優しさでできた嘘
用意していたワインは、そろそろ二本目が空になる。
セイラ様はもともと酒に強い体質ではない。はじめのうちはグラス一杯で眠っていた。
それが今では、泣くまでに二杯、眠るまでには二本ともう少し必要になった。
用意しておいたチーズは、ほとんどが手つかずだ。
残念に思うよりも、自分の無力さが情けない。
本気になる前に伝えれば――
誰もがそう思っていた。
だが、“本気になる前”などという時間は存在しなかった。
泣きながらセイラ様は何度も口にする。
何年も前に舞踏会で会ってから、ずっと好きだったのだ、と。
ニーベラルド様から結婚を申し込まれて天にも昇る思いだった、と。
夢なら覚めないで欲しいと思った、と――
そこで終わっていれば、幸せな物語だったのに。
残り少なくなったグラスにワインを注ぐ。
そろそろだろうという予想通り、セイラ様はグラスを持ったままテーブルに突っ伏して動かなくなった。
グラスを手からそっと離し、頬の涙を拭う。
抱き上げてベッドへと運んでも、セイラ様は目を覚まさない。
拭ったはずの涙が、いつの間にかまたこぼれている。
時折、辛そうな顔で夫の名を呼ぶ。
ニーベルさま――と。
家族になるのだから愛称で呼んでくれ。
ニーベラルド様にそう言われたとき、セイラ様の顔には幸せが溢れていた。
それからほどなくして、セイラ様とニーベラルド様は家族になり、そして――真実を知らされた。
もう、セイラ様はあの顔で笑わない。
戸籍上は家族でも、愛称で呼ぶことを許されていても、決して愛されることはない。
夫婦を装うため寝室は一緒で、だからこそ、夫が恋人を呼ぶときには追い出される。
「ソーマがいてくれて助かったよ」
なにも知らないニーベラルド様は私にそう言う。
妻は妻で恋人とよろしくやっているとでも思っているのだろう。
セイラ様が必死にそう装っているなんて考えもせず。
私を恋人役に頼んだのは、ただ虹を見ようとしたときに私に出くわしたからだ。
セイラ様がスカート姿で窓から飛び出すような人物だと私が知っていたからだ。
あの件で多少親しみは持っていただけたのかもしれないが、それだけだ。恋愛感情は存在しない。
セイラ様はいまでもニーベラルド様を一途に想い続けていて、だからこそ、私の部屋にやってくる。
恋人を寝室に招き入れるニーベラルド様に、罪悪感を抱かせないために。
ニーベルさま……。
かすかな声がセイラ様の口からこぼれ落ちる。
同時に、閉じた瞳からは涙がこぼれ落ちる。
せめていい夢が見られますように。
毎日そう願っているのに、それだけの願いすら叶わない。
どうしたら、セイラ様は笑ってくれるのだろう。もう一度、あの笑顔で。
あの虹を見たときのような、ニーベラルド様に「家族になるのだから」と言われたときのような、幸せの溢れた笑顔はどうしたら見られるのだろう。
少しでも気が紛れれば、と用意したチーズも、気を遣わせただけだった。
いっそのこと、抱いてしまおうか――
そう考えたこともある。
そもそもが恋人役だ。夜、男の部屋に行くことの意味を彼女は充分に理解している。
怒りはしないだろう。拒否もしないだろう。
きっと彼女は、ただ淡々と“好きでもない男に抱かれた”という事実を受け入れる。
……そんなこと、大切に想っている人にさせられるわけがない。
あのとき偽装結婚に反対していれば。
せめて他の人物を提案していれば。
思ったところであとの祭りだ。セイラ様が傷ついた事実は変わらない。
そして、私が傷つけた側の人間だという事実もまた変わらないのだ。




