一話『勇者、俺』~首都グシウム~
1
ガンガンガンガンガンガンガンガン、と世界は怒っている。俺が怒っているから、世界が怒っている。世界が怒っているから俺が怒っているのではない。俺が怒っているから、世界が怒っている。
俺は怒っている。俺は基本、いつも怒っている。俺は怒りの化身か何かじゃないかと最近では本気でそう思っているくらいだ。怒りの咆哮に全身を震わせながらこの世に生を受け、世の中の不条理に、この国の不甲斐なさに、そして大した人間でもないくせに偉そうにしてやがる教師達に、俺は怒っている。
俺が怒りを向けないのは、可愛い俺自身と、俺の大事な母ちゃんだけだ。親父に対しては別に怒ってはいないが、むしろ親父がいつも何かに苛々しているから、それを見てこっちも苛々する。だから、やっぱり親父に対しても怒っていることになるんだろう。
だが、今の俺の怒りには、明確な火種が存在する。それは、この腐った毎日。この平和ボケした世界。三十八度のお湯に長時間浸かってふやけてしまったようなこの国。
正直、俺はこの国から出たことがないので世界がどうなっているのかは知らんが、どうせ平和なのだろう。なぜなら、遠くから飛んでくる渡り鳥は、いつでもいい感じに肥えている。それは世界が平和な証拠だって、ボケたじいちゃんが言ってた。平和ボケじゃなくて、本当にボケたじいちゃんが。
要するに、俺は刺激を求めているのだ。刺激が足りない。もっと、こう、刺激のある人生を送りたい。弾けて飛んで、激しく回るような人生。回り過ぎて、回り過ぎて、気持ち悪くなって、俺の吐瀉物で大陸が一つ出来てしまうほどの、そんな刺激のある人生を。
それが、どうだ。今の俺のこの平凡で凡庸で庸俗なつまらない毎日ときたら。朝起きて、母ちゃんの飯を食って、学校へ行き、糞真面目に授業を受け、ジョウと遊んで、家に帰って、母ちゃんの飯を食って、糞して寝るだけのこの毎日。
あまりに代わり映えしないので、時々、俺は同じ日を繰り返しているんじゃないかと錯覚してしまうくらいだ。それではじいちゃんがボケた云々なんて、言っていられない。
「貧乏揺すり、やめなっ」
台所に立つ母ちゃんが、俺をそう一喝する。当然、俺の怒りはそれくらいでは収まらない。でも、このまま続けると母ちゃんの怒りが収まらなくなるし、それに、俺は母ちゃんの言うことは何でも聞くからぴたっと止めた。
母ちゃんはいつだって俺のことを一番に考えてくれるから、そんな母ちゃんの言うことが間違っているはずがない。親父のことは別にどうでもいいけど、俺は親父の言うことも一応聞く。なぜなら、親父は俺の好きな母ちゃんが惚れた奴だから。つまり、俺は両親の言うことは素直に聞くいい子ちゃんなのだ。
「貧乏なのに貧乏揺すりをするなんて、そんなみっともないことはないよ。ああ、あの子は貧乏だから貧乏揺すりをしているんだな、なんて思われてみな。笑われるのはあんたじゃなくて、母ちゃんとお父さんだ」
母ちゃんの小言を聞きながら、俺はガツガツと飯を食う。
俺は知っている。うちはそんなに貧乏ではない。確かに、グシウムで一番、いや、おそらく国で一番の金持ちであるオルデルス家などに比べたら、うちなんて息を吹けば飛んでしまう藁の家の中に巣を作っているありんこみたいなものだろうが、こうして学校にも行かせて貰っているし、食に困ることもないし、誕生日にはプレゼントもケーキも母ちゃんの手作りパイも用意して貰える。
それなのに、うちは貧乏だなんて卑下するのは、本当に貧乏な人達に失礼だ。俺は胸を張って言う。うちは、中流階級だ。
そもそも、このグシウムに住む者に本当の貧乏などいない。ここは国の首都で、それなりの身分の者が集まるからだ。
確かに、グシウムの中では商売をしているうちの家は肩身が狭い部分もあるが、それでも昔のように厳格な身分制度は存在しないし、まあ、母ちゃんも親父も今の生活に満足しているようだし、何の問題もない。当然、俺はまだまだこんな生活じゃ満足しないけどな。
母ちゃんの作った極上の晩飯をペロリと平らげ、俺は颯爽と二階の自室へと上がる。これは、俺の優しさ。ディナー後のひと時を、母ちゃんと親父の二人きりにしてやる、俺の優しさ。
そう、俺は兄弟が欲しい。特に弟。妹は要らない。母ちゃんと親父から生まれる妹が可愛いわけがないから、妹は要らない。欲しいのは弟。俺がこき使える、俺の子分。
でも、母ちゃんの年齢的に、子供を産むのはそろそろ厳しくなってきている。だから、俺は二人きりの空間を演出する。欲を言えば雰囲気の出る音楽でも奏でたいところだが、生憎俺が弾けるのは掠れた口笛くらい。口笛なんて吹いたら、雰囲気どころか魔物が寄ってきてしまう。まあ、ここは城郭都市だから魔物は入ってこられないんだけど。
俺はベッドに寝転がり、無骨な天井をじっと見つめる。真っ白な天井。染みもひびもない、綺麗な天井。血の臭いも、煙の臭いも、何もない天井。平和で平穏で平安だが、至極つまらない天井。
じっと見ていると、思い切り槍を突き刺して穴を空けて月の奴を驚かせてやりたい衝動に駆られてくる。でも、俺はそんなことはしない。だって、母ちゃんが怒るもの。母ちゃん、怒ったら髪の毛引っ張って町中引き摺り回すから、恥ずかしくて仕方がないんだもの。俺、もう十六だぜ。もしそんなの学校の奴らに見られたら、学校で指を差されて笑われちまう。
ふと、頭の中が空っぽになると、俺は服を脱ぎ、上半身裸になる。最近乳首の傍に一本だけ生えてきた毛が隙間風に靡いているのを見て、俺は思う。ああ、春が来たと。
そうだ、これを明日の修辞の授業で発表しよう。俺の乳首毛、春の訪れ。完璧じゃないか。きっと授業が終わると、周りの奴らは俺の乳首毛に春を感じるようになるんだろうな。しかし、欲しいなんて言われたら困る。だって、抜いたら春が終わってしまうから。
俺は一先ず深呼吸し、そして目をかっと開くと、そこからトレーニングを始めた。腹筋、背筋、腕立て伏せを二百回ずつ。百三十回くらいで既に筋肉は悲鳴を上げているが、そこからの七十回を根性でこなす。
目を見開きすぎて、時々ポロリと落ちるんじゃないかと心配する時があるが、そうなったらそうなったで別に構わない。また、戻せばいいだけだ。
全てのトレーニングを終えると、俺は大の字になって全身で呼吸をする。この瞬間が、たまらなく気持ちいい。溢れる充足感。心地良い疲労感。
そして俺は、このまま眠りに就く。服はちゃんと着てから。風邪なんて引きたくないからな。
寝ている時間が一番勿体無い。神様が人間を創ったらしいが、これだけは神様の設計ミスだと思う。勿論、そんなことは人の前では到底言えない。特に、もし俺がそんなことを言っているのが教師陣にばれたら、ボコボコにされて海に放り込まれるだろう。
あいつらの神様に対する信仰ぶりは異常だ。何かあったら神様が見ている、神様が許さない、と眦を吊り上げる。
神様、本当に見ているなら何とかしてくださいよ。
このルールに縛られた糞みたいなつまらない世界に、自由をくださいよ。
おやすみ。




