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三十七話『勇者、わたくし』~綺麗な剣、穢い剣~

「そうです。私は魔物を斬れません。いくら相手が魔物であっても、その生命を奪うという行為を、身体が本能的に拒否するのです」


 ラハットは剣を立て、赤い魔物を中心に据える。深く息をし、本能と向き合う。身体は慄いている。では、心はどうか。


 ラハットの肩に置かれていたルダの手が、そっと離れた。 


「わたしもそうでした。わたしも、魔物が可哀想で、ずっと攻撃を加えることが出来ませんでした。誰にも言えませんでしたが、実は今でも疑問に思っています。本当に、魔物は悪なのかと」


 ラハットは振り返り、驚いた目でルダを見た。ルダは苦笑する。


「すみません。おかしいですよね」

「いえ、違います」


 ラハットが真剣な表情になると、ルダは笑みを引っ込めた。


「まさか、私と同じ考えを持つ人間がいるなんて思いもしなかったのです。私も、魔物が悪だとは思っていません。確かに、分別なく襲ってくる魔物はいます。しかし、何もしてこない魔物だっています。……それは人間も同じです」


 ラハットはずっと不思議だった。陸でも海でも、最も生き物を殺しているのは人間そのものだ。その行為の全てを否定するわけではない。


 生き物である以上は必ず食物連鎖に巻き込まれ、生きるためには仕方のない殺生もしなければならない。それは生物の性であり、自然の摂理だ。


 だがしかし、人間はいつからか、そこに余裕が出来ると必要のない殺生をするようになった。狩りなんてまさにその典型だ。兎に始まり、狐、狼、そして魔物。


 時折、王は冗談で狩りの相手が人間だったらさぞ面白いだろうなんて言っていたが、魔物が現れなければ、それが冗談でなくなる日はそう遠くなかったかもしれない。


 だから、ラハットは狩りで魔物を斬ることが出来なかった。彼らからすれば、こちらが魔物だ。ただ平穏な日々を送っていただけなのに、突然人間がやってきて追いかけられ、殺されるのだ。それも、意味もなく。


「ルダさんは、今、魔物を攻撃出来ますか?」

「はい。出来ます」


 ルダは即答した。


「どうしたら、私は剣を振ることが出来ますか?」


 一瞬の沈黙。赤い魔物が、血を流しながら身体を起こす。


「……獣になることです。騎士様はもう経験がお有りでしょう」

「ラハットちゃんっ」


 カイの叫び声。


 獣になること。


 ラハットは苦笑した。そうか。そういうことか。いつの間にか、無意識のうちに魔物のことを上から目線で見ていた。しかし、すっかり忘れていた。自分も人間という生き物なのだ。


「ありがとうございます。やってみます」


 ラハットは地面を強く蹴り、赤い魔物に向かって走り出す。


 間違ってなどいなかった。


 寸前で剣が止まったのは、何一つ間違ったことではなかった。あれは、ラハットの獣としての本能が必要ないと判断したから、身体が止まったのだ。間違っていたのは、それを責めていた理性の方だった。


 カイの背中に向かおうとしていた赤い魔物が、ラハットに気付いて振り返る。きっと、青い魔物を助けようとしていたのだろう。


 目と鼻の先にカカの村があるのに、彼らは人間達を襲わなかった。彼らをこうして襲っているのは、人間の方だ。二匹で一緒に休んでいたところを、こうして襲っているのはこちらだ。


 だが、ナミ族とナギ族が生きるために、彼らを倒さなければならない。人間の勝手だけれども、それが生きるということ。


 だからせめて、苦しまないように。


「攻撃が来るぞ、下がれっ」


 カイの声に、ラハットは思わず頬を緩める。魔物と戦いながらこちらに気を配る余裕があるなんて。これからもっと強くならなければ。人間も、魔物も、守りたいもの全てを守れるように。


 赤い魔物は尻尾をラハットの足元に向かって振ってくる。ラハットがそれを跳んでかわすと、魔物は跳んでいるラハットに向かって右腕を横に振った。剣を立てて腕を分断することも出来るが、それでは可哀想だ。


 ラハットは身体を丸め、受ける構えを取る。そして、魔物の右腕が身体に当たる直前でその腕を掴み、そのまま宙を回転して攻撃を避けた。大振りの攻撃が空を切った魔物は体勢を崩し、重心を前方へと傾ける。


「すまない」


 ラハットは、魔物の空いた右の脇から心臓に目がけて、思い切り剣を刺し込んだ。剣先が魔物の身体を貫き、太陽の光を反射しているのが見えた。その先からは、ポタポタと赤紫色の血が滴り落ちている。


 魔物の身体はそのままがくりと力が抜け、前のめりになって倒れ込んだ。ラハットはゆっくりと、魔物の身体から剣を抜いた。苦しまずに送ってやれただろうか。


 剣には、べっとりと血が付いている。


 ラハットは苦笑した。


 これを穢いなんて思っていた自分が情けない。そんな自分を恥じ、猛省した。そしていつものように神に祈る。


 しかし、これが最後の祈りだ。


 これからは神に逃げない。間違ってなどいなかった。自分は自分の信じた正義を貫いていい。


 視界で、青い魔物が後ろ向きに倒れるのが見えた。カイはグレイブの先を地面にトン、と突くと、こちらに向かって歩いてきた。


 谷の上では、涙を流すルインと、歓喜の声を上げるホム達の姿。どうやら、負傷者以外は残っていたようだ。


「お疲れ、ラハットちゃん。びっくりしたよ。一人で中型の魔物を倒しちゃうなんて」

「カイさんの方こそ、驚きましたよ。騎士でもあそこまで強い人は、見たことがありません」


 カイは「照れるね」と言いながら、屈んで赤い魔物の身体をそっと撫でた。


「ラハットちゃん、初めて魔物を斬ったんだね」

「ご存知だったのですか?」


 ラハットは驚いた。カイはラハットを見上げてウインクする。


「グシウムを出る前にね、弓を持った騎士からラハットちゃんについて忠告を受けたんだ。『あいつは魔物を斬れないから気を付けてくれ』って」


 ラハットの頭に、あの陽気な顔が浮かび上がる。敵わない。親友の懐の深さに、ラハットはつくづく感心させられた。


 ラハットはカイに頭を下げる。


「すみません」

「どうして謝るんだい? 俺は何の迷惑も被ってないよ」

「しかし……」


 カイは立ち上がると、ラハットの剣を取り、布で血を拭った。そして、ラハットの腰にある鞘に剣を納める。


「騎士でありながら、ラハットちゃんは魔物を斬らなかった。それはむしろ、誇れることだと俺は思うけどね。その本能こそ、本当に穢れのない綺麗なものだった」


 ラハットは目頭が熱くなった。これまで耐えてきた様々な辛い思い出や苦しい出来事が溢れ、涙をせり上げる。


「でも、今回、これでよかったのかはわかりません」


 黙っていては涙が出てしまう。ラハットは声を絞り出す。


「彼らを退治してしまって本当によかったのでしょうか。他に、ナミ族とナギ族を救う方法はあったのではないでしょうか」


 カイは横たわった魔物を、とても切ない目で見下ろした。


「それはわからない。もしかしたら、間違っているのかもしれない。だが、一度戦いが始まってしまえば、あとはただの生きるか死ぬかの殺し合いさ。今回、俺はナミ族とナギ族の逼迫した状況を見て、彼らが生きる道はこれしかないと思ったから、手を貸した。だけど、その是非を裁けるのは神だけだ」


 何ともカイらしい考え方だな、とラハットは微笑んだ。ラハットは振り返り、ルダを見た。ルダはほっとしたような表情で、ラハットとカイを見つめている。


「……私は、私が思う正義を貫きます。そのために必要だと思った時、私はまた、この剣を抜きたいと思います」

「そっか。それはどうぞ、ご自由に」


 カイは軽い口調でそう言うと、ルイン達を手招きした。ラハットは二匹の魔物を視界に収め、小さく敬礼した。


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