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九話『勇者、俺』~王様からの頼み~

 ちょっと心臓がはみ出ているんじゃないかと思うくらい、さすがの俺も緊張した。今俺は、この国の王様の前に膝をついている。こんなこと、有り得ることではない。


 ただの商人の息子である俺なんかがこうして王様の近くにいることすら奇跡なのに、その上、王様が俺のことを見定めるような目でじっと見つめている。夥しい量の冷や汗。大丈夫か俺? こんなに身体から水分を出して。干物になっちまうんじゃないだろうか。


 王様は「うむ」と一言発すると、傍にいる大臣に目配せをして、何やら頷く。大臣は軽く頭を下げると、俺に身体を向ける。広場で見上げた時は、うわ大臣だすげえ、と思ったけど、こうして王様と並ぶとやはり小物感は否めない。今はただのいい服を着た華奢なおっさんにしか見えない。


「単刀直入に申すが、お前には勇者になって貰いたい」


 俺は「はいっ」ととりあえず大きな返事をする。子供のうちは元気よく返事をしておけば大体なんとかなるって、誰かがそう言ってた。


 ん。ちょっと待て。


 何か今、ふわっと虫の気配がした時のような、そんな違和感が通り過ぎた気がする。俺が視線を大臣に合わせると、大臣も俺を間抜けな顔で見返してくる。


 今、勇者って言わなかったか。


 勇者、勇者、勇者の盾。


「俺が、勇者の盾になるのですか?」

「何をわけのわからんことを言っておる。勇者になって貰いたいと申したのだ」


 俺は「はあ」と首が勝手に傾く。そっちが何をわけのわからんことを言っておるのだ、と言いたいところだが当然ぐっと我慢。俺は騎士になりたいわけであって、勇者なんてそんな子供の絵空事の象徴みたいなものに興味はない。


「カモノモリマロと言ったな」


 王様に名前を呼ばれ、俺の背骨は飛び起きる。王様が俺の名前を言うと、ほんのちょっとだけ恰好良く聞こえるから不思議だ。俺は「はい」と目に力を入れる。王様は笑みを浮かべると、肘かけに体重をかけた。


「そう固くなるな。突然、勇者になってくれなんて言われれば、戸惑うのはこちらもわかっておる。今から、順を追って説明するではないか。肩の力を抜いて聞いておれ」


 また王様と大臣は目を見合わせる。大臣は顎を二重にして頷く。


「魔物、は知っておるな?」

「はい」

「百年ほど前にこの世界に突如として姿を現し、人類を恐怖に陥れた存在だ。その魔物に関して最近、何か噂を聞かなかったか?」

「噂、ですか?」

「そうだ。そろそろグシウムの街にも、風に乗って駆け巡る頃だと思っておったが、どうやらまだのようだな。では、心して聞くのだ。……実は、魔物の発生の原因に、魔王の存在が囁かれておるのだ」


 魔王。魔物の王。ちょっと恰好良いと思ってしまったものの、すぐに打ち消す。あの気持ち悪い魔物の王様なのだから、最上級に気持ち悪いに決まっている。


 でも、そんな噂は本当に聞いたことがなかった。俺の母ちゃんは町一番の噂好きだから、聞いていたら必然的に俺の耳にも入っているはずだ。おそらくこの情報はこれからグシウムを駆け巡るのだろう。何だか先駆けした気分になって、俺は優越感に抱かれた。この感じ、悪くない。


 だけど、俺は真剣な表情で訊き返す。


「魔物の王、ですか?」

「ああ。噂では大型の魔物の数倍もの大きさと強さを兼ね備えており、頭脳も我ら人間を遥かに凌ぐと言われている」


 大型の魔物ですら空想上の存在だと言われているのにさらにそれを凌ぐって、それはもういないんじゃないっすか大臣、と思ってしまったけど、王様がそんな嘘をつくわけがないので、きっと本当なんだろう。


 それに、俺はほんの少しグシウムを出ただけで知ったのだ。世界の広さを。あれでもまだ、世界のほんの一部分に過ぎない。ということは、あの向こうのずっとずっとそのまた向こうになら、魔王がいても不思議ではないと、今ならそう思えてしまう。


「それがただの噂なら放っておくことも出来よう。しかしつい先日、確かな筋からある情報を入手してな。ここ数年、遥か東の大陸で魔物の動きが随分と活発化しており、それがどうも、魔王による影響の可能性が高いらしいのだ。ここまで言えば、もうわかるな?」

「わからないです」


 大臣は苦い顔をする。さすがの俺も「わかります」とは言えなかった。いや、薄々わかってはいるけど、それはあまりにも突拍子がなさ過ぎる。俺がなりたいのは騎士だから。


 あれ、そうだったか。


 そういえば、俺はいつから騎士になりたかったんだ。ずっと憧れてはいたけど、それは少年なら誰でも持つ憧れであって、心の底からなりたいなんて思ったことは、多分に一度もない。俺が騎士になりたいと思ったのは、今朝だ。あの金髪騎士みたいになりたいと思ってからだ。


 なら、そもそも俺は騎士になりたいのではなく、あの金髪騎士のように恰好良くなりたかったのだ。よくよく考えれば、俺は騎士になれれば嬉しいけど、そこまでなりたいとは思ってはいなかった。


 俺が欲しているもの、それは刺激だ。刺激のある毎日。同じことを繰り返す毎日ではなく、鐘が鳴ったら家に帰らないといけない毎日でもなく、ただひたすら、己の本能の赴くまま、やりたいことをやる、そんな人生。


 ルールも規則も何もない、自由な人生。


 王様、自由を俺にくれ。


「……その魔王を倒すために、旅に出ろってことですよね?」

「言うなればそうだ」

「これまで、俺はグシウムから一歩も外に出たことがありません。ここから出ると、どこに行けばいいのかもわかりません」

「それならば心配不要だ。お前には地図と資金を渡す。武器、防具もこの城の騎士が使っているものを自由に持っていくがよい。それと、陛下直筆の手紙も持たせよう。国内であるなら、それ一つで大方の不都合は解消されるはずだ」


 バクバクバクと、全身が脈打っている。何だこの感覚。この高揚感。期待感。緊張感。血がざわめく感じ。液体として俺の中を流れる血液が、数多の油を纏った粒となって弾けている、この感じ。


「でも、どうして俺なんかを? そんな重要なことなら、王室の騎士を派遣した方がいいと思うのですが」

「その理由は二つある。一つは、連合国との条約で他の国に騎士を送ってはならんことになっておる。二つに、お主には秘めたる力があると陛下がお考えであられるからだ」

「俺に、秘めたる力ですか?」


 なんて素晴らしい響き。秘めたる力。俺は思わず自分の掌を見つめる。しかし、特に何の変化もない。手汗ぐっしょり。王様は「うむ」と身体を起こす。


「前々から、お主の噂は聞いておった。なんでも、学校でもなかなかに目立っておると言うではないか」

「いい方で目立ってはいないと思いますが」


 王様はホホと笑う。


「それもまた、お主の個性よ。誰もが平和に浸かり、『周囲から見たいい人間』であろうとするこのご時世で、お主のような反骨心が必要なのも、また事実。そして魔王の討伐には、ある素質が必要になる」

「素質、ですか?」

「左様。それは勇者の素質だ」


 勇者の素質。その素晴らしい響きが俺の胸をノックする。俺の胸の中にある扉が半分開き、頬を染めた俺が顔を覗かせる。俺は気付かれないようにそっと唾を飲み込むと、「勇者の素質」と口の中で呟く。


「魔王は通常の攻撃では倒せん。ある剣でのみ魔物を退治することが出来ると言われておる。その剣こそ、この国のどこかに眠るとされる勇者の剣。そしてそれは選ばれし者だけが台座から引き抜くことが出来るのだ」

「じゃあ、まさかこの勇者の盾も……」


 特別な人間にしか持てないのでは。


「それはわしらで作った」


 王様は即答して、俺は「そうっすか」と頷いた。王様は空咳を挟んで続ける。


「そして我々は、お主にその才があるのではないかと睨んでおった。それで今回、このような試験を開いて試したのだが、結果、お主は見事あの猛者達との競合を勝ち抜いてここにやってきた。これが天命と言わずして、なんと言うのだ」


 王様はぱっと腕を広げる。マントが肘かけに引っかかって上手く広がらなかったけど、俺はそんなことは気にしません。王様、恰好良いです。


「お主のその才、この国、いや、世界のために使ってはくれんか?」


 王様が、俺に頼みごとをした。なんということだ。それだけでも凄いことなのに、その上、俺には勇者の素質があるだと? こんなことがあっていいのか。俺は太ももをつねる。痛い。これは現実なのか。ここはどこだ。


 宮殿? 俺はなぜ、こんなところにいるのだ。いかん。頭が混乱してきた。これはもう、俺がおかしくなって余計なことを言う前に、返事をしてしまおう。


「……わかりました。しかし、失礼は承知の上で一つお願いがあります」


 大臣の左右の眉の高さが変わる。王様は目を僅かに細め、「言ってみよ」と顎を上げる。俺は乾いた口を何とか開き、勇気を絞り出す。


「俺の両親と港の鍵職人の安寧を約束して貰えないでしょうか。俺の大事な人達なんです」

「わかった。しっかりと我々が面倒を見よう」

「寛大なる御心、誠にありがとうございます」


 大臣と王様はまた互いに目を合わせて頷き合う。この二人は出来ているのか? と疑ってしまうほど、互いの目を見る時の瞳がやけに輝いているのは気のせいだろうか。気のせいであって欲しい。


「では、明日の朝、もう一度ここに参れ。先程言ったものを用意しておく」


 大臣はそう言うと、俺に目で合図をした。もう用は済んだから帰れということだろう。俺もさっさとこの息苦しい場からお暇したいので、小さく頭を下げてそそくさと宮殿をあとにした。


 明日、俺の人生が変わる。この街ともしばらくおさらばだ。


 そう思うと、なんだかこのグシウムが恋しくなってきて、俺は可笑しくなって大いに笑った。


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