十一話『勇者、俺』~自由の町、アロニア~
舗装されていない土の道は、思ったよりも足に負担がかかった。勿論、不慣れな装備も原因だろう。先程から俺は、少し歩いては休憩するのを繰り返していた。その度にレティは文句をたらたらとぶつけてくる。ちょっと待て。何かが違う。俺の望んでいたものと何かが違う。これは、早めに解決しておいた方がいい。そう思い、俺は意を決して口を開く。
「なあ。さっきは笑顔で誤魔化したが、やっぱりさすがに見逃せんぞ。もう一度訊く。どうしてついてきたんだ?」
「どうしてって、ついて行きたかったからよ」
レティは髪の毛の先をくるくると人差し指に巻きながら、小さな欠伸を見せる。八重歯がちょっと見えて、そう言えばジョウは八重歯が好きだったな、なんて至極くだらないことを思い出す。
「あのな、そんな簡単な話じゃないだろ。どうするんだ? おじさんとおばさんは? 学校は? そもそも、許可だって出ていないだろ」
「それなら大丈夫よ。ちゃんと昨日のうちに全て済ませたから。両親にも学校にも王室にも、モリマロについていくってちゃんと言ってきた。許可も貰ったわよ。大臣に会って頼んだら、『いいよー』って言ってくれたし」
俺は呆然とレティを見つめた。レティは真顔で俺を見返した。もしかして俺が間違っているのか。そう思うほど、レティの顔には悪びれた様子もなければ、開き直った様子もない。当たり前のことを当たり前に言っている。そんな顔。俺は目の前がくらくらしながらも、質問は続ける。
「おじさんとおばさんはいいって言ったのか?」
「うん。『行っておいでー』だって」
「学校は? 教師達は?」
「『頑張ってきなさいー』って」
「どうやって外に出たんだ?」
「モリマロに続いてよ。気付かなかったの? あ、門番の人にワッフル貰ったから、半分食べてよ。あたし、こんなに要らないから」
そうですか。俺は全てを諦めてワッフルを受け取り、小さく齧った。甘い。俺の自由きままな冒険は早くも幕を閉じた。いや、そもそも始まりすらしなかったのだ。
しかし、俺は残りのワッフルを口に放り込み、思考の転換をはかる。こうなってしまえばレティの性格上、もう帰すことは出来ない。ここはポジティブにいこう。俺は今から、レティと二人きりで旅に出るのだ。この美貌とスタイルを独り占め出来るのだ。
俺はレティを見る。本当、ルックスは完璧なんだよな、ルックスは。
「何、その不満そうな顔。あたしがついていくのが嫌なの?」
「嫌じゃないけど……」
「どうしてそんなに煮え切らない感じなのよ」
「そんなことないって。普通だよ。いつも通り」
「じゃあ、『けど』って何? 『けど』のあとには逆説の言葉が続くものだけど」
「嫌じゃないけど嬉しいって、そう言おうとしたんだよ」
「繋がってないじゃない。本当のことを言いなさいよ。じゃないと怒るわよ」
俺は掌で目を覆う。それはすなわち、どの道俺は怒られるということじゃないか。俺が言い渋っていると、レティは懐からいつもの棒を取り出し、俺に近付いて目の前で棒を振る。「ほら、言いなさい」。なんだこれは。俺はどうして、まだ振り返ればグシウムの城壁が見えるこんな場所で、性悪の幼馴染に脅迫を受けているのだ。「さあ、早く」。
「あの、レティさんの性格の方がちょっと……」
「バーン」
次の瞬間、俺の頭上で何かがチリチリと音を立て始めた。おい、まさか本当に魔法を使ったんじゃないだろうな。いや、こいつは使った。こいつなら使う。熱い。耳が熱い。俺はすぐさま手ではたくも消えない。
倒れ込んで頭を地面に擦りつけて、ようやく鎮火した。そんな俺の慌てふためく様子を見て、レティは手を叩いて笑っている。悪魔だ。こいつは悪魔だ。人間の感覚ではない。本当に火をつける奴がどこにいる?
ああ神様、もう少しバランスのいい配分をお願いします。こいつのお尻をもう少し縮めてもいいので、せめて常識を与えてやってください。お願いします。俺が死んでしまいます。
「さあ、行くわよ。日が暮れる前に寝床を探さないと」
レティは腕を大きく振って歩き出す。遠くの山の上に黒い雲がかかっているのを見て、俺は思った。きっと、この空は俺の心だ。しばらくすれば雨が降るだろう。俺は重い腰を上げて歩き出し、レティの背中を追いかけた。
空が暗くなってきて、俺の予想通りポツポツと雨が降ってきた。しかし、この辺りには雨を凌げる場所がないので、俺とレティは仕方なくそのまま歩き続ける。
地図ではもう少し行った先に町があるらしいので、出来れば本降りになる前に着きたいところだ。歩き始めた当初はぺちゃくちゃと聞いてもいない話をしゃべり続けていたレティだったが、疲れてきたのか、ムスッとした表情のままいつの間にか黙り込んだ。機嫌を取るための相槌を打たなくて済むので、俺としてはよかった。
俺は貰った地図を雨に濡れないように広げる。なかなか丁寧に描かれた地図だ。この国の領地内の地図なのだろうか。しかし如何せん、俺はこういう知識を持ち合わせていない。見てわかるのは俺の住んでいたグシウムだけで、他の町か村か都市か知らんが、それらの名前は一つもわからない。
というより、俺は今気付いたが、どこまでが国でどこからが国じゃなくなるのか、今は隣国との関係はどうなっているのか、そういうの、さっぱりわからないや。俺はポリポリと頭を掻く。
「なあ、レティ。これって、どこまでがこの国なんだ?」
「知らないわよそんなの。国境なんてないでしょ」
「でも、結構広いんだろ。王様、どうやってそんな広い領地を統治してんだろうな」
「知らないわよそんなの」
レティは話を聞く気はないし、そもそも多分こいつは知らない。俺は騎士道、レティは魔法学。それ以外の授業は、互いにほとんど真面目に聞いていなかったのを俺は知っている。まあ、別にいいや。どこまでが国であろうが、俺の目標は魔王の討伐だ。どこにいようと、見つけ出してボコボコにしてやるだけだ。
雨が本格的に降りだしたその時、丘を越えた場所に町があるのが見えた。おそらく、あれが地図にあるアロニアという町だろう。こんなにも平原は広いのに、まるで砂を両手で掻き集めたかのように家屋が密集している。
レティは裾を持って走り出す。俺も走り出す。走り出して、丘を越え、すぐにアロニアへと着いた。
町の周囲に城壁はなく、小さな柵があるだけ。ということは、別に入ってもいいのだろう。俺達は遠慮なく町に入り、とにかく人を探す。しかし、雨が降っているからか、人の姿が見当たらない。すると、前を歩いていたレティが振り返って不安気な表情を見せる。
「ねえ、ちょっと。この町、なんだかおかしくない?」
「おかしい?」
「ええ。空き家ばっかりだし、それにほら、人がいたけど……」
レティが指差した先には、軒下で項垂れるようにして壁にもたれかかる人の姿。生きているのかどうかすらわからない。さらに歩いていると、フラフラと歩く人や、中には雨ざらしで横になっている人までいた。それに、町の雰囲気もなんだか変だ。
やけに静かだと思えば、時折激しい怒鳴り声がしたり、物音がしたりと、異常な雰囲気が漂っている。レティは俺の腕をぎゅっと掴む。胸が当たっているのは嬉しいけど、俺も怖いから頼らないでくれ。
しばらくまともな人はいないかと歩いていると、突然、「おい」と呼び止められた。声がした方を見ると、一人のおっさんが、濡れた地面に座った状態で空に向かって口を開き、降ってくる雨を飲んでいた。
レティは俺の後ろに隠れる。俺も後ろへ下がろうとすると、レティが俺の足を思い切り踏んだ。おっさんは喉をゴクリと鳴らして雨を飲むと、手の甲で口許を拭い、俺達を見た。
「お前ら、他所者だな。その恰好を見るに騎士か?」
「……ああ、そうだ。王の遣いでここに寄った」
「王の遣い?」
俺は王の手紙を袋から取り出して見せる。男は顔を斜めにして手紙を見るも、ふんと鼻を鳴らしただけで、特に驚いた様子もない。あれ? 王様。早速効かないんですけど、これ。
「悪いな。俺、字は読めねえんだわ。この町で字が読める奴なんてほとんどいないぜ」
「どういうことだ?」
「なんだお前。騎士のくせにこの町のことを知らないのか」
おっさんはそう言うと、まるで馬鹿にするかのように小さく笑いだし、やがて耳を塞ぎたくなるほど大きな笑い声を暗い空へと響かせ始めた。開いた口の中には、歯がほとんどない。
俺は慄いた。これまで出会ったことのない人種。得体の知れない奴。なんなんだ、この町は。それとも、外の世界ではこれが普通なのか? おっさんは笑いを引っ込めると、虚ろな視線を俺に向けた。
「お前、本当に騎士か?」
「は?」
「嘘臭いな。いや、嘘だな。俺にはわかる。この町の人間にはわかるんだ。何せ、俺達はそっち側の人間だからな。見抜けるんだよ」
「お前、一体何を言っているんだ?」
「俺達の、俺達の猜疑心はムキムキなんだよっ」
おっさんはそう言うと、わけのわからない叫び声のようなものを発しながら突然こちらに向かって猛進してきた。なんだ今の出鱈目なボキャブラリーの融合は。そして、こいつはなんなんだ。
俺は「下がってろ」とレティを後ろへ突き飛ばす。そして、おっさんに向かう。剣も盾も地面に置く。今はまだ使いこなせないので邪魔だ。チェーンメイルも脱ぎたいところだが、そんな余裕はない。
いつ取り出したのか、おっさんの手には小さなナイフが握られていた。俺はおっさんの目をじっと見つめ、その時を待つ。
おっさんが踏み込み、腕を振りかざした瞬間、俺は僅かに後方へと下がる。おっさんが振り下ろしたナイフは鼻先を掠めるも、届きはしない。
俺はそのままナイフを持った腕を掴み、捻り上げ、思い切り腹に膝蹴りを入れた。おっさんの口から、大量の液体が吐瀉する。さっき飲んでいた雨水と胃液だろう。
俺は一切の間を与えることなく、おっさんを地面へと倒し、手首を踏みつけた。おっさんの手からナイフが剥がれる。おっさんは何が起こったのかわからないような、面食らった顔をしていたが、やがて状況を把握するとまた笑いだした。気味が悪い。
「なんだ。喧嘩慣れはしているんだな。それもかなり強い。お前、何者だ?」
「おっさんがなんなんだよ。いきなり」
「俺か? 俺はこの町の住民だよ」
「住民がいきなり襲ってくるかよ」
「お前、本当に何も知らないんだな。この町のこと」
「さっきからなんなんだよ。勿体ぶってねえでさっさと話せよ」
「離してくれたら教えてやる」
俺は仕方なしに離してやる。こんなおっさん、不意をうってきたところで負けはしない。雨脚が随分と強まっている。おっさんは服についた土を掃うことなく、立ち上がると大きく両腕を広げた。
「ここはルールのない町、アロニア。そう、自由の町だっ」




