四話『勇者、俺』~騎士試験開始~
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「頑張ってくるんだよ」
「おう、任せとけ」
「無理はするんじゃないよ。期待していないから、のびのびとね」
「わかっているよ。心配は要らないぜ」
「怪我だけには気を付けてね」
「勿論だよ。母ちゃん」
俺は母ちゃんと熱いハグをし、大きくなった背中を見せ、颯爽と家を出た。
昨日、眠れなかったせいか、少し頭が痛い。ドキドキしてではなく、ワクワクして眠れなかったんだ。俺がこんなことで緊張するはずがないだろ。何度も自分にそう言い聞かせて、俺はお腹を擦りながら家を出た。
家を出ると、さっき仕事に向かったはずの親父が戻ってきた。俺は親父を軽く睨む。親父も俺を軽く睨む。
「何しに帰ってきたんだよ」
「うるさい。忘れ物だ」
「忘れ物って、いつも手ぶらじゃねえかよ。パンツでも履き忘れたのか?」
「違えよ。母ちゃんとのいってきますのキスだよ」
俺はウゲーと思わず吐瀉しそうになる。酸っぱくて苦い汁が口の奥に広がり、それを慌てて飲み込む。母ちゃんと親父のいってきますのキスは、チュッじゃない。激しくスープを啜るような音を立ててそれをする。
どうしてそれで弟が出来ないんだよ、といつも疑問に思うが、そのあたりはさすがの俺でも訊けないし、訊きたくもない。出始めに気分が悪くなったが、おかげで胃を捻られるような痛みがなくなった。
「おい、ちょっと待て」
「なんだよ」
「死んでも騎士になってこい。騎士になれないのなら、生きて帰ってこなくていい」
「うるせえ。黙ってろ」
「なんだお前、親に向かってその口の利き方は」
俺は強く扉を閉め、大きく舌打ちをする。これだから親父は好きになれないんだ。母ちゃんの所有物でなかったら、とっくにぶっ壊してやってるところだが、残念ながら母ちゃんのものだから無碍には扱えない。
何が生きて帰ってこなくていいだ。俺は心に決めた。傷一つなく帰ってきてやる。
試験に落ちても、何食わぬ顔で帰ってきて、何食わぬ顔で食卓に座っていつも通りに晩飯を貪ってやる。ある意味では、親父のおかげで俺の闘志に火がついた。
「バーン」
向かいの家の花壇に唱えるも、花は優雅にたゆたっていた。
宮殿に着くと、俺は生唾を飲んだ。学校からの見学で一度入ったきりで、俺はまともに宮殿に入ったことはない。
やはり屹立する宮殿は荘厳で雄大で権威的で、さすがの俺でも宮殿を前にすると思わず足が竦んでしまう。おまけに、遠くからオルガンの音が聞こえてきて、その雰囲気に飲み込まれる。
冷や汗。どうした俺。まだ、勝負は始まってもいないんだ。既に、周囲には屈強な男達の姿が現れ始めている。俺なんかじゃ、到底勝てそうにない男達。毛も濃い。
でも、俺は負けない。このくだらない、なんの変化もない毎日から抜けだすために。そして、ああは言いながらも期待してくれている母ちゃんのために。
宮殿に入ると、若い騎士から紋章が入ったメダルを手渡された。この騎士も金髪サラサラヘアー。しかも、ジョウよりもずっと男前で長身。しかも碧眼。本当に神様は人を平等に創ったのかと疑いたくなる。
この騎士を見ていると、俺は神様がこの騎士を創った時に出来た残りもののような気がしてきて、悲しくすらなってくる。おかしい。俺は俺が大好きなはずなのに、なんだこの本能的に感じてしまう劣等感は。
きっとこの騎士には、目に見えない恐ろしいほどの欠点があるはずだ。滅茶苦茶足が臭いとか。そうでないと、やっていられない。
俺は足が臭そうな騎士からメダルを受け取り、太陽に掲げて反射させてみる。特に何か文字が書いているわけでもない。
俺だけでなく、他に集まる参加者達にも同じメダルが渡されている。「何すかこれ?」と訊ねるも、足が臭いであろう騎士は眩しい笑顔を浮かべて「持っていてください」と答えるだけだ。参加賞かな、と俺は喜ぶ。
やがて時間が近付くと、宮殿の広場には大勢の男達が集まった。百人近くはいるだろうか。見たことがある奴もいれば、お前この街のどこに住んでいるんだよ、と訊きたくなるような見かけない奴までいる。
でも、その誰もが一筋縄ではいかなさそうな男達。むしろ、俺なんかがここにいていいのかとさえ思ってしまう。王室が出した条件がどんなものかは知らないが、これは相当絞っているに違いない。
それに何より、こいつらからは殺気が感じられる。勝つためなら、その命までも奪わんとする殺気。きっと、こいつらも決められた窮屈な世界から抜けだすため、ここに賭けてきたのだろう。
本来、騎士になるためには、幼少期からその道の上を歩いてなければならない。騎士の家に生まれ、子供の頃から騎士道や作法を学び、やがて親元を離れて修行に送られる。
その先で騎士見習いとして鍛錬を積み、そしてある程度の騎士としての礎が出来上がると、主君となる騎士の下で従騎士となり、騎士の世話につく。そこで主君に認められ、騎士叙任を受けてようやく、一端の騎士となる。
このように、基本的には騎士となるためには騎士の道に生まれ育つ他なく、騎士の家に生まれてきた奴は、どんなへたれ野郎でもやがては騎士になり、俺のように屈強で聡明で勇敢な人間でも、商人の息子として生まれれば、やはり行く先は商人となるのだ。
ここには、そんな運命に抗おうとする奴らが集まっている。そう、俺だけじゃない。強い意志でこの試験に臨んでいるのは、俺だけではないのだ。
時間が来たのか、突然、大きな笛の音が鳴った。それを合図に、パラスの二階のドアが開き、数名の騎士、そして大臣が姿を表した。
全員、その場で左膝を立てて片膝を地面につけ始めたので、俺も慌てて見様見真似で同じ姿勢を取る。そういえば、こんなことを学校で教えて貰ったような気がする。どうせ騎士になんてなれないから聞いても意味がないと思って適当に流していたが、こんなことならばしっかりと聞いておくべきだった。
「皆の者。今日はよくぞ来た。さて、私がここで抗弁を垂れても仕方がない。では、早速、試験内容を伝えたいと思う」
大臣の言葉に、元々張りつめていた空気がさらに膨張する。あと少しで、破裂してしまいそうなほどだ。早鐘を打つ心臓の音が、耳の下にある名前もわからん骨に響く。
大臣はさっと手を広げた。
「騎士になれる者は一名。このグシウムを出て東にある塔の最上階から、勇者の盾を持ち帰った者とする」
広場の者達が、一斉にざわめく。それもそうだ。おそらく、誰も予想もしていなかった試験内容。俺ですら、もっと厳格な審査を以て行われるものだと思っていた。
なのに、塔の最上階にある勇者の盾を持ち帰る、だなんて、なんだその子供の遊びみたいな試験内容は。そんな試験内容で騎士になったところで、どうせ本筋の騎士に鼻で笑われるのが目に見えている。
『ちょっと勇者の盾見せてよ』なんて笑いを噛み殺しながら訊かれるところまで俺には見えた。そうか。これは俺達を馬鹿にしているんだ。きっとそうだ。周りの奴らも、やはり怒りに震えている様子だ。当然だ。
一人の男が、「うおーっ」と腕を上げた。
あ、おかしくなった。そう思った次の瞬間、周りにいた奴らも雄叫びを上げ始める。な、なんだこれは。どういうことだ。こいつらはそれでいいのか。こんな試験内容でやる気が漲ってしまうのか。
だって、言ってしまえばマラソンだぞ。お前達のその立派に鍛え上げた筋肉は、多分ただの重りになるんだぞ。それでもいいのか?
盛り上がる広場を俯瞰した大臣は満足気に頷く。
「ルールは一つ。互いに殺し合うことは禁止、それだけだ。それ以外なら、何をしても構わない上、武器や防具も全て可とする。勿論、使える者は魔法を使っても構わん。東門は開けてあるので、渡したメダルを門番に見せると通ることが出来る。では、次に鳴る鐘の音がスタートの合図となる。諸君らの健闘、祈っておるぞ」
大臣はそう言うと、身体を翻し、扉の向こうへと姿を消した。そして二人の騎士が扉を閉めたと同時に、教会の鐘の音が鳴り響いた。
その瞬間、広場の男達は唸りを上げて駈け出した。一気に百人近い男達が走り出したせいで、地鳴りのようなものが鼓膜を震わせた。
俺は突き飛ばされ、その場に転んだ。俺の上を容赦なくいくつもの足が踏んでいき、中にはわざと蹴っていく奴もいた。特に、黒いとんがり靴が執拗に蹴ったのを俺は見た。覚えたからな。許さねえ、とんがり靴。
結局、俺は一人、広場に取り残された。母ちゃんが新調してくれた服は、足跡だらけになってしまった。怒られるだろうな、と思いながら、とりあえず俺は立ち上がった。
すると、先程、俺にメダルを渡してくれた足が臭いに違いない騎士が俺の元へと近付き、一枚の綺麗な布を差し出した。
「大丈夫ですか? お顔に、土がついてしまっています」
ああ、やめてくれ。そのステータスに優しさまで加わったら、足が臭いなんて勝手に決めつけて安心していた俺があまりにも惨めじゃないか。俺はその布を手に取らず、代わりに深く頭を下げた。
「ありがとうございます。大丈夫です」
「そうですか。……頑張ってくださいね」
その騎士は人懐こい笑みを浮かべると、足を揃え、指を揃えて俺に向かって敬礼を見せた。騎士ともあろうお方が、この俺なんぞに敬礼をしたのだ。
なんたる心の広さ。俺はこの人の下につきたい。心からそう思った。この人の下について、この俺の穢れきった心を浄化させ、人のために身を粉にして剣を振り、そしてあわよくば金髪になりたい。サラサラでなくてもいいから。
「……あの、足が臭いだろうなんて思ってすみませんでした」
俺は誠心誠意を込めて感謝と謝罪をし、走り出した。
やっぱ、騎士、恰好良い。憧れる。あんなのになりたい。俺もカチャカチャと鎧の音を鳴らしながら歩きたい。
しかし、走り出して汚れた服を見下ろすと、今度はだんだんと腹が立ってきた。俺のために新しい服を用意してくれた母ちゃんの顔を頭に思い浮かべると、その感情は増大していく。
糞野郎共、踏んでいきやがって。俺は決めた。あいつらを全員、半殺しにしてから盾を持ち帰る。特に、あのとんがり靴は絶対に許さん。
待ってろ勇者の盾。待ってろとんがり。
俺の試験が、始まった。




