二十八話『勇者、わたくし』~出発~
剣の光沢、盾の緑青、鎧の質感、何も問題がないことを確認すると、ラハットは兵舎を出て門へと向かった。
歩いていると、ロビンの姿が見えた。
「ロビン、どうしたんだ? 今日は一日休みじゃなかったのかい?」
「ああ、休みだよ。だからこうして、見送りにきたのさ」
ラハットは頬が緩んだ。わざわざこうして見送りに来てくれる友がいる。それだけで、これまでの苦労が全て報われたような気がした。
「ルイン様と旅か。大変だろうな」
「ああ。ずっと宮殿にいた彼女に、旅は辛いかもしれない」
「いや、そっちじゃない」
ロビンがチッチと指を振った。
「ラハットが大変だろうな、と言っているんだ」
「私が大変? どういうことだ?」
「ラハット、ルイン様のことはどれくらい知っているんだ?」
ラハットはルインについて知っていることを頭に思い浮かべる。しかし、よくよく考えたら、ラハットはルインのことを名前くらいしか知らなかった。普段、宮殿の主塔に暮らすルインと、一騎士であるラハットは、あまり接する機会がない。
「彼女のことは、あまり知らないかもしれない」
ロビンは苦笑し、「だろうな」と頬を指で掻いた。
「俺は暇な時に女の子達にちょっかいをかけるから、宮殿内の人間関係ってのは結構詳しい。そんな俺がお前に忠告しておいてやる。俺が知っている限り、あの子は最も厄介なタイプの人間だ」
「厄介なタイプ?」
ラハットはロビンの横顔に問いかける。ロビンは「ああ」と頷く。
「まあ、一緒にいたらわかるよ。……いや、もしかしたら、ラハットは気付かないかもな。何せ、系統は異なるが同じ種類だから」
「それはどういうことだ?」
「さあ、着いたぞ」
ラハットの問いかけは、到着によって有耶無耶とされた。体躯の良い門番二人が、門を開けてラハットを見送る。門の奥に、ドレスの端が見えた。
「お気を付けて」「いい旅を」
「ありがとう。みんなも元気でね」
ラハットはロビンと目を合わせて頷いた。グシウムはこの仲間達がいる限り、大丈夫だろう。空を飛ぶ魔物がいても、ロビンの弓があれば撃ち落とすことが出来る。無理に入ってこようとする魔物がいても、この屈強な門番達が防いでくれる。
ふと、宮殿の塔から手を振る人の姿を見つけた。ルーカだろう。長い手をぶんぶんと振っている。ラハットは背伸びをし、全身で手を振り返した。
いってきます。
心の中でそう伝え、ラハットは外で待っているルイン達へと身体を向けた。
華やかなピンク色のドレスを身に纏い、つばの大きな黒い帽子からは真っすぐで綺麗な菫色の髪が背中まで下がっていた。その背筋は地面に刺さるようにピンと伸び、胸の下で揃えられた手は指先までもが品位を漂わせている。
さすがはオルデルス家の息女といったところか。
ラハットは彼女を見て、まるで緑豊かな平原の方が場違いであるかのような、そんな錯覚すら覚えた。ラハットが挨拶をしようとすると、ルインは小首を傾げてにこりと笑う。
「わたくしのために申し訳ございません。ですが、決まってしまったものにあれこれと不平、不満を垂れるのは野暮でございます。ですのでどうぞ、良識あるお付き合いのほど宜しくお願い致します」
ルインがぺこりと頭を下げ、ラハットは慌てる。
「いえ。こちらこそ、その……、宜しくお願いします」
ラハットも同じように深く頭を下げると、ルインは満足した様子で頷いた。次に、ルインの隣に立っていた黒一色の外套を着た男性がラハットに手を差し伸べた。
「ラハットちゃん。宜しくね」
ラハットはルインとは正反対の、その軽い雰囲気に驚きながらも、笑みを浮かべて手を取った。
黒に近い茶色の髪は男性にしては随分長く、襟足が外側に跳ねている。歳はラハットより十ほど上といったところか。見たところ、この男性がルインに付く一人目の護衛だろう。
「えっと、お名前は?」
「ああ、ごめんよ。俺はカイ。ほんでこいつはルダ」
そのカイにルダと紹介されたのは、ラハットと同じくらいの年齢の女性だった。
カイと同じような外套を纏っているが、色は正反対の真っ白。オレンジ色の髪は三つ網みされ、片側へ寄せて身体の前側へと垂らされている。そのルダの顔には紅がさし、どこか恥ずかしそうな様子でラハットを上目で見ている。
「え、えっと、その、……宜しくお願いします」
「こちらこそ宜しくお願いします」
そう言ってラハットからルダの手を取ると、ルダは一瞬身体を強張らせ、何度も頭を下げていた。どうやら、恥ずかしがり屋のようだ。
ルインは帽子のつばに手を当てると、茫洋な平野に目を細めた。
「本当に馬車は使えないのかしら?」
「ルイン様、道を見てみなよ。ボッコボコじゃん。とても無理だよ」
「でしたら、馬やロバで向かえばよいではないの?」
「あのね、誰がその馬とロバを世話するのさ。水も食物も確保しなきゃいけないし、手入れにも時間がかかる。嫌だよ、俺はそんなの。面倒だし」
「それがあなた達のお仕事だと思うのだけれど」
「違うね。俺は父上から、ルイン様の命を守れとは仰せつかったけど、世話や子守りをしろなんて一言も言われてないよ」
ルインの言葉をカイがことごとく受け流すと、ルインは子供のように頬を膨らませた。
「もうっ。どうしてお父様はカイなんかをつけたのかしら。他にもっと優秀な使用人がいたはずなのに」
「何を言っているんだ。ルイン様は父上の慧眼を疑うのかい? いつか俺でよかったと思う日が来るんだよな、これが」
「ふんっ。それはどうかしら」
ルインは腕を組み、そっぽを向いてしまった。ルダはそれを狼狽した様子で見ている。ラハットはどうしていいかわからず、とりあえず懐から地図を出してみた。
西に行けば行くほど、魔物の数は少なくなる。ここはルインのことも考えて、西からゆっくりと進んだ方がいいだろう。となると、ここからなら最も近いのはどの町か。
ラハットが地図上に町を探そうとすると、ルインが靴でトントンと地面を叩いた。
「こんなところで立ち話をしていても仕方がないわ。行きましょう」
「ちょっとお待ちください」
東に身体を向けているルインを、ラハットは止めた。
「西の方が安全です。西へ行きましょう」
「どうしてかしら?」
「どうしてって……、今、安全だからと」
「それは理由になるのですか? 魔物の動きが活発化しているのは東の大陸でしょう。西に行って何があるのですか?」
ラハットは呆然とルインを見つめる。すると、カイが肩を竦めた。
「そうだよ、ラハットちゃん。確かにルイン様は温室育ちで世間知らずのお嬢様だが、肝はなかなかに据わっている。ラハットちゃんは、ルイン様には安全な進路でゆっくりと旅に慣れて貰ってから、なんて優しいことを考えてたんじゃない?」
言葉が出ないラハットの肩に、カイが手を置く。
「ほら、図星だ。だけど、ラハットちゃん。ならどうして、あんたの身体は東を向いているんだ?」
ラハットは自身の身体を見下ろした。確かに、頭では西のことを考えていたはずなのに、靴は真っすぐと東を向いている。カイはラハットの顔を覗き込む。
「魔王を倒したいって気持ちが、無意識に身体を東へと向けていたんじゃないの?」
「それは……」
「素直になりなよ。うちのルイン様なんて、おそろしいほどに素直だよ。もしかしてラハットちゃんってさ、これまでもそうやって立場や状況を第一に考えて、自分を押し殺して生きてきたんじゃないの? まあ、俺が偉そうに言える立場じゃないけど、そういうのってさ、ほら、疲れない?」
ラハットは何も言い返せなかった。初対面の人間に、心の深くまで覗き込まれた驚きからではない。自分でもわからなかったからだ。
自分を押し殺して。
そうだっただろうか。いや、違う。気持ちは東に向いている。だが、本当にラハットは東へ行こうとしていたのだろうか。本当にルインのことを考えて安全な西という進路を選ぼうとしたのか。自分の心と本能がすれ違っていただけではないのか。
思い詰めるラハットに、カイは小さく噴き出した。
「そんな怖い顔しないでよ。ルイン様の身を心配しているなら、それこそ心配は要らないって。そのための俺達なんだから。オルデルス家を舐めちゃいけない。なあ、ルダ?」
「え、は、はいっ」
しかし、カイは言葉とは裏腹に、身体を東には向けず、北へと向けた。
「じゃあ、早速東に向かって出発、……と行きたいところだけど、東はどうも、疫病やら犯罪やらで荒れているらしいんだよね。だから、ここは北から回って東に向かうよ。それでオッケー?」
強引にそうまとめられ、ラハットは頷くしかなかった。その様子を見ていたルインは身体を翻すと、大きな一歩を踏み出した。
「では、行きましょう。未来の平和とやらのために」




