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四十五話『勇者、わたくし』~ショーの始まり~

 高い壁に覆われた円形の闘技場。天井には絢爛なシャンデリアが吊るされ、反射する光が窪んだステージを照らしだしている。


 それを見下ろすのは、ステージを取り囲む大勢の観客達。暗くて顔はよく見えないが、聞こえてくる狂乱の歓喜からは品性の欠片も感じられない。


 ラハットが状況を把握するのに数秒、そして把握した時、カイは既に走り出していた。ラハットが足を動かした瞬間、ラハットは背中に大きな音と突風のような衝撃を感じた。


 振り返ると、入ってきた大きなドアが閉められていた。


 カイは全速力で魔物に向かうと、その剣で魔物の身体を真っ二つに切り裂いた。赤紫の魔物の血がカイの全身を覆う。カイはそれを拭うこともせず、ルインの元へと向かい、その肩に手を添えた。


「ルイン様、怪我は?」


 ルインは涙を浮かべながら、魔物の血に染まったカイの胸元に顔を押し付けた。カイはその頭を優しく撫でる。


「ごめんな。怖い思いをさせてしまった」

「いえ、大丈夫です。きっと、二人が助けにきてくれると信じていましたから」


 カイはぎゅっとルインを抱きしめると、そっと身体から離し、ルダを見た。


「まだ何もしていないのか?」


 ルダは力強い目で頷く。


「はい。ギリギリまでは待つと決めていました。わたしも、お二人が来てくれると信じていましたので」


 ルダはラハットを一瞥し、そして微笑んだ。どうやらこの状況でも、ルダにはまだ余裕があったようだ。


 ラハットは二人の腕を縛っていた布を解くと、全方位を囲んでいる客席を見上げた。一箇所だけ、開けたスペースがあり、そこには椅子に座る人影が一つ見えている。


 影を見るだけでも、その傲慢さが窺える。


 ミダスだ。ラハットは確信した。


 影はゆっくりとした動作で立ち上がると、手を叩いた。それを追うように、観客達も拍手をする。やがてその人影がこちらへと近付くと、その姿がシャンデリアの明かりの下に露わとなった。


 重たげな白髪、いかにも貪欲そうなぎらついた目、鋭利に尖った鼻に、こけた頬。その薄い唇は歪んだ笑みを浮かべている。


「まさかそちらから来てくださるとは。待っていてくだされば、こちらからお迎えに上がりましたのに。オルデルス家の方々にご足労をかけさせしまったとは、とんだ無礼をお許しください」

「ミダス、お前、何をしているのかわかっているのか?」


 カイが鋭い目で睨み上げた。ミダスは鼻を鳴らすと、顎に手を当てた。


「私が誰だかご存知のようで。まあ、ここが誰の屋敷であるかを考えると自ずとわかりますか。……では改めて。初めまして、オルデルス家第一使用人のカイさん、ルダさん。そして御息女ルイン様。私、ペロー家三代目当主、ミダス・ペローと申します」


 ミダスが敬礼すると、観客達から歓声が上がる。ミダスが軽く手を上げると、その歓声が止み、ミダスは次にラハットに視線を向けた。


「さて、そちらは何方でしょうか。存じ上げませんが」


 ラハットが答える前に、カイが半歩前へと出た。


「待て。お前、どうして俺達の名前を知っている? いや、それだけじゃない。どうして俺達がオルデルス家の者だとわかった?」

「神の声、ですよ。神は全てを知っていらっしゃる」

「ふざけるなっ」


 カイの怒号に、観客達から笑い声が漏れる。ミダスが手を上げると、そのざわめきはぴたりと凪ぐ。


「失礼しました。来ていただいてもてなしをしないのでは、御怒りになるのも当然。では、無礼を詫び、極上のもてなしをさせていただきましょう」


 ミダスが手を掲げて指を鳴らすと、鎖を引くような音が聞こえ、闘技場の壁の一部がゆっくりと上がっていく。どうやら、扉になっているらしい。扉が開いた奥には暗闇が広がり、不気味な蠢きが感じられる。


「まずはこれくらいでしょうか」


 ミダスがそう言うと、暗闇の奥から、三匹の小型の魔物が現れた。カイはルダにルインを預け、ラハットを手招きした。ラハットは頷き、魔物に向かう。


「では、ショーのスタートですっ」


 ミダスの声と共に短い鐘が鳴り、再び観客達が雄叫びのような歓声を上げる。魔物達三体はゆっくりと間合いを詰め、先頭に立つカイを見据える。カイは黙ったまま剣を手の中で転がし、その瞬間を待っている。


 一匹の魔物が地面を蹴った瞬間、カイは左へと移動し、ルダとルインから遠ざかる。二匹の魔物が本能的にカイを追いかけ、もう一匹がルダとルインへと向かった。


 ラハットはルダとルインの前に立つと、飛び込んでくる魔物の足を鍬で掃った。バランスを失った魔物は横向きに倒れたあと、起き上がろうとする。しかし、ラハットが魔物の太ももの根を鍬で押さえているので、魔物は起き上がることが出来ない。


 ラハットはそのまま、魔物の鼻と口の間、魔中と呼ばれる部分に鍬を突き立てた。小型の魔物には、魔中に強い衝撃を与えると気絶するという性質がある。魔物は数秒間痙攣したあと、やがて動かなくなった。


 ラハットは振り返り、身体を強張らせるルインに微笑みを向けた。


「大丈夫です。気を失わせただけなので」


 そう言ったと同時に、後ろで何かがばたばたと落ちるような音がした。見ると、カイの周辺に、バラバラになった肉の塊が散らばっている。


 ルインはそれを見て、ぎゅっとルダの腕を掴んだ。彼女の目には、この光景がどう映っているのだろうか。


 三匹の魔物を倒すと、観客からは落胆の溜息が漏れた。やはり、こちらを応援しているわけではないらしい。ミダスは椅子へと座ると、そのまま手を上げた。


「さすがはオルデルス家の使用人。これくらいはわけもないでしょう。ですが、これではどうしょうか?」


 口を閉じていた壁のドアが、再び上げられる。その奥から、今度は十匹はいるだろうか、小型の魔物がぞろぞろと連なって出て来た。


「さあ、か弱い乙女達を守りながらのこの数。果たしてお二方は、どんなショーを見せてくださるのでしょうか? 楽しみですね」


 ミダスの言葉が終わると、短い鐘の音。そして観客の歓声。どうやら、これがこのショーの始まりの合図のようだ。


「……ラハットちゃん、半分は任せたぞ」

「わかりました」


 ラハットは地面をしっかりと踏み、口を窄めて腹の底から息を吐いた。


 次の魔物達は、出てくるや否や、目についたものになりふり構わずに突っ込んでくる。ラハットは全神経を集中させ、本能に身を委ねる。


 さすがにこの数だと、気を失わせている余裕はない。とにかく、ルイン達の下に魔物が行かないよう細心の注意を払いながら、向かってくる魔物達を倒していく。


 一匹、二匹と順調に倒し、三匹目、体勢を崩しながらもなんとか顎に鍬を振り抜き、魔物は動かなくなる。


 ラハットが息を整えようとしたその時、同時に三匹がラハットの方へと向かってきた。そのうちの一匹は、ラハットの背後、ルイン達に視線を合わせている。


 ラハットは迷わず、ルイン達を狙っている魔物の足を掴み、そのまま地面に叩きつけた。残りの二匹の攻撃は避けられない。そう思った時、目前まで来ていた二匹の魔物の身体が四つに分かれた。


 その後ろに、身体を赤紫に染めたカイの姿。


 縦に斬られた魔物が、ラハットの傍に落ち、足元をその血と臓物で染める。


「ルイン様、俺は正しいか?」


 震えるルインに、カイは問いかけた。ルインは見開いた眼差しでカイを見上げる。


「もしもルイン様がこれ以上何もするなと言うのなら、俺は剣を捨てて指一本動かさない。俺はルイン様の命令に従う。もう一度聞く。俺は正しいか?」

「カイさんっ、それは、」

「……正しいです」


 ラハットの言葉を、ルインが遮った。


「ルイン様……」


 ラハットがルインを見ると、ルインは真剣な眼差しでカイを見据えていた。


「わたくしは、いつだってカイが間違っているとは思いません。ですが、この魔物達は可哀想です。この子達は、きっとこんな死に方をする運命ではなかったはずです。きっと無理矢理連れてこられ、このような下劣な見世物のために使われて……。本当に可哀想です」


 ルインは顎を上げ、真っ赤な目でミダスを睨みつけた。ラハットは初めて、ルインのこのような顔を見た。


 怒っている。それも、純粋な怒り。


 ルインの顔はみるみる赤くなり、拳は握られ、そしてその小さな口が開かれた。


「わたくしは例え魔物に命を奪われたとしても、魔物を恨みはしません。しかしその時、わたくしはここにいる方々を絶対に許しはしないでしょうっ」


 それを聞いたカイは柔らかな笑みを浮かべ、ルインの頭に柔らかく手を乗せた。


 ラハットは確信した。カイの言う通りだ。この子のこの穢れのなさは、いつか必ず必要になってくる。何に代えても、この子を守らなければ。


 静まり返っていた観客達が、少し遅れて一斉に笑い始めた。ミダスも大きな口を開けて笑っている。「なんですのっ」と怒るルインを、ルダが宥める。


 ミダスは両腕を広げると、「さあ」と太い声を響かせた。


「面白い余興が見られたところで、そろそろクライマックスといきましょう。オルデルス家の臭い人情劇が、暴力、暴力、暴力で蹂躙されるのです。皆さま、偉大なる神と、そしてこの場を設けた私、ミダス・ペローへと盛大なる拍手を」


 地響きのような唸り声が轟く。


 ラハットは、彼らに対して憐れみの感情を抱いた。きっと、彼らはそれなりの地位と名誉を持ち、他の様々な遊びに飽きた末にここへと辿り着いたのだろう。


 居場所を探し求めて行き着いた先がこの薄暗い腐った地下だなんて。


 次に開いたのは、一箇所ではなかった。三箇所の扉が開き、そこから小型の魔物がぞろぞろと出てくる。


 八、九、十、いや、それどころではない。それの何倍もの数の魔物が、暗闇から身体を揺らして向かってくる。


「これは……、まずいな」


 カイが初めて、後退りした。

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