六十三話『勇者、僕』~魔物vs魔物~
銀の魔物は空を見上げると、大きく咆哮した。雲一つない青空は、彼の雄叫びを遠くまで運んだ。
銀の魔物は、チュボを見つめていた。しばらく、両者の間で声のない言葉が交わされる。チュボは怒っていた。いつもの穏やかで優しい瞳に、激しい怒りの色が浮かんでいた。
「なんて言ってる?」
マキュリウスがフィルに訊ねると、フィルは訥々と答えた。
「え、えっと……、チュボのことを凄く馬鹿にしている。その、どうして人間みたいな弱い生き物と一緒にいるんだって。それに対して、チュボは物凄く怒っている」
チュボの金の体毛は逆立ち、呼吸も随分と荒くなっていた。口許の触手は一本一本が大きく蠢き、その鋭利な爪は剥き出しになっている。
一方、ハイルは目を見開き、銀の魔物を睨み上げていた。ハイルの頭の中では、きっと過去が再生されていたはずだ。そう、あの時、あの瞬間の忌まわしい鮮明な記憶が。
ハイルは歯軋りをし、勢いよく雪を蹴った。
しかし、そのハイルを、チュボが抱きかかえるようにして止めた。チュボはじっとハイルを見つめる。
「『すみません。我儘なのは承知の上でお願いがあります。……彼は私に討たせて貰えないでしょうか?』」
ハイルはじっとチュボを見返した。ハイルの肩は怒りで小刻みに震えていた。しかし、やがてハイルは深い息を吐くと、チュボの肩に手を置いた。
ハイルは、その怒りを飲み込んだ。彼はその怒りを、チュボへと託したのだ。
チュボはハイルに頭を下げ、一歩前へと出ると、腰を低く下ろした。銀の魔物は構えることすらせず、挑発するように雪を掬っては掌の上でバウンドさせている。
だが、先に仕掛けたのは銀の魔物の方だった。
銀の魔物は構えるモーションを取らず、そのまま一気に斜面を駆け降り、チュボに身体をぶつけた。
不意を突かれたチュボは、そのまま後方へと転がり落ちる。銀の魔物はそのままチュボを追撃し、チュボの上に馬乗りになった。そして、数発、高々と声を上げながらチュボを殴打する。
防戦一方のチュボだったが、尻尾で銀の魔物の腕を掴むと、そのまま横へと突き飛ばした。銀の魔物は立ち上がって体勢を整えると、一切の間をおくことなく、すぐにまたチュボへと向かっていった。
彼の戦闘スタイルはシンプルだった。相手に考える暇を与えず、とにかく突っ込む。それでいて、闇雲に攻撃するわけでもない。
時には軽く引いて、チュボの反撃のテンポをずらす。そして、ハイル達に対する警戒も怠らない。彼は、他の魔物とは比べ物にならない戦闘の才を有していた。
両者の差は僅かであったが、その僅かな差はじわりじわりと蓄積し、やがて明らかな結果となって現れ始めた。
時には攻撃に転じることもあったチュボが防戦一方となり、銀の魔物の攻撃はさらに激しさを増していく。
「このままじゃチュボ、やられちゃうよ……」
フィルの言葉が、その状況を物語っていた。銀の魔物は勝利を確信し始めたのか、時折嬉々とした声を上げながら、雪を掬ってはチュボにぶつけだした。
チュボの身体からは淋漓として赤紫の血が滴り落ち、真っ白な雪を溶かしていく。
「根性だな」
ドーマンが杖を雪にさしてそう言った。
既に勝負は決まっていた。それにも関わらず、チュボは諦めず、必死になって相手に喰らい付いた。銀の魔物に殺された、仲間達の無念を晴らすために。
だが、やがてその時が訪れる。
銀の魔物が、チュボに向かって言った。
「『お前は弱い。だから死ぬんだ』」
その言葉をフィルが訳したと同時に、銀の魔物は雪を蹴り上げた。パウダー状に舞った雪が、チュボの視界を覆い隠す。
そこは白銀の世界。
雪は彼の銀色に輝く姿を隠し、それによりチュボは一瞬、彼を見失った。
そしてその一瞬が、勝負を決めた。
銀の魔物は大きな声を上げながら、鋭い爪をチュボに向けて突き刺した。
しかし空に響いたのは、肉が穿たれる音ではなく、金属がぶつかるような甲高い音。
そう、そこは白い世界。
雪はまた、彼の姿も隠していた。
舞っていた粉雪が晴れた時、そこには白髪の彼、ハイルがいた。




