十四話『勇者、俺』~助っ人そして決着~
鈍い衝撃音。見ると、魔物は地面を転がり、何やら奇声のようなものを上げている。一体、何が起こったんだ。
「大丈夫か?」
誰かが俺に、手を差し伸べている。太陽の光が反射してその姿がよく見えない。だが、頭のシルエットで俺は判断した。昨日、宿ですれ違ったあのツルツルマッチョマンだ。
俺はマッチョマンの手を受け取る。血管が浮かぶたくましい腕。もしかしてマッチョマン、強いのか? いや、待つんだ俺。髭のおじさんの事例からここで期待するのはいけないと学んだはずだ。このマッチョマンも思わせぶりに出て来たくせに糞雑魚だという可能性もある。
ここは慎重にいかなければ。
俺は起き上がると、服についた土を掃った。
「大丈夫。ちょっとビビったけど」
「そうか。戦意の方はまだあるか?」
「当然。そっちこそ、足手まといにならないよな?」
「ふんっ。それはこちらの台詞だ」
マッチョマンは首をポキポキと鳴らし、起き上がる魔物を冷たい目で見つめる。あれ、このマッチョマン、よく見れば武器を持っていない。もしかして、今の攻撃を素手でやったのか。素手による打撃であの重くて硬い魔物の身体をあそこまで飛ばしたのか。
だとしたらこの人、出来る人なんじゃないのか。俺はなんだか勇気と希望が湧いてきて、だんだん楽しくなってきた。
「よっしゃ、ぶッ倒してやるぜ」
「ちょっと待て」
走り出そうとした俺をマッチョマンは止める。
「お前が素手で向かって勝てる相手なのか?」
あ、そっか。頭に血が昇って、つい自分が強くなったと錯覚してしまっていた。確かに、素手で向かってもあれには勝ち目がないだろう。マッチョマンは呆れたように鼻息を飛ばす。
「落ち着け。戦闘における最重要事項はいかに冷静でいられるか、だ。闇雲に戦ったところでこれだけの力の差がある相手に勝ち目はない」
耳が痛い。マッチョマンの言う通りだ。マッチョマンは諌めるように続ける。
「今、俺が不意をついて仕掛けた攻撃は、俺の現時点で出せる最大威力の攻撃だ。それでも、見ての通りあいつを吹き飛ばすのが精一杯だ。しかし、お前の剣による攻撃は致命傷を与えることは出来ないまでも、深手にはなっている。だから、この勝負はお前にかかっている。勝ち筋は二つ。わかるか?」
「髭のおじさんの剣を取って戦う」
「そう。それが一つ。そしてもう一つが持久戦に持ち込むこと。なぜなら、」
マッチョマンは説明を止め、突然俺を突き飛ばした。魔物が攻撃してきていたのだ。当然だが、魔物にはこちらが会話中であるということなど理解は出来ないだろうし、わざわざ待つはずもない。
しかしなんとマッチョマンは、中型の魔物の攻撃を素手で止めている。仮にも盾であるあの勇者の盾を粉砕した、あの攻撃を。
俺は確信した。このマッチョマンは強い。
これにより、俺がこれまで抱いていた毛の濃い奴は強く、薄い奴は弱いという持論が覆された。毛がない奴でも強い奴はいるのだ。
マッチョマンは魔物を弾き返すと、俺に向かって叫んだ。
「こいつも魔物とはいえ生き物だ。血を流し続ければいつかはぶっ倒れる。それまで堪えるか、剣を取ってぶッ倒すか、二つに一つだ。さっさと選べっ」
「当然、ぶッ倒す」
「オッケー。なかなか男気がある。俺好みだ。……俺がこいつを引きつけておくから、お前は隙をついて大剣を取れ。気をつけろよ。魔物は弱っている奴と背中を見せた奴を優先的に狙う習性がある」
「わかった。任せろ」
俺は魔物についてまともに教えなかった学校と教師を恨んだ。
雑食だが特にフルーツを好み、通常用と柔らかい用の二つの肛門があり、一人前になるとその周りにケツ毛が生えてくる。恋をするとメスは若干垢抜け、オスは体毛に唾をつけて整えだす。そしてオスは執拗に性行為を求め、無事性行為を終えると妙に余所余所しくなる。
これが、俺が教わった魔物に関する情報の全てだ。一体、その情報を刷り込むことになんの意味があったのかは甚だ疑問だが、今はそれに不満をぶつけている時ではない。
マッチョマンが魔物の気を引くためにわざと背中を向けて走りだした。俺は細心の注意を払いながら慎重に大剣へと近付く。
マッチョマンの言った通り、魔物は背中を向けたマッチョマンに向かって跳びつき、マッチョマンは寸前のところでそれをかわす。勢い余って体勢を崩した魔物に、マッチョマンは「はっ」と気合いのこもった蹴りを入れる。しかし、それ以上欲張らず、マッチョマンは蹴りを入れるとすぐに逃げの体勢を取る。冷静だ。
それを数回繰り返している間に、俺は大剣の元へと辿り着いた。手に持ってみると、なかなかに重かった。髭のおじさんが両手で構えていたのも頷ける。
しかし、これは振り下ろし方によっては相当な威力を期待出来そうだ。あとは、どうやって攻撃するか。重い分、俊敏性は失われている。完全な隙を突かないと、百の力で攻撃は出来ないだろう。
俺が剣を持ったことを確認したマッチョマンが頷いた。
「よし。そのままこっちに近付いてこい。俺が一度だけ、隙を作ってやる。絶対にそれを見逃すな」
俺はマッチョマンの指示通り、靴を捻じるようにして魔物へと近付いていく。魔物はなかなか当たらない攻撃に苛立っているのか、身体から蒸気のようなものを発しながら、マッチョマンへの攻撃に固執している。こちらには一切注意を向けていない。しかし、マッチョマンはどうやって隙を作りだすのだろうか。
俺がこの剣を当てるには、魔物の動きそのものを止めなければいけない。そんなこと、可能なのだろうか。しかし、今はマッチョマンを信じるしかない。俺は剣をぐっと握り締め、その時を待つ。
魔物は猛りながら、芸のない攻撃を続ける。どうやら、中型といえどもそこまでの知能はないようだ。マッチョマンは俺の対角線上へと移動すると、目で合図を送った。俺は剣を構える。
すると、マッチョマンは大きく腕を広げて魔物に身体を向けた。その体勢では攻撃を避けられないのではないか。俺がそう思った次の瞬間、魔物は容赦なくマッチョマンへと襲いかかった。マッチョマンは胸の前で腕を交差させ、身体を丸めた。
まさか。
俺は理解した。避けるのではなく、受けるのか。俺が攻撃するための隙を、身を犠牲にして作ろうというのか。俺の心臓が跳ねた。
覚悟が違う。
武者震い。しかし、悠長に震えている場合ではない。魔物はマッチョマンを押し倒すと、そのまま腕を大きく振り上げた。
今だ。この機会を逃してたまるものか。
俺は後ろから魔物へと近付き、その背中に大剣を思い切り振り下ろした。皮が弾けるような鈍い音。手に伝わる尋常ではない衝撃。一切こちらを警戒していなかった魔物の身体を鋭い刃先が切り裂く。
俺は思い切り剣を振り抜いた。古くなった葡萄酒のような液体が、俺の顔に反射する。魔物は叫び声を上げて身体を捻った。その隙に、マッチョマンは魔物から離れる。魔物の足元に、夥しい量の赤紫の液体が溜まっていく。
成功した。俺は持っていた剣を下ろした。さすがにこれでは、魔物も生きてはいないだろう。
その時、ガチャリ、と扉が開く音がした。振り返ると、大きな欠伸をしながらレティが宿から出てきていた。どうやら状況がわかっていないようで、レティはぼんやりとした目でこちらをじっと見つめている。
いい身分だな、と俺が呆れて息を吐くと、「おいっ」とマッチョマンが叫び声を上げた。俺の視界の端に、黒い影が入り込む。
瀕死の魔物が、レティに向かって跳びかかっていた。
「危ないっ」
そう言葉を発したと同時に、俺の視界が揺れた。しまった。この距離では、もうどうすることも出来ない。俺は反射的に目を瞑った。
レティの身体が魔物によって真っ二つに引き裂かれる。
そんなイメージが瞬間的且つ多角的に俺の脳内を迸った。激しい音と共に、俺はそっと目を開いた。
魔物はレティを押し倒すと、その爪を空に向けて日の光に反射させていた。マッチョマンが「くそっ」と舌打ちをしてダッシュするも、もうこの距離では間に合わない。
だが、俺は安堵した。
それはレティにとっては幸運で、魔物にとっては一瞬の判断ミスだった。魔物は一撃でレティを仕留めるべきだったのだ。押し倒すという一種の支配欲、征服感、優越感に溺れなければ、魔物は少なくとも俺達に一生消えることのない心の傷と、魔物に対する遺恨の記憶を刻み込むことが出来ただろう。
しかし、ある意味では人間臭いその無駄な理性が、その機会を不意にした。
「バーン」
レティが冷たくそう呟いた次の瞬間、メチッと小さく発火する音が聞こえた。そしてそれは、すぐに魔物の体毛を伝い、その全身を業火に包みこんだ。
魔物は大きな叫び声を上げながら、地面をのたうち回る。レティはその魔物に向かって、容赦のない二発目、三発目の「バーン」をお見舞いする。どうやら、魔物の身体というのはよく燃えるようだ。ためになる発見。ついでに魔物に刺さったままの俺の剣も燃えている。
走り出していたマッチョマンは足を止め、俺の方を振り返る。
「あの小娘、魔法が使えるのか?」
「範囲はかなり限られるけどな」
マッチョマンは呆然として、燃える魔物とレティを見つめた。レティは薄着で寒かったのか、動かなくなっても燃え続ける魔物に手をかざし、暖を取っている。相変わらず、感覚がぶっ飛んでいる。
しかし、なんとか死者を出すことなく、事なきを得た。
死者。
俺は慌てて髭のおじさんを見た。すると、町の住民が髭のおじさんに集まっていた。助けようとしているのか。よかった。あとは任せよう。しかし、俺はすぐに違和感に気が付いた。違う。そうじゃない。俺の中に、一瞬にしてとてつもない怒りが沸き起こる。
「お前ら、何やってんだっ」
俺が怒号を上げると、住民達は蜘蛛の子を散らすように逃げていった。残ったのは、身ぐるみを全て剥がされた髭のおじさんの姿。
あいつらは助けてなどいなかった。動かなくなった髭のおじさんから、町を守るために魔物に向かっていったおじさんから、その所持品を盗んでいたのだ。
なんなんだこの町は。
灰が風に乗って空へと舞い上がる。自由の町を、黒い煙が嬉々として縫っていく。町は俺達を見て笑っている。そうか。これが自由の町なのか。
俺は地面に唾を吐いた。




