ワシ、死にそう
流行に乗ってみようと思いまして。
こちらは完全に不定期更新なので、ゆっくりお待ちください。
――ワシは、長く生き過ぎた……。
とある村のはずれ。とある小屋。とあるベッドの上で、老人はしみじみと思った。
百十歳を超え、衰えた体。枯れ木のようにやせ細った手足。顔は年輪のようにしわが刻まれ、体中が痛む。
ぼやけた視界は、天井すらまともにうつさない。目をこすろうにも、手どころか指すら動かない。呼気だけは荒く、老人の胸を軋ませていた。
――ついに、ワシにもその時が来たか。
死を直感する。
今の老人にできるのは、駆け抜けてきた生涯を思いだすことのみ。
貧しい村に生まれ、年若く冒険者となり、がむしゃらに過ごしてきた日々。
多くの魔物を倒してきた。多くの人を救っても来た。国の滅亡を防ぎ、悪魔の軍勢を相手にしても一歩も引かず戦った。
老人には、運の良いことに魔法の才能があった。必死に勉強して、実験して、完成させてきた魔法は数知れず。
いつしか賢者とも、魔法王とも呼ばれるようになった。世界中の魔法使いが老人を崇め、弟子入りを申し込んできた。
老人は、それら全てを断った。王国より王直属の宮廷魔法使いにならないかと誘われたこともある。しかし、老人には地位も名誉も、金すらも必要なかった。
ただ一つ、老人が願ったのは、人々の笑顔のみ。全世界の人々を救うなど無理だとは知っていた、どれだけ魔法の才能があろうと不可能だと理解していた。それでも老人は、一人でも多くの人を笑顔にできるよう必死に生きてきた。
戦って、戦って、戦い抜いて。そうして生きられたことに、得られたものに、老人は悔いがなかった。
だからこそ、思う。自分にもまた、来るべき時が来たのだと。
数多くの生と死を見てきた。赤子を取り上げたこともある。人を殺めたこともある。直接的にも間接的にも、老人は命の大切さと儚さを知り尽くしていた。
――看取る者がおらぬのは、少しばかり残念だがの。
老人には、孫どころか子供もいない。そもそも、妻もなく、冒険者となって以来、唯一の友は孤独だけだった。
もちろん、請われて力を貸したことはある。しかしそれは一時的なもので、老人は決して一つのところにとどまらなかった。
自分の力を知っていたからだ。慢心ではなく、事実として、強大な力を持っていると悟っていた。
ゆえに孤独を選んだことを、老人は後悔していない。看取る者が、というのは、最後の最後に思いついた冗談のようなものだ。
――ははは、もうすぐ死ぬだろうに、我ながら阿呆なことを考えたもんじゃ。
きっと、ここで老人が死んでも、誰も気づかないだろう。そんな場所を、死に場所に選んだ。近くに村があるといっても、交流はほとんどない。
死んで、朽ち果てた後にでも気づかれれば良い方だ。できれば、誰にも気づかれぬまま、煙のように姿を消したかったものだが。
――さて、もういいじゃろう。もう、ワシも疲れたしの。
ゆっくりと目を閉じる。次第に体から力が抜け、苦しみが薄れていく。
今までに感じたことのない安らぎを得て、老人が最期の空気を肺から絞り出した時だった。
「あのっ、ちょっと待ってもらえませんかっ?」
耳に、聞きなれない少女の声が届いた。
最期の瞬間にかけられるには、少しばかり奇妙だった。
声は慌てていたが、悲しさはなく。急いでいるようで、戸惑ってもいた。
――なんじゃあ、今のは?
待って、と引き留められても、老人の体は素直に死へと向かっていく。
最期に呟くこともできずに、意識が溶けていく、はずだった。
「あのあのっ、まだ死なれると困るんです! お願いですから、起きてくださいっ!」
――そうは言われてものぅ。……?
もう声など聞こえるはずがないというのに、思考すらまともにできぬはずだったのに、何故か老人の意識ははっきりとしていた。
目は開かない。体のどこにも力は入らない。しかし、声が続けて聞こえてくる。
「貴方が最後の希望なんですっ! 貴方がいなくなったら、人族は滅んでしまうんですよぅ!」
――ずいぶんと大層な話じゃのう。
「でしょっ? だから、まだ死なないでくださいー!」
――そんなことを言われても、ワシにはもう、何もできんよ。
「そんなことはありませんっ。わたしが貴方の命をつなぎ止めました!」
――命を、なんじゃと?
「神様が、特例を出してくれたんですっ。人族が滅んだら、神様と天使たちも困るんですっ。だから、貴方を特別に、もっと生かしてくれることになったんですっ」
真っ暗闇の中で、少女の声が途切れることなく飛んでくる。
「もちろん、お礼もさせていただきますっ。不老不死とか、永遠の命とか、人族が望みそうなもの、全部取り揃えました!」
――商人の訪問販売のようじゃのう。
「そんなんじゃありませんっ! とーにーかーくー、生きてください、助けてくださいっ。何でもしますからーっ!」
――無理を言うもんじゃない。ワシにはもう何もできん。命も何も、全て使い果たした。今さら生き返ったところで、何ができようか。
「世界を救えますっ」
――残念じゃが、もうワシは疲れた。望みがあるといえば、そうじゃのう……。
「何ですか!? 何でも言ってください! 神様は、貴方の望むもの何でも与えるようにと仰いました!」
――なら、ワシが望むのは一つだけじゃ。
「はいっ、どんと来てください!」
老人は、もうどこにもないであろう口から、長く息を吐いた。疲れを、そして人生の全てを吐き出すつもりで、暗闇の中の誰かに向けて、言う。
――ワシをこのまま、死なせてくれ。寿命での。
「ええっ!? そ、それは……」
焦る声の主に、ゆっくりと告げる。
――世界を憂うおぬしたちには悪いが、ワシは、もう充分に生きた。神様とやらに慈悲があるならば、もうワシを休ませてくれ。
「で、ですが、それは……」
――できぬか? ワシに何でも与えてくれるのであろう?
「い、言いましたけど。確かにそう言いましたけどー!」
――ならば、もういいじゃろう? 後の世界は、後の者たちに託す。ジジイがこれ以上生き続けたとして、どうなるものか。
心の底から、そう思う。世界が危ういと言われても、老人は、もう自分の役目は終わったのだと確信している。
世界が滅ぶと言われれば、確かに気にならないでもない。が、
――ほれ、もうおしまいじゃ。これ以上、このジジイを苦しませんでくれ。
「で、でもぉ……」
老人は、もう何も語らない。引き留める声は止まなかったが、もう一切何も言うつもりがない。
どれだけの言葉を積まれたのか。そもそも、どれだけの時間が過ぎたのかも分からなくなって、やっと少女の声は諦めてくれた。
「ひぅ……。分かりました。天使が約束を守らないわけにはいきません……」
涙声で言われると気の毒にも感じるが、老人の意志は固い。静かに、終わりの時を待つ。
「お疲れ様でしたぁ。おやすみなさいぃ……」
やっと送られた言葉にうなずいて、老人の心は、虚空に溶けていった。
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