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四十七話『勇者、わたくし』~ルダの戦闘~


 思わずカイが笑ってしまうほどの数。扉が閉まった音だけは微かに聞こえるものの、大量の魔物に遮られて、それを確認することも出来ない。


 むしろ、これだけの数の魔物をよく集められたなとラハットは感心してしまった。


 魔物は左右で合っていない視点をラハット達へと向け、その時を待っている。一匹でも踏み出せば、一斉に襲いかかってくるだろう。これは、さすがにカイと二人で何とか出来る数ではない。


 万事休す、か。


「ルダ。俺はもう何もしなくてもいいよな?」

「ええ。しばらくは」

「これだけあったら、充分だろ」

「はい。御苦労さまです。ですが、宜しいのでしょうか?」

「ああ。まあ、仕方がないだろう」

「わかりました」


 カイとルダの会話。ラハットに理解出来ない会話が交わされたあと、ルダが一歩前へと出た。一枚だけ羽織った布切れは随分と汚れてしまっている。


 しかし、一体何を。


 ルダは振り返ると、ラハットを見て微笑んだ。ラハットはその顔を見て、あの日、カカの村の夜空の下で、ルダと交わした会話を思い出した。


 オルデルス家が使用人をどういった基準で勧誘しているかを訊いた時、彼女は、はにかんだ顔でこう答えた。


『ああ、それはですね……、魔法が使えるかどうかですよ』


 魔法。グシウムでも、使える者が数えるほどsしかいない、未知で神秘なる力。オルデルス家が魔法を使えることを勧誘の条件にしているならば、それはすなわちルダも使えるということ。


 ルダは纏う布を片手で押さえながら屈むと、出来た血溜まりにそっと手を置いた。


「……ごめんなさい。あなた達は悪くないのに」


 ラハットはあの時、何も訊かなかった。どんな魔法を使うのか、どれだけの威力なのか、それならばカイも魔法が使えるのか。


 しかし、言わないということは言いたくないということかもしれない。そう思って、訊かなかった。だが、勿論気にはなっていた。


 おそらく今、まさに、ルダはその魔法を使おうとしている。


 ルダは魔物の血溜まりに掌をつけたまま、顔を上げた。見据えているのは魔物ではない。その上で偉そうに見下ろしている、人間達だ。


 一体の魔物が、僅かに腰を下げた。


 そして地面を蹴りだすと同時に、後続の魔物達も動き始めた。


 ルダの足元で、パキパキという音が鳴った。


 そこからは一瞬だった。


 まるで時間が止まったような錯覚。ラハットは目の前に広がる景色に、言葉を失った。


「……綺麗ですわ」


 ルインのその言葉が、きっと最も率直な感想になるのだろう。そう、確かにとても綺麗だ。全ての魔物の時間が止まり、ラハットの足元を冷たい風が抜けていく。


 それは、氷だった。


 薄紅色に染まった、大きな氷の塊。


 氷塊はシャンデリアが反射する光に照らされ、幻想的で、神秘的で、とにかく美しかった。海の下へと帰る太陽が去り際に見せるあの妖艶な輝きのように、理性を介さず、直接心に響いてくる。


 カイは氷の上に飛び乗ると、ルダとルインを引き上げた。


「さあ、道は開けた。行くぞっ。ラハットちゃんはルイン様を」


 カイは氷の上を走り出す。ルダは振り返ってにこりと笑い、カイを追いかけた。ラハットも氷を上がり、ルインの身体を抱きかかえる。


「揺れるかもしれませんが、お許しください」


 ルインは小さく頷き、ラハットの腕の中に収まった。小柄なのでとても軽い。下を見ると、氷漬けになった大量の魔物達が、赤い水晶の中で人形のように固まっている。全く動く気配はない。


 これが、魔法の力。


 ラハットから強張った笑みが零れた。


 予想していたレベルを遥かに超越している。あれだけの数の魔物を、一瞬で封じ込めてしまうなんて。


 前を走るルダの小さな背中を見る。これまでどこか身近に感じていたその存在が、とても遠くなったような気がした。


 氷の高さは充分に壁を越えるものだった。カイは一直線にミダスへと向かっている。この状況に観客達はパニックになっており、みなが一様に走り出し、押し合い、そして互いを罵り合っている。


 先程まであった余裕は彼らにはない。彼らは傍観者ではなく、当事者となったのだ。


 カイはミダスの元に詰めよると、その胸倉を掴んだ。ミダスは狼狽した様子で、小さくぶんぶんと首を振っている。


「ち、違うんです。これは、ただのショーでして、直前で止める予定だったのです」

「言いたいことはそれだけか?」


 カイは剣を振り上げた。光る刃先を見て、ミダスの唇が真っ青になる。


「ま、待て。お、お前、何をしようとしているのかわかっているのか? 私はペロー家当主、ミダス様だぞ。お前みたいな下々の民が私に手を出すなど、神が黙っては、」


 本性を表したミダスに、カイの剣を握る手が怒りに震える。


「カイ」


 それはルインの声だった。とても落ち着いた声。ルインはラハットに目で下ろすように訴え、ラハットはルインをそっと立たせた。


「カイ、いけませんよ」


 カイはふっと笑う。


「……わかっているさ。俺はこいつと同じレベルに下がるつもりはない」


 カイはそう言って剣を離すと、拳をギュッと握り締めた。


「では、ルイン様、一つお願いが。一発だけ、この手でこいつを殴らせてください」


 ルインはそっと目を閉じ、深く息を吐く。そして目を開くと、「いけません」と呟くように言った。それを聞いたカイはにやりと口角を上げる。


「あ、あ、わあ、あ、…………」


 ミダスは目を見開き、掲げられた拳を見つめながら声にならない声を漏らした。三人はじっと、カイの判断を待つ。


 結局、カイは拳を振り下ろさなかった。


 カイは拳をそっと開き、引き下げる。そして、ミダスを掴んでいた手を離すと、ミダスが座っていた椅子に向かって押し飛ばした。ミダスはふらふらと椅子へと倒れ掛かり、カイはミダスを見下ろした。


「殴らなかったのは、そんなものでは到底済む話じゃないからだ。この件に関しては、オルデルス家として、いずれきっちり対処する。それまで震えながら待っているんだな」

「陛下にも、勿論報告します」


 ラハットがそう言うと、ミダスは虚ろな目をラハットに向けた。


「……陛下、だと?」

「はい。私達は陛下の勅命で旅に出ています。この方々はオルデルス家、そして私は王室に仕える騎士です」


 それを聞いたミダスは身体から空気が抜けたかのように項垂れた。きっと、オルデルス家だけならばなんとかなるかもしれないと思ったのだろう。


 しかし、王室が関わってくるとなると、いくら資源が豊富で財力があるとは言え、ペロー家では太刀打ちすることは出来ない。


 ミダスは、完全なる敗北を悟ったのだ。


「あ、そうだ。忘れてた」


 立ち去ろうとしたカイが、ミダスに再び向かう。


「大事なことを訊き忘れるところだった。どうして俺達がオルデルス家の人間だとわかった? いや、それだけじゃない。俺が第一使用人であることまで知っていたのはどうしてだ?」


 ミダスは苦し紛れに、鼻で笑ってみせる。


「教える義理はない。それとも、今、ここで私をいたぶるかね?」

「……いや、そういう趣味はないんでね。答えないのなら、それでいいさ。大方、予想はついている」


 カイはそう言うと、出口に向かって歩き出した。ラハットはミダスの顔を一瞥し、カイのあとを追う。


 ラハットはカイの背中に問いかける。


「いいのですか?」

「いいさ。ああ見えても、一応はペロー家の当主。尋問されて喋るくらいなら、死ぬことを選ぶだろうさ。それに、ルイン様のことだけならともかく、俺が第一使用人であることまで知っているとなると、考えられるのは一つ」

「オルデルス家の者、ですか?」


 カイは頷く。


「そう。……一人、思い当たる奴がいる」


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