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二十五話『勇者、わたくし』~騎士ラハット~


 ブンブンブンブンブンブンブンブン、と空を斬る音。高い天井が、その音を無意味に遠くまで運ぶ。


 汗が頬を伝い、剣を振り下ろす度にそれが足元に落ちる。肺が破れそうになり、腕はもげそうになる。


 それでもラハットは剣を振り続ける。硬くなった掌が何度裂けようとラハットは止めない。千回振ると決めたら、それを終えるまではどれだけ苦しくても辛くても止めない。


 逃げたくないから。自分に負けたくないから。そして、自分は騎士だから。


 最後の十回、真っ白になった頭で剣を振ると、ラハットは膝に手を置いて息を整えた。白黒模様のタイル。黒に映った醜い自分の顔にラハットは思わず笑った。


 その時、パチパチパチと空虚な拍手が廊下に響いた。


「キツい練習のあとに笑えるなんて、ある意味頭のネジが飛んでいるよな、お前って」


 ロビンが頭を人差し指で叩いて苦笑する。ラハットは上半身をもたげ、額の汗を手の甲で拭った。


「冷やかしにきたのかい?」

「お前が剣を振る練習なんてしても意味がないって? そんな嫌味、これまで言ったことなんてないだろ」

「すまない。私の心が荒んでいた。許して欲しい」

「別に怒っちゃいないって。ここに来たのは、ただの伝言だよ」


 ロビンは円く黒いハンカチーフを差し出したが、ラハットは遠慮して受け取らなかった。「伝言って?」


 ロビンが天井を指差した。


「王様が呼んでいるそうだ」

「王様が? なんだろう。私が狩猟に呼ばれることなんてないだろうし」

「狩猟は俺がこれからついて行くよ。狩猟のあと、挽課の時刻に来るようにってさ」


 一体、何の用事だろうか。ラハットは顎に手を当てて考えるも、思い当たる節はない。次の馬上試合は担当ではないし、祝宴の予定もない。狩猟のことで何かあるならロビンに言うだろう。


 考え込んでいるラハットの肩を、ロビンが軽く叩いた。


「そう難しい顔するなって。別に大したことじゃないだろ、どうせ」

「そうだといいが」

「それともう一つ。召使いの女の子達が、お前の剣の素振りを怖がってるぜ。何も宮殿でする必要ないだろ。兵舎に戻ってからでも出来る」


 ラハットは苦笑した。


「そうか。確かにそうだな。それは申し訳ないことをした。人が通らない端の方でやっていたつもりだったが」

「剣そのものが怖いんだろ。熱心なのはわかるが、ほどほどにな」


 ロビンはそう言うと、踵を返して廊下の奥へと消えていった。確かに剣の素振りなど宮殿でする必要はないし、褒められた行動でないのも間違いはない。


 ただ、天井が高くて剣が空を切る音が気持ちいいので、ついここで剣を振りたくなるのだ。ラハットはロビンの背中を見送ると、深い息を吐いて歩き出した。


 ロビンは剣を振らない。それどころか、普段は持たない。ロビンは昨今の騎士の中では非常に珍しく長弓を使う。


 騎士が弓を使わない主な理由は二つ。馬上での扱いの難しさと、その特性故の偏見。いわゆる、遠距離からの攻撃など卑怯である、との古くからの考えが未だに跋扈しているためだ。


 しかし、ロビンの生まれ育った地域では長弓が広く使用されていたようで、ロビンは騎士になる前、故郷で長弓の名手として名を馳せていた。


 地方の小さな村の傭兵に過ぎなかったロビンがグシウムの騎士となったのは、王がその名声を耳にしたことに始まる。


 小型魔物の狩猟が趣味である王様は、ロビンの弓の技術を狩りに使えるのではないかと思ったのだ。


 そしてロビンはグシウムへと呼び寄せられ、王の狩猟に同行した。そこには偶然ラハットもいたのだが、初めて見た時、そのロビンの弓術に驚愕したのを覚えている。


 ロビンは馬上から、随分先の魔物の、それも指定した部位へと見事に矢を射抜いていったのだ。そうしてロビンは王のお眼鏡に適い、正式に王室の騎士となった。


 ロビンの長弓の腕前を見た王は、騎士に長弓の技術の習得を命じた。もし長弓で魔物を倒すことが出来るのなら、これからは遠方から安全に退治出来る長弓こそが主流の武器になる。王はそう確信した。


 が、その狙いはすぐに頓挫した。なぜなら、それはロビンの類まれなる才能の元でこそ可能な芸当であって、それまで弓を構えたことのない騎士達は、素早く動く魔物に弓を当てることはおろか、馬上ではまともに弓を引くことすら敵わなかったからだ。


 ラハットは、そんなロビンに強く惹かれた。奇しくも同じ年で、自分には出来ないことが出来る人間。ラハットが初めて出会ったタイプの人間だった。


 それまで、名のある騎士の元に生まれ、より名のある騎士の下に修行に出され、英才教育を受けてきたラハットは、どこに行っても持て囃された。


 何をやっても周囲より上手く出来てしまう。何をやっても周囲から羨望の眼差しを向けられ、妬み嫉まれてしまう。いつしかラハットは孤独になっていた。


 そこにロビンが現れたのだ。


 ラハットは初めて、これまで周囲が自分に対して抱いていた感情を実感し、その気持ちを知った。ラハットはロビンを羨望し、そして嫉妬した。そして同じ男として尊敬した。それはとても辛く苦しかった。


 ラハットはこれまでその感情を知らず、何も考えずに周りと接してきた自分を恥じて猛省した。そして神に誓った。


 この贖罪は正義を以て為す、と。


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