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四十二話『勇者、わたくし』~ルインの素質~



 都市テュクスは、門から入るとすぐに上り坂になっていて、連なる店を中央に挟んで左右に道が分かれている。


 左側には布を一枚巻いた男性が往来し、右側には女性が歩いている。中には布を纏っていない人もいるので、そのあたりの規則はあまり厳しくないようだ。


 青と赤の花柄チュニックは、どうやらペロー家の使用人の制服らしい。街のところどころに使用人と兵士が立っていて、往来する人々を見守っている。いや、監視していると言った方がいいのだろうか。


 上り坂のずっと奥には、立派な屋敷の丸い先端が見えている。きっと、あれがペロー家の屋敷だろう。さすがにグシウムの宮殿に比べると規模は段違いに小さいが、それでも一貴族が構える屋敷の中では、かなり大きな部類に入るのは間違いない。


 ラハットとカイはどうすればいいのかわからず、二人して周囲を見渡しながらゆっくりと坂を上がった。こうして街の中を布切れ一枚で歩くのはあまりに無防備で、ラハットはどうも落ち着かなかった。


 ラハットは周囲に目を配らせ、その新鮮な光景に感心する。


「入浴にマッサージ、葡萄酒に、蒸し風呂ですか。グシウムにもここまでの入浴施設はなかったので、どうしていいか勝手がわかりませんね」

「それに売春もね」


 カイはそう言うと、横目でラハットを見た。その口許には、薄っすらと厭らしい笑みが浮かんでいる。ラハットは耳が熱くなるのを感じながら、コホン、と空咳をした。


「酷いですよ、カイさん。ルイン様への説明を私になすりつけたりして」

「いやいや、ああいうのは堅物のラハットちゃんがやる方がいいんだって。俺みたいなのが説明すると、ルイン様は却って興味を持ったりするんだよ」


 ラハットは納得いかないも、そこで溜飲を下げた。これ以上、この話題を膨らませたくはなかった。


 風呂の歴史は意外にも深く、数百年前から人々は風呂を楽しんでいたと言われている。


 身体を清潔にする目的から、入浴しながらの団欒を楽しんだり、サウナがあったりと、浴場はかつてから娯楽の場として機能していたのだが、公衆浴場の多くが混浴であったためか、次第に風呂は売春業としての側面を強く持つようになり、やがて殺人や強盗などの事件も頻繁に起こるようになった。


 すると、次第に入浴は神への冒涜であるという風潮が高まり、魔物が出る少し前から入浴の文化は衰退し、多くあった施設も廃れていった。しかし、世が平和になり、再び人々の関心が文化へと向かうと、入浴施設は徐々に再興し始める。


 男女で分けられ、中には既婚男性や若い女性の入浴を禁じるなど、売春としての面を取り除き、そして現在、入浴は一つの健全な文化として復活している。


 そうして売春としての機能はなくなったとは言うものの、それはあくまで目に見える部分のことであり、水面下ではまだその悪習が跋扈しているのも事実だ。


 むしろ、規制したことによって昔よりも売春業が増えたなどとも言われており、現にあの兵士の口ぶりからするに、おそらくここテュクスでもどういう形であれ、そういった商売が為されているのだろう。


 以上の説明を好奇心の塊であるルインに説明すると、それ以上の厄介な質問が飛んでくるのは目に見えており、カイはラハットにその役目を振り、ラハットは適当な嘘を吐かざるを得なくなったのだ。


 ルインに嘘を吐くのはラハットとしても後ろめたさがあるものの、あれは必要な嘘だったとラハットは自分に言い聞かせた。


 湿った石の道を上りながら、ラハットはどこに入るか逡巡する。


「まず、どうしましょうか?」

「とりあえず、こっちに行ってみよう」


 そう言って、カイは混浴があると書かれている中央部分へと向かう。ラハットはカイの腕を掴み、「駄目ですよ」と窘める。カイはつまらなさそうに唇を尖らせると、「じゃあ適当に入ろう」と肩を竦めてみせた。


 比較的空いていた屋内の公衆浴場に入り、ラハットとカイは並んで広い湯の中に浸かる。


 うとうととまどろんでいる男性やぐびぐびと湯を飲んでいる男性、楽しみ方が人それぞれで見ていて面白い。そんな中、カイは向こうの壁まで軽く泳ぎ、そして戻ってきた。


 普段、厚い外套に身を包んでいるからわかりにくいが、こうしてカイの身体を見ると、相当に鍛え抜かれているのがわかる。


 そうでなければあれだけの戦闘をこなすことは出来ないな、とラハットは納得し、そして自身も頑張らねばと己を鼓舞した。


「ルイン様、大丈夫でしょうか?」


 ラハットは髪を手で上げ、隣のカイに訊ねた。カイは壁に背中を預けると、首を左右に傾けて耳の中の水を出す。


「まー、大丈夫だと思うよ。ルダがついているし。素性さえばれなければ、なんともないでしょ」

「ルイン様、はしゃいでおられましたね」

「オルデルスの屋敷にいた時も屋敷からは出なかったし、グシウムでもほとんど宮殿の中だったから、今は見るもの聞くもの全てが新鮮なんだろう。でも、あの目は本当、止めて欲しいよ。眩し過ぎて目が痛くなる」


 ラハットは思わずくすりと笑った。確かに、あのルインの好奇心に満ちた煌々とした瞳は、男には少々辛いものがある。あの目で頼まれごとをすると、断る度に胸が締め付けられる。


 カイは湯で顔を洗うと、視線だけをラハットに向けた。


「ラハットちゃんは、ルイン様のこと、どう思う?」

「どう思うとは?」

「そのままの意味だよ。人として、どう思うかってこと」


 ラハットは鼻まで湯の中につけ、考える。ルインのことをどう思うか。そういえば今まで、そういったことを考えたことはなかった。とりあえず、思ったことを言葉として並べてみる。


「難しいですね。正直、旅の始めは少々我儘なところがあるのかな、と思っていましたが、とても素直ですし、機微にも敏感です。よくも悪くも感情が強く、人一倍、思いやりがあるのではないかと思います」

「うん。よく見てる。でも、ルイン様という人を表すのに、そんな長い説明は要らないんだ。たった一言で充分。……彼女はおそろしく無邪気だ」


 その言葉は、ラハットの中に空いていた穴にすとんと嵌った。そう、確かにそうだ。ルインから感じ取れるのは、穢れのない澄んだ心。まるで、この世に生を受けてまだ一切の汚れを目にしていない赤ん坊のような、純真で無垢な心。


「確かに、ルイン様からはどこか不思議な感じがします。他の人達とは何かが違うような。それが何かと言われると、難しいのですが」

「わかるよ、その感覚。俺もそうだった」


 カイは一旦頭の先まで湯の中に潜ると、しばらくしてから勢いよく顔を出した。長めの髪の毛がカイの顔を覆う。カイは髪の毛を手で掻き上げると、再び天井に視線を向けた。


「占い師か呪術師かは知らんが、俺はそんな訳もわからん奴の予言など信じていなかった。それは今も変わらない」


 突然、カイが全く違う話を始めた。ラハットは同じく天井を見つめ、カイの話に耳を傾ける。


「魔王だとか、勇者だとか、そんなのを信じろという方がどうかしている。しかし、王の勅命だから、反故にするわけにもいかない。だからこうして、俺は世間知らず三人を連れて旅に出ている」

「すみません。世間知らずで」


 ラハットが目を閉じて謝ると、カイは「ほんとだよ」と否定せずに溜息を吐いた。


「まあ、それはいいさ。……だが、俺はその呪術師とやらの予言全てが間違っているとも思っていない。俺は自身の目で見たもの以外は信じないから、魔王も勇者も勇者の剣も、その存在を肯定しない。だが、ルイン様の素質に関しては、俺は実際にこの目で見て知っている。彼女は間違いなく、他の者にはない何かを持っている」


 他にいた客が出て行き、入浴施設には二人だけが残った。カイの言葉が、何にも遮られずに天井、壁を反響してラハットの耳に返ってくる。


「魔物が出始めるようになってから、百年が経った。この百年間、各国の中で小さな争いはあっただろうけど、人間同士の大きな戦争はなく、この世には平穏が訪れた。そう、百年だ」

「百年……」


 そう考えると、かなり長い間、平和が続いているんだなと思う。確かに、ラハットは勿論、ラハットの両親や祖父母からも、魔物以外で苦労した話はあまり聞かない。


「これまでの歴史を振り返ってみても、それだけの期間、人間同士が争いなく過ごしていた時代なんておそらくない。だから、この百年の平穏は人間という欲深い生き物からすれば、異常なことだと俺は思っている」


 ラハットはカイの横顔を見つめた。


「もしかしてそれは……」


 カイはラハットを見返し、僅かに目を細めた。


「ああ。俺の勝手な憶測だが、そろそろこれまで平和だった反動が来るんじゃないかと思っている。そしてその時、きっとルイン様の持っている素質が必要になる」


 ラハットは湯の中で立ち上がった。カイの言っている意味がよくわからない。しかし、これはそのまま聞き流していい話ではないような気がした。


「それはどういうことですか?」


 ラハットの問いかけに、カイは指を二本立てた。


「……ルイン様の素質は、吸収力と天秤力だ」



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