三十三話『勇者、わたくし』~ルダ~
昼間は肌に当たる風が暖かかったのに、夜になると一段と冷え込んだ。あれだけ吹いていた砂塵も眠ったのか、今は空気も澄んでいて、月と星がよく見えた。
ラハットは小高い丘に腰を下ろし、ぼんやりと夜空を眺めていた。
ラハットたちはナミ族との交渉に向け、今晩はホムの家に泊まることになった。カイは既に眠りに就き、ルインとルダは子供たちと遊んでいる。
ふと、後ろから小さな足音が聞こえた。ラハットが振り返ると、そこにはルダの姿があった。
三つ編みが解かれて背中まで髪が下りているので、どこかいつもよりも大人びて見える。月明かりの下でもほんのりと赤く染まる頬は変わらずで、それが何とも愛らしく思えた。
ラハットは微笑みながらルダを見上げる。
「寒いでしょう。中に入っていた方がいいですよ」
「え、えっと、ルイン様がお休みになられたので」
そうか。それで気まずくなって出てきたのか。ラハットは「どうぞ」と隣を手で差した。ルダは「すみません」と広がる外套を手で押さえながら腰を下ろした。
「えっと、騎士様はここで何を?」
「一応、警備をしています」
「騎士様が警備、ですか?」
「はい。家に泊めていただくわけですから、何もしないのは悪くて」
ルダはぼんやりとした顔でラハットを見つめると、「そうですか」と微笑んだ。ルダとこうして落ち着いて話すことはあまりないので、ラハットはなぜか妙な気分になる。
「カイさん、大丈夫でしょうか」
ラハットが心配すると、ルダは「大丈夫ですよ」と穏やかに答えた。
「カイさんはああ見えて、ちゃんと色々考えているんです。旦那様が最も信頼なさっている人ですから」
「それは少しわかります。これまでも、カイさんには随分と助けられていますから」
それは紛れもない事実だった。四人の中で、まともに外の世界を知っているのはカイだけだったので、見知らぬ町への入り方、物の買い方、宿の取り方、何から何までカイがやってくれていた。
傍から見れば、カイはラハットを含めた三人の子守りをしている人だと思われていてもおかしくはない。それほど、ラハット達はカイに頼り切っていた。
「お二人は、オルデルス家に仕えて長いのですか?」
「はい。カイさんは十年前、わたしはそれよりも少し前に雇われました」
「差し支えなければ、どうすればオルデルス家で働くことが出来るか、教えていただけませんか? もしもの時、門戸を叩くかもしれないので」
ラハットの冗談に、ルダはほんの少しだけ肩を上下させて笑った。しかし、小さく首を横に振る。
「オルデルス家には、仕えたいと思って仕えられるわけではありません。全て、旦那様による勧誘ですので」
「勧誘ですか?」
「そうです。わたしは農家の娘でした。カイさんは聞いたことがないのでわかりませんが、他にも商売人、職人、それこそ騎士の方まで、様々な経歴の方がオルデルス家で使用人として働いています。何しろ、オルデルス家は規模が大きいですから」
さすがはオルデルス家、といったところか。オルデルス家はグシウムから西にある領地を持っているが、それはあくまで拠点に過ぎない。
グシウムにルインを送っているように、他にも様々な地域でオルデルス家は幅を利かせていると聞く。しかし、使用人を全て勧誘で賄っているとは思いもしなかった。
「騎士様、ラ、ラハット様は、王室の騎士様なんですよね。……凄いです。カイさんが、王室の騎士は本物の騎士だって、そう言っていました」
ラハットは苦笑する。
「騎士に本物も偽物もありませんよ。ただ、今は昔のようにしっかりと騎士として務めているのは、私達くらいかもしれませんね」
ルダは感心するかのように、大きく頷いた。
本物の騎士、か。ラハットは傍に置いた剣を、視界から外した。
元々、騎士というのは主に、馬に乗って戦う兵士のことを言った。しかし、時代が進むにつれて騎士という言葉に称号や階級がつき始めると、その意味は広義的なものになり、やがて一概に騎士という存在を語ることは難しくなった。
農業をする者、領主として土地を支配する者、盗賊から貴族まで、幅広い層に騎士と名乗る者は存在した。だが、彼らは戦いとなると、双務的契約にある主君の命に応じて戦の場へと繰り出し、剣を振るった。
形は変わっても、戦が起きているところに、騎士は存在した。
しかし百年前、魔物の出現によって各国の間で停戦協定が結ばれ、人間同士の戦がなくなった。
魔物は強く凶暴ではあったが、国を相手にしていた頃のような大きな軍事力を持つ必要はなくなったため、騎士という存在は次第に姿を消していった。
魔物を討つ時には傭兵を雇うことが常識となり、やがて魔物に資源としての利用価値が見出されると、狩り専門の傭兵ギルドなどが乱立し、騎士を自称するギルドなどはいくらか存在するものの、もはや本当の意味での騎士の存在は過去のものとなった。
だが、騎士が完全に消滅していたわけではなかった。停戦協定を結んでいるとはいえ、それが絶対である保障はない。とある国を除いて全く軍事力を持たずに丸腰で構える呑気な国家などは勿論存在せず、国は最低限の自衛組織を保有した。
ラウス帝国では、その役を担っているのがラハット達、王室の騎士となる。つまり、王室に仕える騎士達が、現存する最後の騎士であると言うのは、あながち間違いではないのかもしれない。
ルダはじっと首を上げて空を見ると、切ない顔を浮かべた。
「この村、なんだか悲しい村ですね」
「悲しい、ですか?」
「ええ。人間同士で争うなんて、悲しいです」
「そうですね。悲しいですね」
「まるで、ずっと昔の人間達を見ているようです」
「昔の人間……。それは少し違うと思います」
ラハットの言葉に、ルダは小首を傾げた。ラハットはゆっくりと目を閉じる。
百年以上前、魔物が出るまで、各地では戦火が広がっていた。領地を拡大するため、国同士、人間同士が殺し合い、奪い合い、大地は人の血で赤く染まっていた。しかし、それは魔物の登場によって終息に向かう。
人間を無差別に襲い、また、脅威となり得る存在であった魔物に、人間は生物としての本能による危機感を覚えた。
それにより、人間達は同族で殺し合っている場合ではないことに気が付き、矛先を変え、それまで戦っていた相手と手を組み始めた。
奇しくも、魔物という第三者の登場により、結果的に人が流す血の量は劇的に減少した。
だが、決して人間の本質が変わったわけではない。当時、人は突如として訪れた平穏に満足していたが、時が経つにつれてそれが『当然としてそこにあるもの』となると、人は欲を持て余すようになった。
文化、食、知識、思想。
蚕が桑の葉を食べるように人間達はそれらを貪るも、それだけでは無尽の欲を満たすことは出来ず、やがて人々の欲はある点に向けられるようになる。
それが、人間にとって害悪でしかなかったはずの、魔物だった。
桑の葉に飽きた金持ちや権力者達は、軍事の遺産を用いて魔物を狩り始めた。そしてそれは、彼らの中にあった、最も枯渇していた種類の欲求を満たしていった。
程よい知能と強さ。
手を抜けば命を落とすが、無難にこなせば勝つことが出来る。それは遊びとして完璧な塩梅であり、魔物は瞬く間に金持ちのおもちゃとなった。
やがて、その魔物狩りが拝金主義者達の目に留まると、それは新たな商売となった。
しかし、金が絡むと人間の表層は薄く透けてしまう。魔物狩りが世に広く浸透した今、地方ではこのカカの村のように狩り場争いの問題が起き、小さな小競り合いが頻発している。
時代が変わっても、人間の本質は変わらない。
だからこの村は決して過去ではない。世界の現実なのだ。
ラハットは目を開けると、ルダに微笑みを向けた。
「すみません。変なことを言ってしまって」
「い、いえ。わたしの方こそ、軽率な発言をしてしまって申し訳ありません。そ、そうですよね。この村が直面している問題は、今、実際に起きているんですよね」
ルダはそう言って身体を更に小さくした。しかし、ルダの言う通りだ。カカの村は現実、逼迫状態にある。このままだと村の存続は難しく、あの子供達も生きてはいけないだろう。
そうなると、彼らが何よりも重んじる、先祖の魂とやらを守る人間もいなくなる。結局、彼らは全てを失ってしまうことになる。
「……出来る限りのことはしましょう」
ラハットの言葉に、ルダは小さく頷き、「そうですね」と呟いた。ここにラハット達が立ち寄ったのも、きっと神の導きだ。
ラハット達にも、必ず何かするべきことがあるはず。ラハットはそう自分に言い聞かせ、土の上に置いた拳をそっと握った。
それから少しの沈黙があり、ルダが「あ、あの」と裏返ったような声を出した。ラハットがルダを見ると、ルダはもじもじと身体を捩らせている。
「あの、一つだけお願いがあるのですが」
「お願い、ですか?」
ラハットが訊き返すと、ルダは上目でラハットを見つめた。その仕草に、ラハットは思わず目を逸らした。なぜか鼓動が早まる。
「そ、その、剣を触らせて貰いたいのですが」
予想もしていなかった頼みに、ラハットは思わず「剣ですか?」と目を丸くした。ルダは僅かに身体を下げ、首を左右にぶんぶんと振る。
「い、いえ。大丈夫です。すみません。失礼なお願いをしてしまって。騎士様に剣を触らせて欲しいだなんて、わたし、なんて不躾なことを」
「いいですよ」
ラハットは置いていた剣を持ち、ルダの方へと差し出した。ルダは口が半分開いたままラハットを見返すと、そっと剣に手を伸ばす。
ルダは泡を手に取るように剣を丁寧に持つと、そっと紋章を手の甲で撫でた。すらりと長い指がとても美しい。
「わたし、本物の剣、初めて見たんです。普段、飾り物でしか目にすることがなかったので。見た目よりも重いのですね」
「ええ。ですが、持っていると意外に慣れてきて、いつからか外すと違和感を感じるようになります」
ラハットはルダの手にある剣から、そっと鞘を抜く。露わになった刀身が、月明かりを反射して光沢を帯びる。
「わあ、綺麗です。とても綺麗」
ラハットは自身の剣を見つめる。そう、綺麗だ。ラハットの剣は、他の騎士の持つどの剣よりも、ずっと綺麗。
しかしいつだったか、ロビンはそれを穢いと言った。
その言葉が、今でもラハットの耳から離れない。
「あ、あの、どうかしました?」
ルダが、ラハットの顔を心配そうな眼差しで覗き込んだ。ラハットは慌てて笑みを取り繕う。
「いえ、大丈夫です。ちょっと寒くなってきたな、と思って」
「そろそろ戻りましょうか」
「そうですね」
二人は立ち上がり、ホムの家へと向かう。ふと、ラハットは訊き忘れていたことを思い出した。
「そういえば、オルデルス家は勧誘でしか人を雇わないとのことですが、それはどういった基準で選んでいるのでしょうか?」
ルダは照れ臭そうな表情ではにかんだ。
「ああ、それはですね……」




