42: なにを、した
泥の中にズブズブ埋まっていくように、自分の意思とは関係ない重たい睡眠だった。
目を開けても、頭がぼーっとする。
視界に映る景色が全く見覚えのない部屋だが、それを考えるのさえおっくうだ。
肌寒くて布団を引き上げる。そこで、自分が裸で寝ていたことに気づく。どうりで寒いわけだ。
何か足りない。
もっとあたたかいものを抱きしめて寝ていたような気がする。
あたたかくて、柔らかくて、いい香りがして、とても大切で愛しいもの……。
ぶわっと彼女の顔を思いだし、ガバリと起き上がった。
と、同時に吐き気が襲った。
頭も痛い。
何?
何が起こった?
ここはどこだ?
今は何日の何時だ?
ガンガンする頭を抑え、思い出す。
奈都に親子丼を作ってやった…。
会う約束のメッセージを送った。
莉乃が訪ねてきて……
ガチャリと部屋のドアが開いた。
エプロン姿でトレイに何やら料理を乗せた莉乃が入ってくる。
「……なに、をした……」
呂律さえ怪しい。
自分の体が自分のモノではないかのように、思い通りに動かせない。
「りーちゃん、まだ寝てていいのよ」
ニッコリ笑って近付いてくる。
ベッド横のテーブルにトレイを乗せ、莉乃が手を伸ばしてきた。
「ほら、これじゃ風邪ひいちゃうわ」
その手を振り払う。それすら、ゆっくりぎこちない動きで、簡単に体ごと布団に戻されてしまった。
「お腹、空いてない?りーちゃんの好きな親子丼をつくったのよ」
親子丼、と聞いて奈都のことを思い出す。
「ごめんね、りーちゃんの好きな三つ葉はないの。今度作る時には入れてあげるわ」
『えー?理人、三つ葉嫌いなの?もしかして香草ダメな人?』
奈都に親子丼を作ってやった時、俺のには三つ葉は入れなかった。
「俺が、親子丼好きって、誰に聞いた?」
莉乃が止まる。
奈都だ。
起き上がってるより、寝てる方がまだ楽なのか、頭がまわってきた。
奈都が俺を探してくれてる。
そうだ、翔との待ち合わせもすっぽかした。
「ここはどこだ?服を返せ」
「やだ、りーちゃん怖い。いつものりーちゃんとしゃべり方が違うわ」
「悪いがこっちが素だ」
「うそよ。りーちゃんはいつも冷静で無表情で周りを寄せ付けない、そんな人よ」
「寒い。服をくれないか」
莉乃と言い合っても無駄だ。
解放してもらうには今は大人しくしておいた方がいい。
「そうね。いくら布団に入ってても風邪ひいちゃうわよね。後で持ってくるわ。ね、親子丼食べてね」
そう言って莉乃は部屋を出て行った。
はーっと息を吐く。
ゆっくり起き上がった。
だいぶ頭が痛いのも、吐き気も収まった。
横のトレイをちらと見る。
食欲はないが、後で何か言われるのが嫌でひと口だけ食べた。
味が薄い。
醤油と砂糖の味はするが、出汁の味がしない。
卵は火が通り過ぎてポソポソしている。
そのくせ鶏肉は火が通っているかギリギリの所だ。
また何か薬でも入れられていたら嫌なので、箸を置いた。
幸い、ペットボトルの水も持ってきてくれていたので、穴がないか慎重に確認して飲んだ。
部屋を見渡す。
いたって普通の寝室のような造り。
今寝てるベッドがあって、サイドテーブルと、椅子。ローチェストの上には花瓶。壁には風景画があるが、窓がない。
地下?
外が見えないので、時間もわからない。
土曜日の夜に莉乃がマンションまで来た。
「お渡ししたいものがあるので、少しだけいいですか?」
とインターホン越しに言うので、部屋に上げるのは嫌で、マンションのエントランスに待たせて、携帯だけ持って降りた。
そこから記憶が薄いのだが、マンションの管理人の目を盗んで俺を連れ去った……と思われる。
防犯カメラに映っているだろうか?
泥のように寝ていたのは、睡眠薬か何かを飲まされたのかもしれない。
翔と待ち合わせしていた時間はとっくに過ぎているだろう。
異変に気付いて、探してくれているだろう。多分、奈都も一緒に。
猛烈に奈都に会いたい。
ゆっくりベッドから下りて体を動かす。
裸なのは上半身だけで、下はスウェットをはいたままだった。
一応、ドアを確認するもやっぱり鍵はかかっている。
ローチェストの中は空っぽだ。
花瓶の隣に俺のメガネが置いてあった。
莉乃の中での俺は、メガネで無表情で周りを寄せ付けない孤高の王子様なのか……。
それは俺が作り上げた虚像。
周りを寄せ付けたくなかったのは本当だが、それはまとわりついてくる女子に限ってだけで、それなりに友人はいたつもりだ。
莉乃は莉乃が見たい部分しか見えない。
大学の時からそういう傾向はあったが、今は病的なまでに自分にいらない情報をカットしてる気がする。
何気なく、ぼーっと風景画を見つめていた。
なだらかな山が左右から裾野を広げて、手前にある湖に映っている。その向こうには雪を被った富士山。
湖には小さいけど赤い遊覧船らしきものが描かれている……。
カメラのピントが合うように、この景色がどこか解った。っていうかあまりにも有名な風景なのに、思いつかなかったのはまだ頭がボケてるからなのか。
ここがこの風景画と同じ箱根だとは限らない。
とはいえ、もしここの場所がわかっても外に連絡する手段がない……。
とりあえず寒いし、まだ万全じゃない体を休めようと布団に戻った。




