十二話『勇者、俺』~宿屋で何も起きないはずはなく~
おっさんは蜘蛛の巣を手で掃いながら、家の奥へと入っていく。暗くてよく見えないが、奥の方で人が話すような声が聞こえてくるので、無人ではないようだ。
俺はレティに押されながら、おっさんのあとに続く。やがて、蝋燭の火の下で酒を飲む男二人の姿が見えた。
髭のおじさんとマッチョな兄ちゃん。
そのうち、マッチョで色の黒い兄ちゃんは俺達の姿を見るや否や立ち上がり、俺達の脇を抜けて階段を上っていった。マッチョなのに毛が薄い。頭に関してはつるつるだった。
おっさんは俺達二人を髭のおじさんの方に押し出す。
「こいつら、宿を探しているんだってよ」
「あんたが客を連れてくるなんて珍しいな。どういう風の吹き回しだ?」
「馬鹿言っちゃいけねえ。脅迫されたんだよ」
「脅迫? そのおちびちゃん達に?」
「舐めてたら痛い目に遭うぜ。なかなかに喧嘩し慣れている」
髭のおじさんは「ほう」と俺を見た。おっさんと違って、髭のおじさんは見た目が小奇麗だ。貴族によくいる感じ。その佇まいから品性と厳格さが漂っている。多分、この人はそこまで変な人ではない。すると、おっさんが俺の肩に手を置いた。
「この人にはあんまり偉そうな態度取らない方がいいぜ。何せ、故郷で人を殺して追われてここに来たんだからな」
レティが俺の服を強く掴む。おっさんは笑いながら、「じゃあな」と手を上げて宿を出て行った。俺は距離を保ちながら、髭のおじさんと向き合う。髭のおじさんはしばらく俺とレティを交互に見つめていたが、やがてふっと表情を崩すと、椅子を引いて「どうぞ」と手で指した。
俺は近付いていいのかどうか迷う。人を殺したという人間を、俺は生まれて初めて見た。いや、でも。あのおっさんが本当のことを言ったとは限らない。
「人を殺したって本当ですか?」
髭のおじさんは「本当だよ」と即答する。
「随分と昔の話だ」
レティが一歩後ずさったのを見て、髭のおじさんは目を細める。
「大丈夫だよ。僕はもう人を殺したりはしないし、悪事を働くこともない。全うに生きると決めたんだ」
「どうして人を殺したんですか?」
「殺した理由かい? それは聞いてもつまらないよ。なぜなら、覚えていないからね。些細な理由で喧嘩をして、興奮して、我に返ったら相手がぐちゃぐちゃになってた。僕、子供の頃からキレると駄目なんだ。悪魔に食われてしまう」
「悪魔に食われる?」
「ああ。暴力が楽しくて仕方がなくなっちゃうんだ。ね、これが悪魔の仕業でないなら誰の仕業だい? 考えられるとすれば、神くらいかな。それなら有り得るかもしれない」
髭のおじさんはふっと情けなく笑った。
「……僕のこと、怖いかい?」
「正直、怖いです」
「だろうね。でも、僕だってキミ達が怖いんだよ」
「どうしてですか?」
「だって、僕はキミ達のことを知らないからさ。だからとりあえず話そう。座るといい。飲み物と軽い食事を出そう」
髭のおじさんはチーズを乗せたパンと木製のコップを二つ、テーブルの上に置いた。俺達は警戒しながらも席につき、コップを取る。おじさんも同じものを飲んでいるので、どうやら、変なものは入っていないようだ。
おそるおそる口をつけると、苦味が口の中に広がる。エールだ。レティが飲んで顔をしかめたので、「酒だよ」と教えてやった。レティは酒を飲んだことがないのだろう。
「それで、キミ達は一体何者なんだい?」
「俺達は旅人です。王様に頼まれて旅をしてます」
「王様に? それまたどうして?」
「魔王を倒すためです」
「魔王を? 魔王ってなんだい?」
「魔物達の王様です。遥か東の大陸で、猛威を奮っているそうです」
髭のおじさんは「へえ」と完全に他人事で相槌を打つ。「それは大変だね」と全く心の籠っていないというか、信じていない様子だったので、俺は王様からの手紙を見せた。
あ、でもこの町の人は字が読めないんだっけ、と思い出した時、手紙に目を通した髭のおじさんの目が見開かれた。
「わお。もしかして本当なの?」
「字が読めるのですか?」
「一応ね。これは確かに本物だ。なんだ、驚いたな。嘘じゃないのか」
「嘘だと思っていたのですか?」
「うん。てっきり若者が駆け落ちしたんだと。だからベッドメイキングをしっかりしなきゃって思ってたところだ。蜘蛛の巣も取らないとって」
俺はレティを見た。レティは軽く顔を赤らめながら、俺を睨み返してくる。照れているのか、もう酔っているのか。まあ後者だろう。こいつが照れるなんて有り得ない。そういう可愛げのある奴ではない。
俺はそれ以上詮索されるのが面倒だったので、こちらから質問することにした。
「えっと、この町は一体? 自由の町だなんて言ってましたけど」
「ああ。この町の住民はそう言うね。何せ、法がないから」
「法がない? そんなまさか」
「王様の命を受けたということは、キミはグシウム出身なんだね?」
全く関係のない質問をされて俺は戸惑うも、パンをちぎりながら頷いた。
「だったら、しっかりと法が整備されているだろうね。でも、実は都市部から遠ざかった町や村では、未だに法が整備されていないところはたくさんある。領主次第だけれどね。慣習法や宗教法を法の上に置いている地域なんて珍しくない」
「じゃあ、この辺りの領主は法に無頓着だと?」
「ある意味ではね。でも、領主は悪くない。全て住民達の選択の結果さ」
「選択の結果?」
「ああ。旅を続けていればすぐにわかるさ」
髭のおじさんは一気にコップの酒を煽り、口髭についた気泡を手で拭った。なんだよそれ。どういうことだよ。すると、レティがふらふらと頭を揺らしながら髭のおじさんを軽く睨んだ。
「でも、法がないなんて大丈夫なの? 町として機能するとは思えないんだけど。だって罪を犯しても誰もそれを罰せられないんでしょ?」
「それがこの町の面白いところなのさ。この町は法がないが故に法が出来ている。だから、歪ながらも町としての機能は保たれている。とても健全とは言えないかもしれないけどね」
「法がないが故に法が出来ている?」
「ああ。この町はされたことはやり返すという目に見えない復讐法が不文律として敷かれている。だから、住民同士は常に相手の懐を探り合いながら、絶妙な距離間を保っている。最近では、滅多に住民同士の争いは起きない。今は力が拮抗しているからね」
「力が拮抗って、全員喧嘩が同じ強さなんすか?」
髭のおじさんは力なく笑い、手を左右に振る。
「面白いね、キミは。……まあ、この町が出来たばかりの時は、それはもう酷かった。腕っ節の強い者が弱い者から全てを撒き上げる。まさに弱肉強食、獣の世界だった。だが僕達は人間だ。次第に弱い者同士で同盟を結ぶようになった。喧嘩が弱くても群れれば強い相手にも勝てる。そしてやがていくつかの派閥が出来た。それが統廃合を繰り返し、今ではこの町には六つの派閥が存在している」
「六つの派閥って、この狭い町の中に?」
「ああ。だが、国のように縄張りを決めているわけじゃない。要はどこかに所属している、という事実が大事なんだ」
「身を守るためね?」
レティの言葉に、髭のおじさんは頷く。
「そう。後ろ立てがいなければ、この町ではすぐにカモにされてしまう。殺してしまえば、復讐される心配もないわけだからね。だからこの町では、町の外からやってきた人間と派閥から外れた人間は、餌と見なされる」
「だから俺達は襲われたんすね?」
「そう。そんな可愛いお嬢さんを連れていては、狙われない方がおかしい」
レティは満更でもないような顔をしている。
「なら、ここに居たらまずいんじゃないですか? 襲いにくるかも」
「その心配なら要らないよ。この宿と、主人である僕はこの町で唯一の中立だから」
「中立?」
すると、髭のおじさんは立ち上がり、俺達に向かってウインクをしてみせた。
「僕はこの町で唯一、どこにも所属していないからさ」
テーブルの蝋燭の明かりがふっと消えた。一瞬の静寂。そして聞こえてくるレティの寝息。みると、レティは小さな口を半開きにして眠っている。どうやら、レティは酒を飲むと眠くなる体質のようだ。顔も程よく火照っている。髭のおじさんは再び蝋燭の火を灯すと、「ベッドを用意しよう」と笑って階段を上がっていく。
ベッドの用意が出来たと階上から声がしたので、俺はレティを抱えて階段を上がる。背は随分と小さいので、持ってみるとかなり軽かった。持った感触が男と違って柔らかい。しかし、変なことは考えないようにした。相手はレティだ。もしばれたら焼き殺される。冗談ではなく本気で。
俺は慎重にどこもいやらしいところを触らないように、部屋へと連れていく。こんな廃墟のような家屋なのに、ベッドは立派なものだった。しかし、ベッドは一つしかない。とりあえずレティをベッドに寝かせて、俺は髭のおじさんに訊ねる。
「あの、他に部屋ってあるんすか?」
「すまないね。ここは元々宿屋ではないから、三つしかないんだ。一つは他のお客さん、もう一つは僕。だから、キミ達には二人で一つの部屋に寝て貰うことになるね」
髭のおじさんは俺の肩に手を置いた。
「でも、キミはラッキーだと思っているんじゃないのかい?」
そう言うと、髭のおじさんは上品に笑いながら階段を下りていった。俺はまだ訊きたいことがいくつかあったが、それよりも身体が疲労を訴えたので、休むことにした。無理もない。今日は朝から慣れない重さでずっと歩きっ放しだったので、さすがの強靭な体躯と体力を持ち合わせている俺ですら、少々疲れた。まあ、また明日の朝に訊けばいいや。
俺は部屋に入り、地面で横になれる場所を探す。ふと、ベッドで眠るレティを見て髭のおじさんの言葉が過る。ラッキー? どこがだよ。むしろこんなのと同じ部屋で一夜を過ごして何も出来ないという悶々とした地獄を味わわなければならない俺は可哀想にも程がある。これだったら、もっとルックスを落としてもいいから触れる女と一緒に旅をしたかったぜ。ちくしょう。
俺は適当に横になり、固い床に身体の落ち着く場所を探す。やがて定位置が決まると、俺は蜘蛛の巣が張られた天井を見上げた。蜘蛛の巣に、大きな羽虫が引っかかっている。それを見て、俺はまだ警戒心を解いてはいけないと自分に言い聞かせる。
でも、あの髭のおじさんは悪い人には見えなかった。むしろ、あの憂いを帯びた目。悲しさに曇った目。あの人が殺人者だなんて。俺の中にあった犯罪者像が見事に塗り替えられてしまった。
それにしても変な町だ。自由の町と言っておきながら、町の空気は重く淀んでいる。町に入ってから見た住民達は、生きているのか死んでいるのかわからないような、まるで生気のない人形のような存在だった。
少なくとも、俺が求めていた自由はここにはない。でも、俺はルールに縛られないことが自由だと思っていた。この齟齬は一体何なのだろう。
自由とは一体、なんなのだろう。
「ねえ、モリマロ」
見ると、レティが寝ぼけ眼でぼんやりと俺を見ていた。俺は「なんだよ」とぶっきらぼうに返事をする。
「こっちに来なさいよ」
「嫌だよ。お前、怖いもん」
「いいから。来なさいよ」
「やだよ。だって触ったりしたら怒るだろ?」
「怒らないわよ。殺すから」
もう、この人怖い。嫌だ。あの髭のおじさんよりもこいつの方がよっぽど恐ろしい。やがてレティは苛立ってきたのか、「早く」と強い口調で急かす。俺は全く気乗りしないものの、燃やされたくないので言われた通りにベッドに向かう。すると、レティがベッドの空いている部分をポンポンと叩いた。
「ここで寝なさい」
「なんでだよ。いいよ床で」
「痛いでしょ。床だと」
俺は疑惑の目をレティへと向ける。おかしい。何かがある。こいつが俺の身を案じてそんな提案をするわけがない。そういう奴ではない。
レティは俺の白い目に気付いたのか、「なによ」と唇を尖らせる。俺が「他に理由があるだろ」と訊ねると、レティは図星だったようで、目を泳がせた。やがて俺に焦点を合わせると、小さく息を吐き、渋々といった様子で口を開いた。
「……あたし、いつもお母さんと寝てるの。だから、こっちに人がいないと落ち着かないの」
「何、お前まだ親と寝てんの?」
俺が呆れると、レティは唇を尖らせる。
「うるさい。いいから黙ってここで寝る。触ったら本気で燃やすから」
そう言うと、レティはこちらに背中を向けてしまった。俺は溜息を吐き、仕方なしに横に入る。いや、これは辛い。何だかいい匂いがする。女の子の匂い。
本能が理性を虐める。
レティだってこんなだけど外見上は可愛い女の子なのだ。男の本能は悲しいかな、中身を考慮しない。中身が悪魔だとわかっていても、それでも果敢に勝負をする。それが男だろモリマロ。いや、モリマロジュニア。ここで勇気を振り絞れ。ここで勇気を出せなくて、魔王なんて倒せるか。
頑張れ俺。負けるな俺。
手を伸ばせば届くだろう。掴めるだろう。
手を伸ばし、指先が僅かに髪へと触れたと同時に、意識が遠退いていった。




