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五十六話『勇者、僕』~妖精フィルの力~

 彼らの次の目的地は、荒れた渓谷だった。マキュリウスが、渓谷の奥深くに魔物が集まる場所があるという噂を耳にしていたためだ。


 ハイルは銀の魔物がそこにいるのではないかと睨み、その場所を目指した。


 向かうにあたって、ハイルは自身の生い立ち、旅の目的、そして彼女の存在をマキュリウスへと明かした。マキュリウスは少々驚いたが、しかしその大きな器で即座に彼女を受け入れた。


 マキュリウスは彼の肩に乗る彼女に訊ねた。


「キミは、名前がないのかい?」

「ええ。森には私しかいなかったから、名前が必要なかったの」

「でも、今は違う。キミには二人、仲間がいるじゃないか」


 彼女は驚いた顔を浮かべた。マキュリウスは訊ねた。


「名前、欲しくないのかい?」

「欲しい。うん。私、名前が欲しいっ」

「そうだね。じゃあ、何かいい名前はないかな」


 マキュリウスはハイルに視線を向け、微笑んだ。ハイルは空を見上げて双眸を細めると、少し考えて「……フィル」と呟いた。


「フィル。うん。いい名前だ。でも、どうしてフィルなんだい?」

「村の名前なんだ。僕が生まれた。」

「ということは、もうその村は壊されてしまって、存在しないんだよね?」

「うん。村の名前を、絶対に忘れたくないから。とても綺麗な村だったんだ。だから、よかったら名前を使って欲しい」


 それが憎しみを忘れないためなのか、それとも美しい思い出として残したかったからなのか、それはハイルにしかわからない。


 だが、彼女はその彼の気持ちを喜んで受け入れた。


「私の名前はフィル。……私、今、とっても嬉しい」


 彼女、フィルはハイルとマキュリウスの間を、蝶のように飛び回った。ハイルはそれを見て、ほんの小さな笑みを浮かべた。それは彼が旅に出てから、初めて見せた笑みだった。





 深い渓谷は雨季で、底には川が流れていた。彼らは水のない高さの丘を進みながら、魔物の集まる場所を探したが、小型の魔物一匹の姿すら見当たらなかった。


 不思議に思った彼らだったが、ある場所で、フィルが「待って」と二人を呼び止めた。フィルは耳に手を当て、音に集中する。


「何か聞こえる。……泣き声?」


 ハイルとマキュリウスが耳をそばだてるも、彼らには何も聞こえなかった。しかし、フィルには確実に何かが聞こえている様子で、彼女は導かれるように谷底に向かって下りていった。


 二人がフィルを追いかけて谷を下りると、彼女はある場所で止まっていた。谷底近くの、僅かな足場。彼女は露出した岩肌に耳をつけると、大きく頷いた。


「この先。確かに、何かが聞こえる。ねえ、ハイル。この岩、どかせないかな?」


 フィルが指差した先には、赤茶色の岩肌とは明らかに色が違う、黄土色の大きな岩が、まるであとから埋め込まれたかのように壁を塞いでいた。


 彼は黙って前に出ると、そっと岩を掴み、思い切り押してみる。しかし、岩はびくともしない。


 すると、マキュリウスがハイルの後ろから手を伸ばし、岩を押した。すると、それまでびくともしていなかった岩が大きな音を立てて動き、やがて谷底に流れる川へと落ちていった。


 ハイルは驚いたが、マキュリウスにとってそんなことは動作もないことだった。彼は美しく、聡明で、そして恐ろしいほどに強かった。


 岩の奥は穴が空いていて、広い洞窟になっていた。ランタンに明かりを灯し、彼らはその奥へと足を進めた。風が吹いているので、どこかに繋がっているのは間違いない。


 彼らは蝙蝠と挨拶を交わしながら、かなりの距離を歩き、やがて出口を見つけた。


 出口の先に広がっていたのは、洞窟に入る前と変わらない景色だった。赤土色の、荒れた渓谷。目の前は川になっていて、どうやらそこは河岸のようだった。


 しかし、次に彼らが遠くに捉えたのは、彼らが、とりわけハイルが求めていた光景であった。


 たくさんの魔物が、こちらに向かって移動していたのだ。


 小型が多いが、中型の魔物の姿もあった。


 しかし、どこか魔物達の様子がおかしかった。魔物達は移動しているのではなく、逃げていたのだ。


 それも、人間から。


 そんな中、ハイルの目が一匹の魔物に釘付けになった。先頭を走る、金の体毛を持つ中型の魔物。彼が探していた色ではなかったものの、彼は瞬時に、それがあの銀の魔物と無関係ではないことを悟った。


 彼は二つの剣を抜き、地面を蹴った。


 しかし、その時だった。


「待って、ハイルっ」


 フィルがハイルの顔の前で四肢を広げ、ハイルを止めた。


「あの人よ」


 ハイルの顔に戸惑いが浮かんだ。フィルはハイルの瞳の奥をじっと見つめた。


「あの先頭を走る人が、助けてって、そう言ってる」


 ハイルは理解出来ずに固まった。マキュリウスはフィルに訊ねる。


「あの魔物がそう言っているのかい?」

「うん。助けてって」

「魔物の声が、聞こえるのかい?」

「わからないけど、そう言っているのは確かよ」


 そう、それが彼女、フィルの力だった。彼女には、魔物の声が理解出来るという不思議なな力があった。


 自由に宙を舞うことや、とても小さな身体を持っていることも特殊な力と言えるのだろうが、その魔物の声が聞こえるという力は、この先の物語において、とりわけ重要な意味を持っていた。


 しかし、すぐに判明することになるが、彼女は全ての魔物の声が聞こえるというわけではない。むしろ、ごく限られた魔物の声しか、彼女は聞き取ることが出来ない。


 この場面においては、先頭を走る金の『彼女』の声だけを、フィルは聞き取っていた。


 ハイルは逡巡した。彼の迷いは当然の反応であった。通常、魔物を助けるという概念は人間には存在しない。生き物も殺さない博愛主義者ですら、弱っている魔物がいたらとどめを刺す。


 なぜなら、それは人間を守ることに繋がるからだ。それを見逃すということは、道に開いている大きな穴を知っていながら、知らぬふりをするのと同じ。


 人間にとって魔物は生き物ではなく災厄である。それがこの時の世界の常識であった。


 その状況下で、追いかける人間を手助けすることは考えても、追いかけられている魔物を助けるなど、通常考えられることではない。


 ましてや、彼にとっては尚更出来るはずがなかった。


 そう、魔物を人一倍憎む、彼には。


「どいて」


 ハイルはフィルの横を通り過ぎたが、フィルはもう一度ハイルの前を遮り、両腕を広げる。


「……フィル。どいてよ」

「どかない。どいたら何をするの?」

「あいつを殺す」


 フィルはハイルの顔に近付くと、その頬に向かって思い切り手を振った。僅かな肌を張る音は、川の流れに掻き消される。


「助けてって、そう言ってるのよ? どうしてそんなことが出来るの?」

「魔物は人間を殺す。魔物が村のみんなを、お父さんを、お母さんを殺したんだ。そんな魔物を人間が殺して何が悪い?」

「違うでしょ。村の人達を殺したのは、銀の魔物よ。あの魔物じゃない」


 ハイルは何も言い返せなかった。フィルはハイルの鼻を両手でそっと持つ。


「じゃあ、ハイルは村の人達や両親を殺したのが人間だったら、人間全てを憎んで人間を殺すの? 違うでしょ。人間にだって、私を捕まえて売ろうとする悪い人がいれば、ハイルのように助けてくれる人もいる。魔物もそうじゃないの?」


 ハイルはゆっくりと腕を下ろした。マキュリウスはハイルに向かって微笑みかける。


「フィルがあの魔物と話せるなら、殺すよりも助けて情報を聞いた方が得策じゃないかな。魔物の情報は魔物の方が知っているかもしれないし。ね?」


 ハイルは深く息を吸い、大きく頷いた。


 この時の彼らの判断は正しかった。もしもこの時、ハイルが魔物を殺してしまっていたら、彼らの旅はどうなっていたかわからない。もしかしたら物語の終わりへと繋がっていたかもしれない。


 そう、彼らは分岐点を間違わなかった。


 向かってくる魔物達が、ハイル達に気付いた。その目に、獣特有の殺意が浮かび上がる。そんな魔物達の前に、フィルが立ち塞がって叫んだ。


「あなた達を助けますっ。このまま何もせず、真っすぐ逃げてください」


 先頭にいた金の魔物の目から、殺意がすっと消えた。金の魔物は小さな雄叫びを上げると、フィルの言葉通り、ハイル達を襲うことなく通り過ぎていった。後続の小型の魔物達も、ハイル達に目もくれずに走ってゆく。


 その後ろから、馬に乗った人間の集団が追いかけてきた。立派な剣と盾、そして最新の鎧。完全武装した兵士達だ。


フィルは咄嗟にハイルの懐に隠れる。


 ハイルは人間達に向かって剣を構え、兵士達は馬を急停止させる。


「おいっ。どけよ糞ガキ」

「……向こうは襲ってきていない」

「ああ? 狩りの最中なんだよ。誰が一番多くの魔物を狩れるか勝負してんだっ。邪魔すんならぶち殺すぞっ」


 先頭にいた兵士は馬から降りると、光る剣先をハイルへと向けた。ハイルは二本の剣を交差させる。


「お前ら、先に行ってあの魔物どもを一匹残らず殺しとけ」


 兵士が顎を振ると、後続にいた兵士達は馬を走らせる。その瞬間、ハイルは跳躍して身体を回転させ、馬に乗る兵士の顔に蹴りを入れた。


 乗っていた馬が暴れ、それに混乱した他の馬達も取り乱し、後続の兵士達が次々と落馬する。

 

 フィルがハイルの懐から飛び出すと、一頭の暴れる馬に近付いた。


「お願いっ。私達を乗せて欲しいの」


 フィルがそう言うと、暴れていた馬が突然、落ち着きを取り戻した。


「ありがとう。さあ、二人とも早く乗って」


 フィルに言われた通り、ハイルとマキュリウスは急いで馬に乗った。ハイルはほとんど馬に乗った経験がなかったが、馬が彼らを運んだ。


「こっちよ。声が聞こえる」


 狭い谷底を縫い、馬は彼らを連れていく。入り組んだ峡谷を進むと、やがて開けた場所へと出た。そこは緑が生い茂り、荒野のオアシスを連想させるような場所であった。


 その中央に、『彼女』は待っていた。


 異様な雰囲気が漂っていた。彼女の周囲には、小型の魔物達がまるでハイル達を見張るかのように、並んで座って待っている。


 彼女が軽く手を上げると、魔物達は固くなっていた姿勢を崩した。


 彼女はフィルを見て、口許の触手を動かした。フィルは三本の尻尾を振りながら、まるで会話するかのように頷いた。


 そして振り返ると、フィルは微笑んだ。


「『ありがとうございました。あなた方は命の恩人です』って言っているよ」


 ハイルとマキュリウスは顔を見合わせ、互いに胸を撫で下ろした。



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