとったし!」
「でも~、ツェツィーちゃんもエヴァルトにキスしたいんでしょ~?」
「……ただの対抗心じゃろ、あれは」
「そうかな~?」
にじり寄ってくる大鬼族、もとい吸血族はこちらの隙を見逃すまいと必死だ。なので、エヴァルトも逃げるために集中力を使っている。
どうやって逃げるか考えていると、シャルロッテは相変わらず頼りなく羽ばたいた。そのまま今度は、ツェツィーリエの方へ行く。
「あ、コラ!」
エヴァルトの静止を聞かず、シャルロッテはツェツィーリエの肩に乗り、
「ねえねえ、ツェツィーちゃん」
「なによ!?」
殺気にひるむことも無く、シャルロッテがツェツィーリエの耳元で何やらささやいた。
――なんじゃ? 聞こえん。
さすがの竜人族の聴力でも捉えられない。何を呟いたのかと思った矢先、
「っ!?」
ツェツィーリエの顔がさらに赤くなる。頭から湯気でも上がりそうだ。それと共に、殺気も何もかも消え去った。
「ツェツィーちゃんもそうしようよ~」
「や、やだっ、は、恥ずかしいし……」
「かんたんなのに~? じゃあ、わたしがかわりに~」
「そっ、それはやめてよ! い、言うなら、ちゃんと私から言うから……」
「じゃあ、すぐに~」
「いっ、今はダメ、ダメだってば!」
なにやら少女二人で会話を繰り広げている。
――今度は何かのう……。
いきなりに蚊帳の外に置かれ、エヴァルトからも緊張が抜けていった。
「エヴァルト~、もうだいじょうぶだよ~」
「……本当か?」
「うん~。ね~、ツェツィーちゃん~」
顔を赤くしたまま、ツェツィーリエがうなずいた。ならば、と体から力を抜く。
――危機は去ったんじゃろうか?
大人しくなった吸血族少女と、嬉しそうな妖精族少女。過程は分からないが、状況は落ち着いてくれたようだ。
その後は、シャルロッテがしゃべるばかりで、ツェツィーリエはずっと無口だった。ただ、帰り際にまた、
「……また、来るから」
「ん? あ、ああ、チェスくらいいつでもいいぞい」
「チェスもだけど、えっと……」
「どうした?」
「……お父様とちゃんと話してから言う」
「……は?」
謎の言葉を残し、ツェツィーリエは帰っていった。
「はやくツェツィーちゃんからおしえてもらえるといいね~」
「……何をじゃ?」
「ふふっ、じゃあ~、またね~」
シャルロッテも含みを持たせた言葉を置いて、帰っていった。
――……なんじゃ? ワシは何に巻き込まれておるんじゃ!?
少女二人の言葉の意味が分からず、エヴァルトはしばらく扉の前で立ち尽くすのだった。
興味を持たれましたら、下のボタンをぽちっと頂ければ幸いです。




