五十五話『勇者、僕』~美青年~
彼は束縛の町アロニアを出ると、二日間かけて次の町へと向かった。
しかし、彼が着いたそこには、町と呼べる町は存在しなかった。あったのは、高い城壁に囲まれた廃墟。家は滅茶苦茶に壊され、人の腐った死体や、血が固まった跡が、そこら中に散見された。
廃屋には、生きている人も僅かながらにいた。しかし、彼らからは生気が感じられず、彼の荷物を盗もうと襲う者や、生き残り同士で殺し合っている者達もいた。
そこには、既に秩序は存在していなかった。
その中でも特に酷かったのは、城の内部、玉座にあった死体だった。腐敗してそのほとんどが骨となった死体には、夥しい数の剣や槍が刺さり、そこには激しい怒りと憎悪が込められていた。
「……酷い」
彼の肩でそう言った彼女に、彼は言った。
「自業自得だよ。きっと」
その彼の言葉は正しかったのだが、彼女はとても悲しい目で彼を見た。しかし、それ以上に、彼はもっと悲しい表情を浮かべていた。
しばらくその場所を探索した彼らは、地下へと続く階段を見つけた。
彼がそこを下りるかどうか逡巡していると、階段から一人の青年が上がってきた。羽のついた緑の帽子に、空色の艶のある髪。すらりと長い手足に、知性が滲み出る佇まい。
それもまた、運命の出会いだった。
青年は絶世の美青年だった。白髪の少年も容姿端麗ではあったものの、青年の前ではそれも霞んでしまうほどだった。
青年が歩くと、荒廃した土地には花が咲き乱れ、青年が息をする度に風は踊り、青年の一挙一動全てが人の心に幸福を与える。青年は完璧であり、完全なる存在だった。
青年は彼を見上げると、首を左右に振った。
「この先には行かない方がいいよ」
「……どうして?」
「腐乱した人間の死体に興味があるなら、止めないさ」
彼は苦い表情を見せ、そして青年に訊ねた。
「この町は一体?」
青年は階段を上がると、壊れた窓から外を眺めた。
「疫病が蔓延したんだ。度を超えた法を敷き、次々と住民達を牢の中へと放り込んだ。やがて牢獄の管理が出来なくなり、劣悪な衛生状況の中で病気が広がり、そして暴動が起きた。それが、この有様さ」
後に、この廃墟の町サンアントを治めていたサンアント伯爵ことロバート・スチュアートは、悪法を強いて住民達を苦しめ、そして町を崩壊させた非道なる独裁者として世界に名を轟かせることになるが、それは少し事実とは異なる。
確かに、サンアント伯爵には人の上に立つ素質はなかっただろうが、後になって出て来た文献により、彼は政治や法に極めて無頓着だったということが確認されている。
つまり、彼は住民の声を全て聞き入れ、その声のままに政治をし、法を作ったのだ。町を崩壊させたのは、感情論による法の厳格化を望んだ住民達自身だったのだ。
無法地帯から厳法地帯となったアロニア。
厳法地帯から無法地帯となったサンアント。
この二つの町の目指すところはどちらも『自由』だったそうだ。
しかし、二つの町は結果的に自壊した。一体、何が間違っていたのか。それはまだ、法が未熟であるこの世界では、答えが出る問いかけではない。
ただ、その町の崩壊は、決して無駄ではなかった。
法、自由、道徳、倫理、感情、応報。
それらのパワーバランスが僅かでも傾くと、そのどれもが失われる。
そのことを、二つの町は身を以て証明したのだ。
青年は少年と共に町を出ると、彼にこれからどうするのかを訊ねた。彼は空を見て、僅かに首を傾げた。
「わからない。風が吹く先に向かう」
「風は気まぐれだよ」
青年は笑った。青年が笑うと、風も笑う。彼はその青年の美しい瞳を見て悟った。ああ、この青年と一緒に旅がしたいと。彼は青年に頼んだ。
「一緒に旅をして欲しい」
青年はその慈愛に溢れた寛大な心で、彼の頼みを受け入れた。青年は彼に手を差しだし、微笑んだ。
「自分でよければ、ぜひ。ところで、キミの名前は?」
「……ハイル。そっちは? どうして旅を?」
「マキュリウス・ゴメス・イ・カンサプーノ。旅に出たのは、世界の嘆きの声を聞いて回るため。それが神に与えられた自分の役目だから」
「長い名前」
青年は遠い空に浮かぶ雲を見上げた。
「この大陸出身じゃないんだ。故郷ではみんな名前が長かったんだって。マキュリウスでいいよ。周りもみんなそう呼んでいたから」
彼、ハイルは小さく頷き、「マキュリウス」と口の中で呟いた。




