六十五話『勇者、僕』~あなたの物語~
不気味な静けさの中に、大地の歯車が動き出す音。それにいち早く気付いたのは、やはり彼、マキュリウスだった。
「何だ、この嫌な感じは」
マキュリウスの言葉に、ドーマンがその目を見開く。
「まずいっ。雪崩だ」
だが、全員がそれを認識した時には、既に雪は崩れ始めていた。
走り出すハイル達。
しかし、自然の速度は彼らをすぐに捕らえた。大量の雪が彼らの背中へと覆い被さる。その時、ドーマンが振り返り、手を大きく前に出したことに気付いたのは、マキュリウスだけだった。
次の瞬間、彼らは飲み込まれた。暗転する視界と轟音に彼らは為す術もなく、ただただ自然の脅威の下に身体を委ねた。
静寂が訪れる。
立ち上がったのはマキュリウスだった。
そう、立ち上がったのは。
彼らは飲み込まれていなかった。それぞれ、離れた場所で起き上がると、事態の把握へと思考を働かせる。やがてマキュリウスは、濡れたマントを手に持って乾かすドーマンをじっと見た。
「……水に変えたんだね」
ドーマンはマキュリウスを見ずに答えた。
「ああ、そうだ。さすがに一気に力を使うと疲れるわい」
ドーマンが腰を叩き、それを見たマキュリウスはふっと笑みを零した。しかし、マキュリウスの澄んだ目玉が、一番にそれを見つけた。
雪面を這う稲妻。
その稲妻は、綺麗に雪面を分断していた。マキュリウス達と、最も低い位置まで落ちていたハイルとの間を。
ハイルの身体が、僅かに傾いた。
雪面を走る稲妻は大きく、そして深くなっていく。
「ハイルっ」
フィルが叫んだ。
水が大量に流れ込んだことにより、雪の地盤が大きく崩れ落ちようとしていた。ハイルが今、乗っている、その地盤が。
ハイルは目と口を開いたまま、固まってしまっていた。
その時、雪の稲妻を跳び越える彼、マキュリウスの姿がそこにはあった。
蛮勇な彼は、崩れ落ちる斜面を駆け降り、ハイルの腕を掴んでその身体を引き起こした。そして、すぐさまハイルを引っ張って斜面を駆け上がるも、既にそこに稲妻はなくなり、大きな雪の塊が崩れ去るところだった。
「チュボっ」
マキュリウスは叫んだ。マキュリウスはハイルの両肩を後ろから支えると、チュボに向かって投げ飛ばした。チュボはハイルの服を掴んで、なんとか引き上げる。
しかし、マキュリウスの身体はその反動で後方へと下がっていく。
ハイルとマキュリウスの視線が交差した。
瞠目するハイルに、マキュリウスは微笑みかけた。
「……世界は任せたよ」
マキュリウスは最後にそう言い残すと、真っ白な雪を纏いながら、まるで羽を失った天使のように崖の底へと落ちていった。
「マキュリウスーーーーっ」
マキュリウスの名を叫ぶ声が響き、それはやがて慟哭へと変わり、雪を溶かした。
彼らが失ったものは、彼らにとっても、そして世界にとっても、とてつもない大きなものだった。
きっと本来ならば、彼こそが世界を救う英雄になっていたのだろう。だが、彼は世界ではなく、たった一人の仲間の命を選んだ。それも、自らの命と引き換えに。
もし、あなたの世界が悪から救われ、あなたが平和の中に物語を描いているのなら、あなたは彼の名をその脳裏に刻み込み、そして後世に語り継いで欲しい。
本当の勇者の名前を。
マキュリウス。
そう、真の勇者の名前を。
その後、ハイル達は最も大切な仲間を失った喪失感を抱えながらも、雪山を越え、パラメの町へと着いた。そこで、東の神秘の森に勇者の剣があるとの情報を聞き、その足でそのまま森へと向かった。
その森の奥に、確かに勇者の剣は存在した。
しかし、ハイルがその剣を抜くことは叶わなかった。
彼らはそこでようやく気付いた。本当の勇者を失ったことに。
だが、彼らの旅はそこでは終わらなかった。
きっと、世界のどこかに、彼の意志と才能を継ぐ者が現れるはず。彼らはまだ見ぬ勇者を探しに、ラウス帝国を抜け、東の大陸へと向かった。
そう、物語はまだ続く。
これは、あなたの物語でもあるのだから。




