私たちがついた嘘
「わたくしの恋人になってくださいませんか?」
密かに想いを寄せていた相手にそう言われて、断れる人間がどれだけいるだろう。
たとえそれが、偽りのものと知っていても――
◇―◇―◆―◇―◇
控えめに、けれど縋るように扉を叩く音がする。
声はない。それでも、誰が来たのかはわかっている。
――またか。
ため息を抑えつつ扉を開けると、私の“彼女”のいつもの気丈な笑顔が見えた。
「ソーマ、今夜は泊まっていくわ」
言うなり、すっと部屋の中に入り込む。
「ワインはあるかしら」
「ニルゲーナ地方の赤ワインがございます」
扉を閉めて答えると、あらそれは嬉しいわというお決まりの言葉が返ってきた。
感情などこもっていない。機械的に返しただけの、渇いた言葉。
胸の内で荒れ狂っているであろう感情を押し殺すための言葉。
背を向け、顔を隠し、声だけは必死に明るさを保とうとする。それでも、震える肩は隠し切れていない。
当たり前だ。
彼女は、愛する夫が恋人と過ごすために、寝室を明け渡してきたのだから。
「今夜はマゼラー地方のチーズもごさいますよ」
ワインとともにチーズを置くと、彼女はようやく少しだけ顔を上げた。
「まあ。手に入れるの、大変だったのではなくて?」
「いえ、たまたま見つけただけですよ」
「嬉しいわ。ありがとう」
貼り付けたような笑顔に失敗を悟る。
本当は、夜が明ける前に屋敷を出て買いに行った。そうでもしなければ手に入らない代物だからだ。
少しでも彼女が喜べば――と思ったのだが、私の嘘などすぐにわかったのだろう。彼女は笑顔で礼を言ってくれた。そんな余裕などないはずの心で。
逆に気を遣わせてしまったことを情けなく思いながら、彼女の笑顔から逃げるようにワインを注ぐ。
「ありがとう」
その微笑みも、やはり貼り付けたようだった。
◇―◇―◆―◇―◇
私の名はソーマレッド・バレン。代々カシューナ家に仕える執事で、私は七代目当主となる予定のニーベラルド様に仕えている。
事の発端は、ニーベラルド様が屋敷の召使いと恋仲になったこと。
無論、結婚など許されるわけがない。世の中には身分というものが存在するのだ。ニーベラルド様には相応の方と結ばれてもらわなくては。
しかしそんな子供でも知っている常識を、ニーベラルド様は拒否した。
彼女と結ばれないのなら家を出ると言って。
他に後継者候補がいればまだいい。しかし、カシューナ家の現当主であるニーベラルド様の父君は、奥方を早くに亡くし、後妻も娶らなかった。
奥方が亡くなったのは、ニーベラルド様が生まれて間もなく。
つまり、後継者は他にいない。
かといって、召使いを当主夫人にするわけにもいかない。
苦肉の策として現当主が提案したのは、偽装結婚。
夫人の席には、相応の身分のものについてもらう。
しかし夫婦としての生活は、恋仲の召使いと行ってよい。
相手を馬鹿にした案だということはわかっていたのだろう。
偽装結婚の相手には、身分は高いが金銭的に余裕のない家の娘が選ばれた。
それが、いま私の部屋に来ているセイラ・ダルクスス様だ。




