二話『勇者、俺』~カモノモリマロ~
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俺はパッと目が覚める。本当にパッと目が覚めるのだ。多分、瞼を開いた時、そういう音が鳴っている。パッと。
俺は窓から空を見上げて、太陽の光を吸収する。身体が徐々に目覚めていくのがわかる。
太陽は凄い。どれくらい凄いかと言うと、眩しくて見られないくらい凄い。見るだけで目がやられる。俺もいつかは、そんな存在になりたい。みんなが俺を見る時に手を翳すくらいの、そんな眩しい男になりたい。
そのためには、影が必要だ。英雄が現れる時、そこには必ずわかり易い悪が存在する。でも、今の世界にはその悪がない。
町を出れば魔物がいるけど、あいつらは馬鹿だから、人間にそこまでの脅威を与えられない。むしろ最近では狩られて財布にされたりなんかして、資源として有効活用されている。もっと頑張れよ魔物。悲しいよ、俺は。
俺はごわごわとした制服に着替え、階下に向かう。
パンの焼けるいい香り。それに、かぼちゃのスープの香り。学校がない日は昼と夜の二食だけど、学校がある日は、成長期の俺を気遣って、母ちゃんは俺だけのために朝飯を用意してくれる。
そんな母ちゃんは俺の姿を見るなり顔をしかめた。もう、何を言いたいかわかっている。どうせ、しゃきっとしなさい、だ。
「あんた、しゃきっとしなさい」
ほらな。俺は母ちゃんのことなら、何でもわかる。母ちゃんが言うから、俺はボタンを留めて、皺を伸ばす。寝癖でぼさぼさでくるくるになっている髪の毛も一応きちんとセットする。
服装には母ちゃんもうるさいけど、学校はそれ以上にうるさい。服装の乱れは心の乱れ、なんてわけのわからんことをたらたらと説きながら、てめえはカツラがずれているんだから、こっちは笑いを堪えるのに必死なんだよ、ボケ。
そもそも、ボタンを一つ留めないことでどんな実害があるんだよ。まあ、母ちゃんがちゃんとしろって言うから、ちゃんとはするんだけどさ。
俺はちゃっちゃと朝飯を食い終えると、母ちゃんの作った特製サンドイッチを鞄に入れ、愛しき母ちゃんとハグをしてから家を出た。
家を出ると、向かいの家の親父が俺を見て、「学校か?」なんて意味不明なことを訊ねてくる。見たらわかるだろ、と俺は毒づきそうになるが、必殺無邪気スマイルで返して颯爽と歩きだす。
あの親父は多分強い。腕の毛が濃いし、胸毛も凄い。俺の経験則上、毛の濃い奴は強くて薄い奴は弱い。そして俺は、強い奴には敬意を示す。弱い奴にだけいばる。それが俺。だから母ちゃん、弟、早く作ってくれよ。
朝のグシウムの流れは、大体決まっている。住民のほとんどが俺と同じ方向、つまりは町の中心部に向かう。
都市グシウムの構造は、簡単に言えば蜘蛛の巣だ。中心に王様が住む宮殿があり、それを囲むように店が並ぶ。そこから外れていくと住民の居住区が広がり、そしてそこからさらに進み続けると、いずれは城壁にぶち当たる。
しかし、海に面しているこの都市の最南端は港になっていて、そこには漁業の船や商船が往来し、中心部とはまた違った賑わいを見せる。
だから、朝の人の流れは中心部に向かう。早朝、港に漁船や商船が帰港し、商品を中心部の市場へと運ぶためだ。
そして当然、住民達は店や施設が集まる中心部で労働するため、こうしてまるで吸い寄せられるかのように、朝はグシウムの人間が中央に集まっていく。唯一、中心部にないのは職人達の作業場くらい。作業場はほとんど、南端部の海が見える場所にある。職人達はよく喧嘩をしているから、相手を海に沈めるためだろう。
そういえば、農民はこの都市の外で、村や町を形成して住んでいると聞いたことがある。そして、そこにもまた王ではないが領主が存在し、農民達はその領主の下でせっせと労働に従事しているらしい。
どうして推定なのかと言うと、それは俺がこのグシウムの外に出たことがないからだ。外には魔物が出るので、十八歳以下の子供は原則、外出を禁じられている。
俺自身、何度も外に出ようと試みてはいるものの、門番がなかなかに手強く、ことごとく失敗に終わっている。さすが、グシウムの兵士なだけはあると言いたいところだが、二人で一つの門を守るのは反則だろ。一人だったら絶対に俺が勝つのに。フェアにいこうぜ、フェアに。
街の流れに乗って歩いていると、突然、「おい」と誰かを呼ぶような声がした。俺が気にせずに颯爽と歩いていると、後ろから肩を掴まれた。
「おい、呼んでいるんだから、返事くらいしろよ」
ふと見ると、俺の悪友、ジョウ・グラソンが汚い瞳で俺のことをじっと見つめていた。
いつもの汚い青色のチュニックと、ブカブカで汚いブレー。そして、お前一体いつまで履くつもりなんだよ、と不憫になるくらいに汚い茶色の皮靴。勿論、不憫なのは靴の方だ。
だが、どれだけ汚い服を身に纏っていても、ジョウはサマになった。なぜなら、ジョウには美しいサラサラの金色の髪があるから。これだけは、本当に羨ましい。どうして俺は黒髪なのだろうか。それも、艶やかで真っ黒ではなく、パサパサで若干焦げたような焦げ茶色にも見える黒髪。しかも、しけった海のようにうねっている。
まあ、両親共に黒髪だから、当たり前と言えば当たり前だ。むしろ、俺が金髪だったら、それは母ちゃんを疑わなければならないことになるが、母ちゃんはそんなふしだらな女ではないから、俺はきちんと黒髪に生まれてきた。それでも、やっぱり羨ましいものは羨ましい。
俺はそんなジョウを、睨み返す。
「名前を呼べよ。呼ばれたかどうか、わかんねえだろ」
「名前を呼んだら、お前、怒るだろ」
「別に怒んねえよ」
「本当に?」
「ああ。本当だ」
ジョウは真顔になって俺のことを見つめると、すーっと息を吸った。
「モリマロ。カモノモリマロ」
俺は俺の名前を耳元で囁かれる。ジョウは俺が怒らないのを確認すると、次第に調子に乗ってきて、「モリマロ」「モリマロ」「カモノ」「モリマロ」と、時々「カモノ」を挟んで連呼してくる。
しまいには、「モッリマロ、モッリマロ」とリズミカルに手拍子を乗せてきたので、俺は躊躇わず、ジョウの肩に渾身の右ストレートをお見舞いした。ジョウは苦悶の表情で肩を押さえたあと、泣きそうな目で俺を睨む。
「怒らないって言ったじゃないか」
「手拍子は別だ」
ジョウは「ちくしょう」と言いながらも、すぐに立ち直る。さすがは俺の悪友。身体が頑丈だ。普通の奴なら二日間は肩が上がらないだろう。それだけ、俺のパンチは重くて強い。門番達には効かなかったけど。
「それで、モリマロは今から学校か?」
「ああ。お前は、親父さんのとこだろ?」
「そうさ。さっさと父さんから技術を盗んで独立したいからな。今はまだ、修行の身なんだよ。今日もこれから、きっと五十回は殴られる」
ジョウはぱっと掌を開いてみせた。いくつも傷や肉刺がある。どうやら、真面目にやっているらしい。
まあ、元は真面目な奴だった。それが、俺という残念な友人を持ってしまったがために、少々遠回りすることになっただけだ。
今はジョウも鍵職人という道に邁進し、偏屈な親父さんの下で日々修行を受けている。ジョウの親父さんは凄い。俺の家も、向かいの家も、そこに見える店だって、さらに言ってしまえば宮殿の鍵だって、全部ジョウの親父さんが作った鍵なのだ。
そして最近では、鍵だけでは飽きてきたのか、時計を作り始めたというから、きっと近い将来、ジョウの親父さんはこのグシウムの時間も支配することになるんだろう。すげえぜ。
「まあ、頑張れよ。お前が一人前の鍵職人になった時は、真っ先に俺が仕事を頼んでやるから、しっかり勉強しとけよ」
「わかってるさ。お前を閉じ込める、牢の鍵だろ」
ジョウは軽快でつまらないジョークを飛ばすと、手を上げて去って行った。牢。そんなものに、俺が入るわけがない。俺は確かにそれなりに悪いことをしているが、どれも絶対に捕まらないように念を入れているし、ちゃんと限度は守っている。
俺が悪行に手を染めているのは、ルールに後ろ足で砂をかけ、自由を主張するためだ。捕まって牢屋にぶち込まれて自由が奪われては、行動に矛盾が生じてしまう。それに、俺は母ちゃんに迷惑がかかるようなことはしない。
俺は歩きながら、ジョウのムカつく声を思い出す。「カモノ」「カモノモリマロ」。
俺は自分の名前を気に入っていない。いや、母ちゃんが一生懸命に考えてつけてくれた名前だから、気に入ろうとはしているし、「モリマロ」も「カモノ」も特別嫌いなわけではない。
でも、やっぱり何回自分で確認してみても、この世界にそぐわないような気がしてならないのだ。それに、俺だけ名前の方向が違う。
他の奴らは、「ジョウ・グラソン」や「ルイン・オルデルス」など、さらっと流れるような名前なのに、俺だけ「カモノ・モリマロ」。
何度も言うが嫌ではない。いい名前だとは思う。ただ、この世界では、なんだかこれじゃない気がするのだ。きっと、この「カモノモリマロ」がぴったりと嵌る世界が、どこかにあるはずなのだ。
そんなことを考えているうちに、学校へと着いた。
今日は魔法と修辞学。修辞学はまだ創造性があるから楽しめるが、魔法の授業は大嫌いだ。そもそも、魔法なんて才能のない奴には使えないように出来ている。俺はかれこれ四年は木の枝を見つめて念を送っているが、炎どころか、煙すら出たことがない。この間なんて、力み過ぎて屁が出たくらいだ。
魔法の授業は才能のある奴だけに受けさせて、ない奴は騎士道の授業に代えて欲しい。あの授業は楽しい。男のロマンが詰まっている。
俺もいつかは騎士になりたい、なんて思うことが今でもある。魔法が駄目なら剣を。魔物でも何でも、バサバサ切って、財布にしてやるからさ。




