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六十二話『勇者、僕』~雪山~

 かつて、『ラウス帝国が誇る自然の城壁』と他国から恐れられたその山脈は、国の北部を囲むように地図上へと鎮座している。


 これまで、多くの人間がこの山へと挑み、その無数の屍を以て山はさらに高くなってきた。そしていつからか、人間はこの山を登り、越えることを諦めた。ここを越えるくらいならば、川を渡り、砂漠を攻略する方がずっと安全で簡単だと気付いたのだ。


 遠くから見ると霞に覆われていたその山々も、近付くにつれて真っ青な空との境界線を明確にし、ぴたりと風を止めてハイル達一行を歓迎した。


 麓に広がる森林は、不思議なことに全ての木の高さが一定になっていて、上部から見下ろすと、緑の絨毯が広がっているように見えた。


 ハイル達は緑の絨毯の下を潜って進むと、やがてモノクロームの世界へと迷い込んだ。無骨な黒い岩と、艶やかで白い雪。


 聳え立つ山を見上げた彼らは互いに顔を見合わせ、フィルの小さなくしゃみを合図に、誰かがその一歩を踏み出した。


 初冬のため、足元の雪はとても柔らかく、雪は吸い込むように彼らの足元へと纏わりついた。それは彼らの体力を奪い、暫くの間、山に響いていた彼らの会話も、次第に少なくなっていった。


 誰も言葉を発さなくなってから小一時間ほどが経過し、雪も深くなり、凍てつく風も強くなった頃、ハイルの足取りが重くなった。そんなハイルに、マキュリウスは黙って背中を貸した。


 ハイルは首を左右に振ったが、マキュリウスは強引にハイルを背負い、その険しい山を登り始めた。ハイルは心の底から、マキュリウスに対して尊敬と感謝の念を抱き、そしてこの時、ハイルは悟った。


 マキュリウスこそが、勇者なのではないか、と。


 そんなマキュリウスがハイルを背負いながら力強く山を登り続けること半日、彼らはようやく山の中間地点に到達した。


 夜は危険が大きいため、それ以上は登ることが出来ない。そこで一夜を過ごさなければならないが、そこは大雪と風が吹き荒れる雪渓。とても人間が野宿なんて出来る環境にない。


 だが、彼らにはドーマンがいた。


 彼らは岩陰を見つけると、そこを寝床とすることに決めた。ドーマンはその周囲の雪を魔法で溶かし、さらに岩を温めて寒さを凌いだ。


 この雪山において、ドーマンの魔法の力は絶大なる効果を発揮した。しかし、それが雪山の悪戯心に文字通り火をつけたのか、次の日、彼らは雪山の歓迎を受けることになる。


 明朝、ドーマンの魔法によって充分な休息を取ることが出来た彼らは、早速、銀の魔物を探しつつ、山を越えるために頂上を目指した。山の天候は前日とは打って変わって快晴で、視界も遠くまで明快に澄んでいる。しかし、彼らはそこに広がる景色に、足を止めた。


 何十匹もの白い小型の魔物が、彼らを見下ろしていた。


 雪山に魔物が生息するという情報は、それまで一つとして存在しなかった。その理由は考えるまでもなく、雪山で魔物と出会った人間が、誰一人として地上へと帰ってこられなかったからである。


 その過酷な環境に順応した雪山の魔物達は、海の魔物と陸の魔物で形態が違うように、その姿に一種の特徴が見られた。体毛が長く、そして足や耳、尾までもが極端に短い。さらに、地上の小型の魔物と比べると、その体躯が一回り大きかった。


 ハイルの懐から出て来たフィルは、綿毛のようなとても小さな帽子を耳の深くまで手で下ろして、ハイルを見上げた。


「声は聞こえない。でも、かなり警戒している」


 ハイルがチュボを見ると、チュボは僅かに腰を下ろした。


「『来る』って。襲ってくるよっ」


 フィルがそう言ったと同時に、白い魔物達は一斉にハイル達に向かって飛びかかった。前に立っていたハイルは剣を抜き、チュボの前に腕を出して下がらせた。


 突然の戦闘。ざくざくと雪が踏まれる音と荒い息遣いが低い空へと上っていく。


 ハイルは二つの剣を華麗に舞わせ、襲ってくる魔物達をいなしていく。しかし魔物の数が多く、魔物の一部はハイルではなく、その後ろにいたチュボに向かっていった。


 実は、チュボがこれまで襲われなかったのは、チュボが同族であるからではなかった。


 魔物は本能的に相手の強さをはかる。その相手が人間である場合、純粋な肉体の強さでは勝てると思い込むため、小型は人間を襲う。


 しかし、人間の子供が大人に喧嘩を売らないのと同じように、小型の魔物は身体の大きな同族であるチュボに対しては本能的に畏怖の念を抱く。だから、川で出会った魔物達は、チュボのことを襲わなかったのではなく、襲えなかったのだ。


 確かに、魔物同士は基本的に争うことはない。しかし、それはあくまで互いに平穏が保たれている状況下での話であり、魔物同士でも縄張り争いであったり、獲物の奪い合いがあったりした場合には、殺し合うこともある。


 つまり、魔物同士であることによる抑止力というものはそれほど強いものではなく、一度敵と見なして勝機を見出せば、相手が同族であっても容赦なく襲いかかる。


 雪山の魔物は、チュボを敵とみなし、さらに数で有利であると判断してチュボに攻撃を仕掛けたのだ。


 だが、この魔物達の判断は誤りだった。少なくともこの時点では、チュボは同族である魔物を自ら攻撃するということが出来なかった。


 だが、そんなチュボでも襲ってくる相手は迎え撃つ。魔物達がここでチュボに手を出さずに全員で他の者に向かっていれば、もしかしたら誰かに傷の一つくらいはつけられたかもしれない。しかし、彼らは程良く分散してしまった。


 魔物達はハイルの剣に捌かれ、マキュリウスにいなされ、チュボに殴られ、ドーマンに熱された。


 結局、終わってみればあっという間だった。この一行は既に、小型の魔物程度が相手になるレベルではなくなっていたのだ。


 だが、その時だった。


 何かが太陽を遮り、影を作った。


 彼らは見上げた。


 頂上から見下ろす、一匹の魔物。


 そいつは、そこにいた。ハイル達を見下ろすと、そいつは確かに笑った。


 銀の体毛を、靡かせて。


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