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セイラ様がついた嘘

 沈黙の満ちた部屋に、セイラ様の嗚咽が聞こえ始める。

 この瞬間、私はいつも、ほっとすると同時に苦しくなる。

「……うっく……ひっ……うぅ…………ニーベルさまぁ……」

 立て続けに二杯のワインを流し込んだのに、泣き叫んだりはしない。(こら)えるように泣くその姿が痛々しい。

 それでもまだ、泣いてくれるだけいい。泣けもしなかったら、これだけの感情が蓄積されてしまう。

 本当なら“恋人”であるはずの私が慰められればよいのだが――


 空になったグラスにワインを注ぐ。

 私にできるのはそれだけだ。

 会話もなく触れることもなく、セイラ様が眠るまで、ただワインを注ぎ続ける。

 せめていい夢が見られますように、と祈りながら。



  ◇―◇―◆―◇―◇



 セイラ様に初めて会ったのは、結婚相手の候補としてこの屋敷に招待した日。

 正直、後ろめたくてまともに顔を見られなかった。

 偽装結婚などと御両親に知られるわけにはいかなかったため、そのときはまだ本人にも伝えていなかったからだ。

 私がセイラ様の顔をまともに見たのは、滞在三日目。

 前日から降り続いていた雨がやんだので、庭を掃除しようと外に出たときのことだ。

 突然、屋敷の窓が開いて、スカート姿の御婦人が飛び出してきた。

 そして、着地してすぐに私に気づき「あ、」という顔をした。


「あ、あ、あ……あの……、ニーベラルド様には、内緒にしていただけませんか……?」


 赤くなった頬を両手で隠しながら私に頼んできたその人が、セイラ様だった。



「それはかまいませんが……どうされたのですか?」

 スカート姿の御婦人が、一階とはいえ窓から飛び出してくるなど尋常ではない。

 なにか非常事態でも起きたのかと思ったが、セイラ様は恥ずかしがっているだけで、怖がったりしているようには見えなかった。

「あの……虹が……」

 控えめに指された方向を見ると、それはそれは見事な虹が空に大きな弧を描いていた。

「とても綺麗でしたので外で見たくて……でも、玄関まで移動しているうちに消えてしまうかもしれなかったので……」

 思わず窓から飛び出した、と。

 確かに、移動しているうちに消えてしまったら後悔しそうなくらい見事だった。

「……教えてくださって、ありがとうございます」

 空を見上げたまま言うと、横で顔を上げる気配がした。

「こんな見事な虹ははじめてです。もったいないことをするところでした」

 一瞬の間の後、セイラ様が嬉しそうに顔を綻ばせた。

 その瞬間、私の脳裏から虹が消えた。

 代わりに花が咲いたような笑顔が焼き付いた。

 消えるまで二人で虹を見ていたが、その間、私の意識はずっとセイラ様に向いていた。


「わたしとニーベラルド様との婚約を祝福してくださっているのかしら」


 隣から聞こえてきた言葉には幸せが溢れていて、色々な意味で痛かった。



  ◇―◇―◆―◇―◇



 本気になる前に伝えれば――

 私を含めて誰もがそう思っていた。

 表向きの理由ですら政略結婚だ。

 セイラ様の御実家、ダルクスス家の名声を得る代わりに、ダルクスス家に金銭的な援助をする。それが表向きの理由。

 珍しい話ではない。恋だの愛だのと言っていられるような立場にない貴族などいくらでもいる。

 セイラ様もその一人で、つまりは実家のために嫁いできた。

 誰もが、そう思っていた。

 そして――セイラ様もまた、そう装うことを選んだ。


 騙してすまない、と夫となった人に頭を下げられたとき、セイラ様は優雅に微笑んだ。

「……では、わたくしに恋人がいても咎めませんね?」

 ニーベラルド様は本来は心優しい方だ。恋仲の召使いと縁を切ることはできなかったが、結婚が偽りのものであることに罪悪感は抱いていたのだろう。セイラ様の言葉を受けて、ほっとしたように顔を上げた。

「もちろんだ。そういった方がみえるのか?」

「今はまだ恋人ではありませんが……」

 そう言って、セイラ様は執事としてニーベラルド様についてきた私の前に立った。


「以前からお慕い申し上げておりました。わたくしの恋人になってくださいませんか?」


 私への恋慕など一切感じられない瞳に隠された涙を、セイラ様は必死にこぼさないようにしていた。

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