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六十六話『魔王、わし』~世界が動き始める~


 一羽の海鳥が群れから外れ、街の上を滑空した。


 グシウムの景色は今日も変わらない。穏やか海と澄んだ空、そして聳え立つ無機質な城壁。賛課の鐘から終課の鐘まで、人々の流れもずっと同じ。


 そしてそのことに不満を持つ者は誰もいない。みんながみんな、とてつもなく幸せなわけでもないが、武器を持つほど不幸でもない。程好い湯加減。グシウムの住民達はそれで満足だった。


 三年前、翼を持つ魔物がサンアントに現れたことにより、グシウムの住民達は不安に包まれたが、結局それから一度もその魔物の目撃情報はなく、最近ではその情報そのものの真偽を疑う声が大きくなっている。


 起伏のない日々に現れた刺激は住民達の話の種となり、少しの話題の花を咲かせて儚く枯れていった。


 港では、多くの船が出入りし、商いに向けて人々が動いていた。鉄を打つ音、荷車を引く音、そして海鳥達の鳴き声。それら全てが合わさって、グシウムの音楽となる。


 海鳥は門に向かって急降下した。


 門では、二人の門番が隠れてワッフルを食べていた。門番の一人は海鳥に気がつくと、ワッフルのかけらを投げてやった。海鳥は警戒心なく近付くと、くちばしで一度つついてから、そのかけらを食べた。これもまた、グシウムの日常の一部となっている。


 海鳥は飛び立ち、宮殿の上空へと向かった。


 宮殿には、今日も優雅で平和な時間が静々と流れていた。中庭では使用人達が花壇の世話をし、廊下には見張りへと向かう兵士の姿。回廊では、子供達が絢爛な服を纏って鼻歌を口ずさんでいる。


 海鳥は見張り塔に寄り、羽を休めた。


 見張り兵は海鳥の影に視線を向けるも、すぐに興味がなくなった様子で大きな欠伸をし、眠たげな目でグシウムの外を見つめていた。


 その視線の先には、一人の騎士。遠くの木の幹に向かって、淡々と矢を放っている。刺さった矢は綺麗に縦に並び、騎士は手を上げて塔の見張り兵に手を振った。見張り兵も小さく手を上げてそれに返した。


 海鳥はひと声鳴くと、羽を懸命に羽ばたかせ、宮殿二階の窓枠へと止まった。


 中では、玉座に腰を下ろす王様と傍に立つ大臣が、顔を寄せ合って話していた。


「陛下、そろそろ次の遣いの者を決めてはいかがですか? 必要のない者のリストなら、用意出来ています」

「うむ、そうだな。それより、あの者達の動向はどうなっておる? 今一度、これまでの報告とまとめて申せ」


 大臣は懐から数枚の紙切れを取り出し、視線を落とした。


「はい。まずは、一人目のカモノモリマロでございますが、現在、一行はとある武道家を探して旅を続けているそうです」


 王様は眉間に皺を寄せながら、「うむ」と小さく頷いた。


「サンアント地方の統治が完全に崩壊したそうだな」

「はい。モリマロがパラメから行商を通じて寄こした手紙により、サンアントの異常な法体制とサンアント伯爵の陛下に対する謀叛、そしてアロニアの無秩序が露見しました。アロニアの方は盗賊騎士の介入により、新たな支配体制が敷かれて町自体は存続していますが、サンアントの方は疫病も蔓延し、生存者も全て逃げてしまったので、現在は誰一人として残っていないそうです」

「サンアント伯爵は?」

「捕らえていた住民達により、惨殺されたようです」


 王様は腕を組むと、ふん、と鼻を鳴らした。


「裁量権を与えてやったらこれだ。やはり、国はわしが中心となって統治せねばならんな。全ての権限をこのグシウムに集約し、絶対的なるわしの力を持って、国の全てをこの手で導く。どうだ。これこそ、理想的な国家の在り方ではないと思わんか?」


 大臣は床につかんばかりに、頭を下げた。


「勿論でございます。そのために今、彼らを使って地方の状況を確認させているのですから。しかし、それにしても、陛下のお考えには頭が上がりません。まさか、彼らを勇者という名目で、遣いの者として利用するとは」


 大臣の言葉に、王様は満足気に頬を緩める。


「このご時世、自由に動かせる騎士の数も限られているからな。それに、王による監査の色を出すよりも、他の目的で旅をさせていると思わせれば諸侯達の警戒心も解ける。そちらの方が、その地域の内情が掴めるのではないかと踏んだのだ。あの者達には報告書を定期的に送るように命じてあるからな。そこで問題を把握してから、正式に監視官や騎士を派遣する方が効率がよい」

「いわば彼らは、斥候兵ということですね」

「まあ、言ってしまえばそうなるな」


 二人は顔を見合わせると、互いに大きく口を開いて笑い合った。海鳥はそれを耳にしながら、くちばしで毛づくろいをしている。


 大臣は厭らしい笑みを浮かべながら、意味もなく手を擦り合わせる。


「しかし、まさか魔王や勇者、さらには勇者の剣だなんて架空の存在を信じるとは思いもしませんでした」

「準備段階として、魔王と勇者の存在を街中へと流布させておったのが大きかったのではないか。それに加えて、まさか王室がそんな出鱈目で動くなどと思いもしなかったのだろう。まあ、それでも腹の中では信じていない奴もいただろうがな」

「その疑心を抑え込むために、わざわざ抜けない勇者の剣まで用意して、国の最東部へと設置させましたから」


 王様は足を組み、顎髭を指先で触った。


「やるのなら、徹底的にだ。しかし、剣が抜けない時点で全員、諦めて帰ってくると思っておったが、それに関しては予想が外れたな。……それで、あとの者達はどうなっておる? オルデルス家の令嬢には、確か魔物を斬れぬ騎士をつけただろう」


 大臣は空咳を挟んで真面目な表情を浮かべると、再び紙に視線を戻した。


「はい。ルイン・オルデルスとその使用人二名、そして騎士ラハットは、カカの村を通過したあと、陛下の計算通りテュクスへと向かいました」

「東へ向かうには、砂漠、雪山、川のどれかを越える必要がある。ルインを抱えたまま前者二つは選択出来まい。となると、残るはペロー家が統括する川を渡らなければならぬが、ペロー家はオルデルス家を目の敵にしておる。両者をぶつけると、大方どうなるかは察しがついておったが、予想通りになったな」

「しかし、問題はルイン一行がオルデルス家の者であることを隠す可能性が高かったこと、ですね?」


 王は緩慢な動作で頷く。


「ああ。常識で考えるとそうなるのは明白。だから、わざわざリオを使ったんだ。元々あやつはオルデルス家に忍び込ませておいた王室の諜報員だからな。ペロー家に入り、ルイン達のことをミダスに伝えろと命じておいた」

「私ですら、陛下から聞くまで、彼女の存在を存じ上げませんでしたから」


 大臣のそっと置くような皮肉に王様は気付かず、話を続ける。


「結果、ペロー家は俗悪な娯楽が白日の下へと曝されてしまい、鉱山から金が取れなくなり、事実上瓦解した。まあ、これに関しては五分五分といったところか。出来れば、そのままペロー家とオルデルス家で大きな揉め事となってどちらも潰れてくれればよかったのだが、そう上手くはいくまい」

「その両家は力を持っていましたからね」


 大臣の言葉に、王様は顔をしかめる。


「あまりに大きな力は国家にとって脅威となる。早いうちに、対策はしておかねば」

「それで、オルデルス嬢を勇者候補に選んだのですね」


 王様は「うむ」と足を組み換えた。


「だが、オルデルス家がルインの護衛にたった二人しか用意しなかったのには些か驚いた。もっと人員を割くかと思っておったが。おかげで、思ったよりもオルデルス家にとって負担とならなかった」

「付き人たちがよほどの人材だったのでしょう」

「まあ、オルデルス家についてはまた改めて対策を練るとしよう。それで、そこから一行はどこへ?」


 大臣は眉間に皺を寄せ、苦い顔になった。


「……それがですね、その後もラウス帝国内で旅を続けてはいるのですが、その、どうやら仲間を増やしていっているようで」

「どれくらいだ?」

「最終報告では、百数人と馬が十頭だと」


 王様は驚き、椅子に沈めていた身体を起こした。


「百人? そんな大所帯になっておるのか?」

「ええ。そして、これからラウス帝国を出てまだ旅を続けるようです。その目的ははっきりしておりませんが、東へと向かっているところを見るに、魔王討伐を諦めていないものかと」


 王様は虚空に視線を浮かべると、何度か頷いた。


「ルインが国を出るとなると、さすがにオルデルス家が黙っていないだろう。国の外では、オルデルス家の力も及ばぬだろうからな。……よし、わかった。では、最後のあの少年はどうなっておる? 確か、ハイルといったか」


 大臣は緊張した面持ちで、王様の顔を見返す。


「彼に関しては、報告がないのであまり情報がないのですが、何やら変わった仲間を連れているとの噂が」

「変わった仲間?」

「はい。人間の姿をした小さな妖精、そして遥か昔、王室の騎士であった大魔道師ドーマン、あと、これが最も不思議なのですが、中型の魔物が共に行動していたという目撃情報があります」


 王様はその大きな目を見開いた。


「魔物と行動だと? 有り得んな。それより、以前の報告では、もう一人、小太りの吟遊詩人がいたはずだが」

「ああ、ほら吹きマキュリウスですね。彼はパラメの町で、一行から離脱しています。その後は、どうやら酒場でそれまでの旅の武勇伝を披露して回っているようです。しかし、大方、脚色されているようですが」

「離脱? どうして外れたのだ?」


 大臣は嘲笑を浮かべて肩を竦める。


「怖気づいたのでしょう。元々、彼は無理矢理ハイル達に同行していたようですし、足手まといになっていたという情報もありますから」


 王様はその話題にはそれ以上興味がなくなった様子で、「そうか」と生返事を返した。大臣は最後に紙を一瞥すると、それをポケットへと仕舞った。


「彼らに関しても、東に向かっていることが確認されています。彼らも、魔王討伐を諦めていないのではないでしょうか」


 王様は背もたれに背中をつけると、腕を組んで肩を震わせ始めた。


「おりもせぬ魔王を討伐する旅を続けるか。滑稽だな」


 大臣も笑いを堪えるように、口許へと手を当てる。


「そうですね。まあ、我々からしても、せいぜい各地へと足を運び、報告書を増やしてくれるのならば有り難いですから」


 王様は口角を吊り上げ、目を細めた。


「……もしかしたら、ある意味ではわしこそが本当の魔王なのかもしれぬな」

「またまた陛下、御冗談を」


 王様と大臣は顔を合わせると、口を天井に向けて大きく笑い合った。何もかもが分厚い玉座の間に、二人の笑い声が重厚に響き渡る。


 その様子をじっと眺めていた海鳥だったが、ふと何かに気が付き、慌てた様子で窓枠から飛び立ち、大海原へと帰っていった。


 その時、玉座の間に、何やら逼迫した様子の見張り兵が現れた。それを見た大臣は、顔をしかめて兵士を指差す。


「おいお前、一体、誰がここに入ってよいと……」


 大臣の言葉は自然と萎んでいく。大臣もその異変に気が付いた。


 王様と大臣が、窓の外を見つめる。


 昼間にも関わらず、グシウムには大きな影が下りていた。


 見張り兵は青ざめた顔で、口を開く。


「た、大変ですっ」


 窓辺に近付いた王様の、その窪んだ瞳がその影を捉えた。




「大型の魔物が、多数の魔物を連れて上空をっ」



 

 世界が、大きく動き始めた。


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