五十一話『勇者、わたくし』~神秘の森~
森の中に足を踏み入れた瞬間、ラハットは何かを感じ取った。まるで森全体が一つの生き物になっていて、その内側へと入り込んだような感覚。
それが果たして正しい表現なのかはわからないが、とにかく、本来ならば決して入ってはいけない場所だというのだけは本能が理解した。
いつもは騒がしい仲間達も、森の中へと入った瞬間から言葉を発さなくなった。それがこの神聖なる場所では失礼にあたることを、みんな直感的に理解したのだ。
何に対して失礼なのか、それはわからない。だが、失礼であることだけはわかる。まるで、こちらの無意識の領域に語りかけられているかのように。
ラハットがこれだけ静かな時を過ごしたのは初めてだった。どんな場所にでも、必ず音は存在する。人がいなくても、そこには自然の音がある。それなのに、この森は異常なまでの静寂に包まれていた。
自分達が進む音すら、掻き消されているかのように聞こえてこない。時が凪いでいるのではないか。ふと、そんな考えがラハットの頭を過った。
深い森。生き物はいないのだろうか。足元には虫一匹の姿すらない。誰も道を知らないはずなのに、転々と葉の庇から零れる陽の光が、まるで道標になっているかのようにラハット達を誘う。
そして誰も、それに従うことを疑わない。生まれてきた時も、こんな感じでこの世界へとやってきたのだろうか。
やがて、水の音が聞こえてきた。それと同時に、ラハットの耳が森の音を拾い始める。淡い森の濃淡が、突然明瞭になったような気がした。
そこから少し歩くと、開けた場所に出た。滝が円い滝つぼに向かって、穏やかに流れている。
そして、ラハットの目が開かれる。岩が削られ、滝に向かって少し出張ったその場所に、勇ましく光る剣が待っていた。
全員が、ルインに視線を送った。
ルインは頷き、繋いでいたルダの手をそっと離し、剣の元と向かう。
ルインは振り返ると、唾を飲んだ。ラハット達も息を呑む。
ルインはそっと手を伸ばし、剣の柄を掴んだ。
そして、台座から勢いよく剣を引き抜いた。
ように見えた。
剣は台座に刺さったままだった。
勢い余って尻餅をついたルインにルダが駆け寄ろうとするも、カイがそれを止めた。ルインは自らの足でもう一度立ち上がると、再び剣を引き抜きにかかる。
だが、やはり剣は台座から抜けない。
しばらくして、ルインは小首を傾げた。
「びくともしませんわ」
ラハット達は顔を見合わせた。誰もが真顔だった。カイは台座に近付いていくと、そっと柄を握る。そして息を深く吸うと、勢いよく引き抜く。
まさか。
しかし、やはり剣は抜けなかった。
カイが目でラハットに来いと合図し、ラハットは剣に近付く。そして、二人と同じように剣を引き抜きにかかる。
しかし、剣はびくともしない。それを見て、カイは肩を竦めた。
「ま、一応全員、試しておくか。はい、並んでー」
仲間達は、律義に背の順で並ぶ。そして流れ作業のように一人ずつ剣を抜こうとするも、やはり誰も剣を抜くことは出来ない。後半はもうどうせ抜けないとわかっているからか、みんなかなり適当になっていた。
全員に勇者の素質がないことがわかったラハット達一行は、とりあえず円になって話し合うことにした。
「……というわけで、これで『ルイン様、勇者への旅』は幕を閉じることになるが、これからどうしようか?」
カイは全員の顔を見渡した。
「勿論、続けます。勇者にはなれなくとも、私達にも為すべき役目があるはずですから」
ラハットが即答すると、仲間達が口ぐちに同意を表明した。カイはルインを見る。
「ルイン様はどうする? グシウムに戻るかい?」
「いえ、わたくしも旅を続けたいですわ。だって、みんなで一緒に旅をするなんて、こんなに楽しいこと、他にないですもの」
仲間達は拍手をし、盛り上がる。
「カイはどうなのですか? カイは、旅を続けてもいいと思っているのですか?」
ルインがカイの目を見据えて訊ねた。みんな黙り込み、カイに視線が集まる。カイは驚いた表情で全員の顔をゆっくりと見渡すと、ふっと笑みを浮かべた。
「……俺の仕事は、ルイン様の護衛だからね。ルイン様が行くなら、どこまでもついていくさ」
兵士達はさらなる盛り上がりを見せ、カイは立ち上がり、手を叩く。
「さあ、じゃあとりあえず、パラメに戻って次の行き先を考えるか」
ラハットは笑みを浮かべてカイを見る。カイは少し照れ臭そうに、ラハットの肩を軽く小突いた。その時、「あっ」とルインが屈んで何かを拾った。
「見てください。こんなところに、木の実が落ちていますわ」
「ルイン様、それ、鹿の糞だよ」
森の中にルインの悲鳴が響き渡り、それを追うように、ラハット達の笑い声が森を駆け抜けた。




