四十四話『勇者、わたくし』~侵入~
突如として現れたラハット達に、女性達の悲鳴が上がるも、カイは一切気にした様子はなく東の地区を駆け抜ける。
ラハットはどこに視線をやっていいのかわからず、とにかくじっとカイの靴を見続けて走った。
するとカイが突然止まり、立ち尽くしていた一人の女性に近付いた。布を一枚纏った女性は、突然現れた男二人に驚いて固まっている様子だ。
「お嬢さん、一つお聞きしても宜しいでしょうか?」
カイに優しく訊ねられた女性は、驚きながらも、顎を引いて小さく頷いた。
「小さな二人組を見ませんでしたか? 一人は菫色の髪を背中まで下ろしていて、もう一人はオレンジの髪です」
すると、女性はゆっくりと屋敷の方を指差した。
「それならば、先程、兵士さん達があの屋敷へと……」
カイは屋敷を見たあと、ラハットに視線を向けた。ラハットは頷き、身体を屋敷へと向ける。
カイは肩膝をつくと、女性の手の甲にそっと口づけをし、「ありがとうございます」と気障な台詞を残して走り出した。
女性は耳を赤く染めながら、身体を小さくさせている。ラハットは軽く頭を下げると、カイの背中を追いかけた。
「どういうことなのでしょうか?」
「わからない。だが、もしかしたら、ルイン様がオルデルス家の令嬢であることがばれたのかもしれない。それで、浚われた」
「どうしてばれたのでしょうか?」
「それはわからない。ルダが傍についていてそんなヘマを犯すとは思えない。ルイン様が自ら言ったのかもしれない。いや、どうしてだ? ああ、わからない。くそっ」
カイが珍しく取り乱している。それほど、まずい事態ということだろう。ラハットは唾を飲み込み、腰に手をやる。
しかし、そこでラハットは剣を帯刀していないことに気が付いた。そうか、荷物を預けてあるのか。ということは、カイもグレイブを持っていない。
ラハットは背中に、嫌な冷たさを感じた。今、ラハット達は武器どころか、防具すら持っていない。そんな中、ペロー家の屋敷へと飛び込んでいいのだろうか。
しかし、カイは止まる様子もない。気が動転して冷静さを欠いているのか。色々と考えを巡らせていると、ラハットも混乱してきた。
すると、カイが少し道を逸れ、住宅街へと入った。そして、干してあったチュニックを二枚取ると、そのうち一つをラハットへと投げた。
「これだけでも着ておいた方がいい。あとは武器になるもの……」
カイは周囲を見渡すと、壁に立てかけられていた木製の鍬を二つ手に取り、その内の一つをラハットへと渡した。
「……さすがに、斧なんかが都合よくあったりはしないか。木製だがないよりはマシだろう。あとは気合いで何とかなるさ」
カイはチュニックを手早く着込むと、すぐに走り出した。ラハットも急いで袖を通し、追いかける。どうやら、カイは逼迫した状況に慌ててはいるものの、冷静さを欠いているわけではないようだ。
やがてペロー家の屋敷が見えてくると、カイの足取りが止まった。そして、カイが手で屈むようにジェスチャーを出し、二人は腰を低くした。
「屋敷にも小さな城壁を構えているのか。随分と外部からの敵を警戒しているな」
屋敷の周りに城壁、さらにその前には大きな門前堀があり、そこから湯気が出ているのが見えた。堀に湯が張られているのだろうか。おそらく、湯で出来た堀など世界中を探しても他にないだろう。
「門番は一人。しかし堀の向こうか。厄介だな」
堀には渡る道はなく、城に備え付けられた橋が下ろされることによって、渡ることが出来る仕組みになっている。侵入者を阻むための簡単で効果的な装置。
ペロー家は、よほど外部からの侵入を許したくないようだ。
「跳んで渡れますか?」
「跳ぶ? 馬鹿言っちゃいけないよ。見るに軽く十メートルはある。羽でもない限り、跳び越えるのは無理だ」
「なら、泳いで渡るのは?」
「本気で頑張れば上がれるかもしれないが、上にいる兵士の恰好の餌食になるのは目に見えている。いや、でも、他に方法はないか。この鍬を使ってなんとか兵士を引き摺り下ろして……、待て。誰か来る」
カイがラハットの頭を押さえ、身体を低くした。
坂を上ってくる赤と青の服。ペロー家の使用人だ。
カイとラハットは急いで物陰に隠れ、その二人をやり過ごす。二人の顔からは、どこか焦っている様子が窺える。カイが「チャンスかもしれない」と呟いた。
使用人二人は身ぶり手ぶりで堀の向こうの兵士に何かを伝えると、兵士は門の中に向かって指示を出した。そして、鎖が擦れるような音と共に、上がっていた橋が徐々に下がっていく。カイの言う通り、これは絶好のチャンスだ。
「堀が下がりきって、あの二人が橋に足を乗せた瞬間に飛び出す。俺は中にいる橋を下ろした奴をやるから、ラハットちゃんは外の三人を止めてくれ。出来るかい?」
「あの三人なら、何とか」
カイは「オッケー」とラハットの肩を軽く叩くと、橋に視線を戻した。そして、使用人の二人が橋へと足を踏み出した瞬間、ラハットとカイは全速力で橋へと向かう。
最初にラハット達に気付いたのは、青い服を着た使用人の男性だった。そのあと、兵士、赤い服を着た女性の順番に振り返る。
ラハットはカイの前を走り、青い男性を橋から堀へと突き飛ばすと、そのまま兵士へと向かう。兵士は突然の出来事に頭が真っ白になっているのか、腰にある剣を抜かずに拳を握って構えの姿勢を見せた。
剣を持たないなら簡単だ。ラハットは一気に間合いを詰め、兵士の喉に目がけて腕を伸ばした。その間に、脇をカイが通り過ぎる。
ラハットは思い切り兵士の身体を引き寄せると、そのまま足を払って床へと押さえつけた。そして兵士の腰にある剣を抜くと、それを兵士の喉元へと突きつける。
赤い服を着た女性は、恐怖に慄いて腰を抜かしてしまったらしく、橋の上でへたり込みながら、口をぱくぱくと動かしている。しかし、声は出ていない。
「私たちの仲間の女性二人はどこですか?」
兵士はここでようやく状況を把握したらしく、目を逸らして大きな舌打ちを鳴らした。
「知らねえよ」
ラハットは刃先を兵士の首へと当てる。兵士の唇が小刻みに震えている。
「ここに来たのはわかっています。二人はどこですか?」
「お、俺は何も知らない」
その時、城の中からけたたましい悲鳴が聞こえてきた。カイの仕業だろう。それを聞いた兵士の顔が、真っ青になる。
「答えれば、私は彼のようなことはしません。話してください」
あとを追うように、もう一つの別の人物の悲鳴。それを聞いた兵士は僅かな葛藤を見せるも、強く目を閉じて口を開いた。
「ミダス様のところだよっ」
ラハットは笑みを浮かべ、剣を兵士の首元から離した。
「ありがとうございます。そして、少し失礼します」
ラハットはそう言うと、兵士の腰に剣を戻し、そのまま兵士の身体を掴んで堀に張られた湯の中へと投げ捨てた。
兵士のラハットに対する罵倒の声が、水面に落ちる音で掻き消される。腰を抜かした女性は、涙を浮かべながらラハットを見つめている。
「大丈夫です。私は女性には手をあげませんので」
女性はぽっかりと開いた口で、なぜかラハットに「あ、ありがとうございます」と礼を言い、堀の下でもがいている二人を覗き込んだ。そこまで深くはなさそうなので、溺れて死ぬことはないだろう。
ラハットが門を潜ると、カイが既に仕事を終えて待っていた。
「まさか、殺したのですか?」
「いや、面倒だから足をちょっとね。大丈夫さ。一カ月も安静にしてれば、くっつくでしょ。多分」
くっつく。ラハットはカイが何をやったかは聞かないことにした。とりあえず、隠密ではないにしろ、屋敷に入ることは出来た。
おそらく誰も取り逃がしていないので、中にラハット達が侵入したという報告は入っていないだろう。
そのまま進むと、大きな吹き抜けの広間に出た。正面にあるのがおそらく居館だろう。屋敷の外装も内装も、とにかく装飾が派手に施され、ただでさえ珍しいガラス窓には花柄の模様がついている。様式はこの国のものと、他の文化が混ざったような感じ。建物の先端が半月になっているのが特徴的だ。
カイは迷わず、居館の建物へと進んだ。
「あれだけ重厚な城壁を構えているんだ。中の警備は薄いはず。二人を捜索するより、主を人質にとってしまった方が早い。何て言ったっけ」
「ミダス・ペローです」
「そうだ。問題はそいつがどこにいるかだ。とにかく、まずは適当に誰かを捕まえて、そいつに吐かせようか」
カイはそう言うと、適当に廊下を走る。言葉だけを聞いていると、まるで自分達が悪党のように思えてくるが、ルインとルダを浚ったペロー家を許すわけにはいかない。
ましてや、ラハットがついていながらルインの身に何かがあったら、ラハットは王に顔向け出来なくなってしまう。ここは何としてでも、ルインを守らなければいけない。ラハットの手に自然と力が入る。
分厚い絨毯の上を走りながら、ふとカイがラハットを振り返った。
「ちょっと待って。ラハットちゃん、どうして剣を持っていないんだ?」
「え? テュクスに入った時に預けてしまったので」
カイは立ち止まり、真顔でラハットを見つめた。そして、手に持っている剣を掲げる。
「いや、兵士の剣、あったでしょ」
ラハットはとんでもない失態に気が付いた。そうか。あれを取ってこればよかったのだ。ラハットは律義に、兵士の腰についていた鞘へと戻してしまった。
カイは天を仰ぐと、呆れたような目でラハットを見た。
「ずっと思っていたけどさ、ラハットちゃんって、ちょっと抜けているよね」
「私は、そんな……」
「ま、いいよ。相手が人間だったら、どうせラハットちゃん剣を振れないだろうし。木製の鍬なら、よっぽどじゃない限りは死なないから、却ってそれで思い切り戦ってくれた方がいいかもしれない」
カイは一人頷くと、再び走り出した。
「でも、俺はいざとなったら人間でも殺すからね。ルイン様を守るためなら」
カイの冷たい声。
「……わかっています」
ラハットの返事は、重く絨毯へと沈んでいった。
宮殿ならば、一階は大広間など社交場としての機能があり、二階は王のプライベートスペースとなっている。しかし、ここはどうなっているかはわからない。カイは止まらずに走っているが、おそらく闇雲だろう。
この広さの中、もしも侵入がばれて騒ぎになると、二人を救出する前になんらかの対処をされる可能性もある。もしかしたら、その時点でルインとルダの命が奪われるということも有り得なくはない。
出来るだけ迅速に二人を見つけなければ。
ラハットの中で焦る気持ちだけが増大していくその時、突然カイが足を止めた。
「どうかしましたか?」
ラハットの質問には答えず、カイはそっと屈んで何かを拾った。それを窓辺に近付けて掲げると、カイは片目を閉じて観察し始めた。やがてカイの目が大きく見開かれる。何かわかったのだろうか。
カイは立ち上がると、きょろきょろと首を左右に動かして、絨毯の上を凝視する。そしてまた屈むと、今度は糸のようなものを拾ったのがラハットにもわかった。
「間違いない。これはルダの髪だ」
ラハットがカイの手にあるそれを見る。オレンジの髪。ラハットはカイと顔を見合わせ、そしてすぐさま他に落ちている髪を探す。絨毯の色が赤いので、なかなか見つけることが出来ない。
「あった。これだ。等間隔に落ちているな。……そうか。ルダの奴、こんな目印を落としていたのか。きっと門からあったんだろう。気付くのが遅れた。俺のミスだ」
カイは小走りで歩きだす。そしてまた屈むと、オレンジの髪の毛を拾う。やがて絨毯が途切れると、その髪はまるで光る目印のように、遠くからでも見えるようになった。
二人の足取りがまた早くなる。
「さすがはオルデルス家の使用人だ。これで足取りが掴める」
ラハットはカイを見た。確かにこれを残したルダも凄いが、何よりも発見したカイの集中力に感服した。ラハットは焦りから頭の中に意識を持っていかれ、周りを見ることなんて全く出来ていなかった。
偉そうにカイの心の動揺を心配していたが、浮き足立っていたのは自分の方だった。
やがて、その髪の毛はある場所で途切れていた。
地下へと続く階段。
風が吹き上がっているのか、螺旋状に空いている穴からは、空気が擦れるような重い音が聞こえてくる。
「ここだな。ラハットちゃん、急だから足元、気を付けて」
カイの言う通り、階段はかなり急だった。明かりもついておらず、壁に手を這わせながらでないと下りられない。しかし、下りきってしまうと、とても広い廊下へと出た。
遠くに、僅かながらだが明かりも見える。人がいるのだろうか。
「牢ではなさそうだな、それに、何だか地響きのようなものが聞こえない?」
ラハットは耳を済ます。地響き。地響きは聞こえないが、喧騒のようなものは聞こえる気がする。
「わからないですが、誰かはいますね」
「ラハットちゃん、嫌な予感がする」
「私もです」
そこからの道は長い一本の廊下が続き、やがて大きなドアへと突き当たった。その前に小さなドアもあったが、そこは鍵がかかっていて開かなかった。
「この奥から音が聞こえるな。……人の叫び声か?」
カイの言う通り、大きなドアの向こうから何やら人の気配がする。それも、とても大勢。
大きなドアは、こちら側からかんぬきがかけられていた。カイはそっとかんぬきを持つと、それをスライドさせてドアを勢いよく押し開けた。
まずラハットを襲ったのは、耳をつんざくような大勢の人による歓声。耳の奥が震え、ラハットは反射的に奥歯を噛みしめる。
次に、飛び込んできた衝撃の光景。
手を縛られたルダとルインに向かって、小型の魔物が今にも襲いかかろうとしていた。




