四十六話『勇者、わたくし』~痛覚~
ラハットは魔物達を見渡す。少なくとも、三十匹はいる。ラハットの額には汗が滲み、前髪が張り付く。手の甲で拭うと、べっとりと冷たい汗が付着した。
「それに、何だか様子がおかしい。何だ、あの目は?」
カイの言う通り、魔物達の様子が普通の魔物とはどこか違う。目の焦点が左右異なり、口許から出ている触手の動きもかなり激しい。息も荒いようだ。さらに、魔物達の顔からは、涎のようなものが垂れている。
「魔物に何かしたな。ラハットちゃん、これは本気でやらないと死ぬぞ」
「私はずっと本気です」
ラハットは鍬を強く握り締めた。
ミダスが高々と腕を上げると、小さな鐘の音が鳴り響く。観客達はこれまでで最大の熱狂を見せ、その叫び声がラハットの肌をピリピリと震わせる。
魔物達は一瞬の躊躇いも見せず、一斉に地面を蹴り、ラハット達に向かってきた。
カイは壁に沿って走り出した。半分以上の魔物が、カイを追って方向を変える。しかし、残りの半数はラハットに向かってきている。
ラハットは腰を低くすると、先頭の集団の足元を掃うように鍬を振り抜いた。先頭の四匹がバランスを失って転び、後続の魔物達の足が自然と緩まる。
「ルダさん、ルイン様を連れて離れてくださいっ。魔物に背中を見せないように」
ラハットの言葉通り、ルダはルインの手を引き、ゆっくりと壁沿いにラハットから離れていく。それに反応した魔物をラハットは鍬で殴り、ラハットへと気を向かせる。
魔物達は目の前で派手に動き回るラハットに目を奪われ、ルダ達が離れたことに気付いていない様子だ。
小型の魔物の視野はとても狭い。耳と鼻もそこまでよくはないので、気をこちらに向けさえすれば、しばらくルイン達は狙われないだろう。
しかし。
ラハットは深呼吸した。小型とは言え、剣もなしでこれだけの数をどうやって捌くか。いや、果たして捌けるのだろうか。
ラハットの視界の端ではシャンデリアの光を反射する剣先が見え、液体の上を走るような音が聞こえている。
「ラハットちゃんっ、血を流させるんだっ」
魔物の中から、カイの声が聞こえた。観客達の喧騒に紛れて聞こえ辛いが、確かにカイはそう言った。
「血、ですか?」
「ああ、そうだ。理由を説明している暇はない。とにかく、裂傷を与えて血を流させてくれっ」
よくわからないが、カイの言うことなので、何か大きな意図があるのだろう。ラハットは膝で鍬を真っ二つに折ると、それを両手で持ち、向かってくる魔物の身体を擦るように殴った。
何も考えず、とにかく飛び込んでくる魔物の攻撃を、攻撃で潰していく。
しかし、やはり数が多すぎて、次第に追いつかなくなってきた。そうなるとラハットは身体の向きを変え、急転換する。
横の動きに弱い魔物は一瞬、ラハットの動きについてこられず、少しの間合いが出来る。そしてまた、ラハットは体勢を立て直し、我武者羅に攻撃を繰り出す。
いつの間にか、歩く度にピチャピチャと音がなるほどに、地面には魔物の血が流れていた。ラハットは肩で息をしながら、先程から気付き始めた違和感に向き合った。
何かがおかしい。
どうしてこれだけ攻撃しているのに、ほとんどの魔物が倒れずに向かってくるのか。新たに魔物が補充されている様子はないし、攻撃が効いていないとも思えない。それなのに、一向に魔物の勢いは弱まらず、数も減らない。
小型の魔物については、狩りに同行していた時に嫌というほどその生態を見てきた。大体どれほどの強度があり、どれくらいの体力があるのか、実際にラハットが経験したわけではないが、それでも見ていればある程度はわかる。小型はここまで頑丈な身体を持っていない。
では、どうしてこの魔物達は倒れないのだろうか。ラハットは注意深く観察していると、やがてある事実に気が付いた。
本来ならあるはずのものが、この魔物達にはない。
ラハットはカイに向かって叫ぶ。
「カイさん、この魔物達、おそらく痛覚がありませんっ」
しばらくの無言。そのあと、「……そういうことか」とカイの声。
「ナイスだラハットちゃん。謎が解けたよ。なら、戦い方を変えないとな」
すると、カイの前にいた魔物達が一斉に姿勢を崩した。転がる魔物の前脚。カイが足を斬り落としたのだ。それはおそらく、最も効果的な攻撃だろう。痛みを感じないのなら、動きを止めるしかない。
ラハットは魔物との距離が空いたのを確認すると、振り返り、追いかけてくる魔物に身体を向けた。片方の鍬は折れてしまってもう使いものにならない。
ラハットが宙に向かってふわりと折れた鍬を投げると、魔物達の視線は一瞬、それに奪われる。その刹那、ラハットは先頭にいた魔物の前脚を思い切り横に蹴った。何かが折れるような音が聞こえる。
しかし、叫び声はない。
やはりそうだ。通常、魔物達は痛みを覚えると断末魔の如く叫び声をあげる。狩りの際もそうだった。騎士が追いかけて剣で動きを止める際、平原には魔物の叫び声が響き渡り、いつもラハットはそれを聞くのが嫌で、隠れて耳を閉じていた。
だが、今、目の前にいる魔物達は、痛みを与えても全く声を出さない。観客達の声に隠れていて、なかなかそれに気付くことが出来なかった。
一体、どういった方法で痛覚を鈍らせたのかは、ラハットにはわからない。しかし、その焦点の合っていない目や、異常なほどの打たれ強さからするに、非人道的な何かを施したのは間違いないだろう。
それも、こんな外道な娯楽のために。
転がる魔物の遺体。
足元を埋めつくす血溜まり。
発狂する人間達。
優雅に見下ろす権力者。
ラハットの中に流れる血が急速に速度を上げ、やがてそれはラハットにあった何かを弾き飛ばした。
ラハットは腕をだらりと下げると、身体を低くし、向かってくる魔物達に自ら声を上げて突っ込んでいく。
これまで受けるばかりだったラハットが急に威勢を上げて向かってきたからか、魔物達は一瞬、身体を硬直させた。
ラハットはその隙を見逃さず、一番近くにいた魔物の魔中を突いた。魔物が気を失って後ろ向きへと倒れると、ラハットは間髪入れずに、隣にいた魔物の魔中を突いた。
二体が気を失ってようやく、他の腰が引けていた魔物達が構えを見せた。
これでも、まだ十匹は残っている。さすがのカイも数に苦戦しているようで、なかなかカイを囲む魔物の数は減らない。しかし、不思議とラハットに焦りはなかった。
ラハットは魔物が飛び込んできたのをかわすと、その後ろで気を抜いていた魔物の魔中を突いた。そしてすぐさま振り返り、突っ込んで体勢を崩している魔物の首を掴んで振り向かせ、また魔中を突いて気絶させる。
見える。
魔物の動きが、まるで少し遅くなったような感じ。そして、どのタイミングで、どう筋肉を動かせばいいのか、考えなくとも、無意識に身体が動いてくれる。
血の海の上に、一匹、また一匹と魔物が沈んでいく。カイはやはり強いようで、視界の端に見える魔物の群れからは絶え間なく血飛沫が上がっている。グレイブだけでなく、使い慣れていない剣も扱えるのはさすがだ。
ここでラハットはカイの魔物に血を流させろという指示を思い出す。しかし、それはきっと持久戦を見越してのこと。気絶させられるのなら、それで構わないだろう。
その時、長い鐘が鳴り響き、魔物達が動きを止めた。
今度は一体、何だろうか。
ラハットが見上げると、ミダスが大きな拍手をラハットとカイに向けて送っていた。観客達は手を叩かない。
「いやはや、素晴らしい。改造済みの魔物三十匹相手にひけをとらないとは。オルデルス家の名は伊達じゃありませんね。しかし、そろそろ皆さんも人間の血が見たい頃でしょう。ここらで、終わりにしましょう。では、本当に最後の狩りをお楽しみあれっ」
静寂からの大歓声。ラハットはその坩堝の中心で、魔物と戦うという娯楽を彼らに見せてしまっている。状況から仕方がないとはいえ、ラハットはそれが悔しくてたまらなかった。
短く、大きな鐘の音。
五つの扉が開き、小型の魔物が大量に出てくる。あまりの数に、端に寄っていたルダとルイン、そしてカイがじりじりと下がり、ラハットの元に四人が集まった。
後ろは壁。前に進む気はあるのに、戦う気はあるのに、足が前に出ない。
カイが引きつった笑みを浮かべる。
「……いや、さすがに多すぎでしょ」




