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五十七話『勇者、僕』~魔物と人間~

 彼らはとても不思議な時間を過ごしていた。魔物との対話。本来、その距離で腰を下ろし合うことのない両者が、その時、互いの間に屹立する壁を取り除き、向かい合っていた。


「じゃあ、全員が言葉を理解出来るわけじゃないの?」


 マキュリウスの問いかけをフィルが彼女へと伝えると、彼女は頷いた。それは、人間の仕草と全く同じであった。


「『ええ。子供達は理解出来ませんが、大人の中に、それでも僅かですが言葉を発し、理解するものが存在します』」


 どうやら、魔物達の概念では、小型は子供、中型は成年となっているようだ。これは後の研究で判明したことだが、小型が成長して中型になるという事例は存在しない。


 つまり、彼らの認識は人間における大人と子供の区別には当てはまらない。小型の魔物は小型として生まれ、小型として死んでいく。中型もまた然り、だ。


「じゃあ、ちょっと踏み込んだ質問で申し訳ないんだけど、魔物が人間を襲うのは、やはり食糧として?」

「『はい。我々は雑食性なので、生きるためには全ての生き物を対象として狩りを行います。しかし、人間の特性を理解している我々の仲間は、敢えて人間を襲うことはしません。人間を捕食せずとも、生きる術は数多に存在しますから』」

「それは道徳的観念から? それともリスクから?」

「『どちらもです。しかし、我々の仲間のほとんどは人間のことをよく知りません。いえ、我々は我々自身のことすら、よくわかっていません。この世界のルールも、ヒエラルキーも、生きる術も、何もわからないのです』」


 人間がどの地点から人間としてこの地を歩くようになったのかは、誰も知らない。しかし、人類にも無秩序で無知で無礼だった頃があったはずである。


 あなたは今もそうだと思ったかもしれないが、少なくとも、人類は僅かながらでも前へと進んでいる。繰り返すことになるが、物語はまだ続いているのだ。


 人類の歴史、人類史を長いと捉えるとすれば、魔物史はまだ捲られたばかりであり、これから紡がれてゆくものである。だが、そこには決定的な違いが存在する。


 人類史には第三者としての人類が存在しなかったが、魔物史には人類という存在が既に登場しているということだ。いや、登場してしまっている、と敢えて言っておこう。この表現が正しいかどうか、『結』を知っているあなたにはわかっているだろう。


 マキュリウスは彼女の目を見据えた。


「でも、あなたにはそれらがわかっている」

「『いえ、そうではありません。私は、それらを知りたいのです。この世界はどういう構図で成り立っていて、何が正しくて、何が間違っているのかを』」


 この時、二人の人間は困惑していた。これまで絶対悪だと信じ込んでいた魔物という存在が、もしかしたらそうではないのではないかという可能性が生まれてしまったのだ。


 いや、それどころか彼らの心の中には、先程の、『魔物を追いかける人間』という構図にこそ、全ての答えがあるのではないかという疑念すら芽生えていた。


「なぜ、逃げていたのですか? これだけの数がいるのなら、戦うという選択肢もあったはずです」


 その真実を探るべく、マキュリウスは訊ねた。フィルは一瞬、それを訳すのを躊躇ったが、ハイルの強い目を見て彼女へと伝えた。彼女はじっと、フィルを見返した。


「『確かに、私達が本気で反撃すれば、あの程度の人間の数ならば充分に戦うことも出来ました。しかし、もし彼らの命を奪っても、また彼らの仲間が憎悪と憤怒を携えて復讐しにやってきます。私は人間が怖いのです。彼らはとても愛情深くもあり、そしてとても恐ろしくもある』」

「どうして人間の二面性を知っているのかな?」


 そのマキュリウスの問いかけに、彼女は姿勢を正した。


「『実は一年ほど前、私達の仲間が二人、彼らに殺されました』」

「さっきの奴らに?」

「『ええ。その二人は、私と同じく言葉を発することが出来ました。そして二人はとても仲が良く、いつも二人でお気に入りの場所へと向かい、お喋りし、日光浴をし、くつろいでいました。しかしある日、彼らが突然、人間達に襲われたのです』」

「狩られたってこと?」

「『はい。二人は油断していました。それまで、あの人間達は二人の存在を認識していましたが、襲ってくることはありませんでした。そのことで二人は、あの人間達は襲ってこないものだと、そう思い込んでしまっていたのです』」


 彼女は視線を落とした。マキュリウスはそっと置くように問いかけた。


「それで、あなた達は?」


 彼女は顔を上げてマキュリウスを見つめた。しかし、紺色一色に光る目は、マキュリウスではなく、もっと遠くを見ていた。


「『彼らの敵を討ちに、人間達の住む村へと向かいました。しかし、そこには我々の想像を絶する光景が待っていました。……人間達は、人間同士で殺し合いをしていたのです』」


 三人が同時に息を呑んだ。その当時、平穏と言われていた時代において、人間同士で殺し合うことは極めて珍しいことだった。


 個人の諍いの発展としての殺人はあったものの、かつての魔物がいなかった頃のように、人間同士が武器を持ち殺し合うことなど、人間がする行為ではないと、彼らはそう信じていた。


 彼女は拳を握りしめ、僅かに肩を震わせた。


「『そこには、人間という複雑な生き物による単純な殺戮行為が繰り広げられていました。赤子を守りながら逃げる母親、泣き叫びながら怯える子供、全てを悟ったように祈り続ける老人。しかし彼らは見境なく、その命を摘んでいきました。私はそれを見て慄然としました。どこかで見たことのある光景。それは、我々の中で起きた悲劇と、全く同じ色のものだったのです」


 尚、この時、その二匹の魔物を討伐し、互いに殺し合った人間達は、その後大きな狩り専門のギルドを組織し、ラウス帝国の中で大きな影響力を持つことになるが、それはしばらく後の話である。


 ハイルが、彼女のある言葉に少し遅れて反応した。


「……全く同じ色?」

「『そうです。我々は元々、今の数の倍以上の群れを為していました。大人六人を中心とし、子供達を守りながら平穏に生きていたのです。しかしある日、その中の大人の一人が、突然仲間を殺し始めました』」

「魔物は魔物同士で殺し合わないと聞いたことがあるけど」

「『ええ。ですが、それは人間と同じなのです。我々のほとんどは、同族を殺してはいけないと、そう本能に刻み込まれています。例え飢餓状態にあったとしても、魔物が魔物を喰らうケースは滅多に有り得ることではありません。それは、ある意味では我々の血に刻み込まれている倫理です』」

「ということは、その魔物は魔物の中でも異端だった?」


 彼女は頷いた。


「『はい。彼はずっと、我々の中でも問題のある者でした。気に入らないことがあると、仲間でも子供でも関係なく暴力を振るい、生きるための狩りを行う時も、彼は必要以上に相手をいたぶりました。そしてやがて、彼は暴走した。……突然仲間を襲い始め、それにより、大勢の子供達と大人二人が、その尊い命を落としました。何よりも恐ろしかったのは、彼がそれを、楽しんでいたことです』」


 それを聞いたハイルの顔色が変わった。


「その魔物の体毛って、銀色?」


 彼女は僅かに首を傾けた。


「『はい。銀の体毛を持っていました。ですが、それをどうして?』」


 そう、その魔物こそが、ハイルの故郷を襲い、彼の両親を惨殺した魔物だった。


 俯くハイル。その彼女の問いかけには、ハイルではなく、フィルが事情を説明した。聞き終えた彼女は、そっとハイルに手を伸ばした。ハイルは顔を上げ、その手を拒まずに受け入れた。


 彼女の手が、ハイルの頬に触れた。


「『そうですか。……彼はそんなことを』」


 彼女はそう言うと、マキュリウスに視線を向けた。


「『人間は謝る時、どうするのですか?』」

「こうやって頭を下げるのさ」


 マキュリウスは、帽子を押さえて頭を下げた。彼女はそれを見ると、ハイルの頬から手を離し、見様見真似で頭を押さえながら頭を下げた。


「『私が謝ったところで何の解決にもならないことはわかっています。しかし、あの時、彼を追放してしまった私にも責任がないとは言い切れません。深く、お詫び申し上げます』」

「……いいよ、謝らなくて」


 ハイルが小さく呟き、マキュリウスは帽子を取って笑う。


「頭は押さえなくていいんだよ。これが落ちないように押さえただけだから」


 彼女は目を細めた。そう、彼女も笑ったのだ。人間と何ら変わらず、笑って、怒って、悲しむ。そして、それは彼女だけではなかった。


 おそらく、人間でそのことに初めて気付いたのは、そこにいた彼らだった。


「『では、あなたは彼を倒すために旅を?』」


 ハイルが頷くと、彼女はしばらく何かを考えるように自身の影を見つめたあと、徐に顔を上げた。


「『私も、旅に同行させて貰えないでしょうか?』」


 これには、さすがの彼らも驚いた。しばらくの沈黙のあと、彼女はとても残念な目で自身の影を見た。


「『すみません。やはり、駄目ですよね』」


 固まっていたハイルが、小さく口を開いた。


「そうじゃなくて。……どうして?」

「『私も、彼のことは許せません。彼はおそらく、まだ生きています。そして、彼は生きている限り、人間や魔物を含めた生き物に対する快楽的な殺戮を止めることはないでしょう。それは、今後の我々と人間との関係を鑑みても、決して喜ばれることではありません。それに……』」


 彼女はぎゅっと拳を握った。


「『やはり、私は彼が許せません。人間に仲間が殺されるのも当然辛いものでしたが、それはまだ自然の摂理として、何とか受け入れようと思えるようになりました。しかし、彼のした行為はそれとは別です。摂理でも何でもない、ただの自分勝手で非道で残虐な、許されざる行為です』」


 彼女はもう一度、ハイル達に向かって頭を下げた。


「『お願いします。どうか、私も連れて行って貰えないでしょうか』」


 三人は顔を見合わせた。まず、頷いたのはフィルだった。次に、ハイルはマキュリウスを見た。マキュリウスは息を吐くと、頭を掻きながら苦笑した。


「参ったな。これはとんでもない旅になりそうだ」


 その言葉を聞いたハイルは、今度は彼から彼女にそっと手を差し伸べ、その頬に長い指を添えた。そして、その手をゆっくりと下ろし、彼女の手を取る。


「……わかった。一緒に旅をしよう」 


 人間と魔物。


 長い間、決して交わることのなかった両者が、初めて手を取り合った歴史的な瞬間だった。


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