4: 説明出来ないので追い詰めるのはやめて下さい
「かなちゃん、今日、仕事は……?」
「ないよ」
なんとか逃れようと聞いてみたけどダメだった。そもそもカメラマンのかなちゃんは、毎日決まった場所に通勤するような仕事じゃない。所属している事務所があるけど、たまに顔を出すくらいでやりとりはほぼメールや電話らしい。
「帰ってきた、ってことはなっちゃんも仕事休みだよね?昨晩、何があったかじっくり聞かせてもらおうか」
「その前にシャワー浴びたい」
朝からひと悶着あって、更に待ち構えるかなちゃんを前にちょっとはリフレッシュタイムが欲しい。
「朝ごはんは?」
「食べた。お母さんは?」
「忘れてる。昨日から町内会の旅行でしょ」
そういやそうだった。お父さんはいつも通り出勤したのだろう。
不機嫌なかなちゃんを尻目にお風呂場に向かった。
熱いシャワーを浴びながら、かなちゃんにどう説明するかを考える。
だって、ぶっちゃけ言えば「会社の上司の裏の顔を見た」くらいしか報告のしようがない。
それが、食物連鎖の下層にいる気持ちだった……とは説明……しづらい……。
結局、「上司の裏の顔を見たら、口止めにおごってもらい、酔ったところ介抱され、朝になってしまった」と説明した。
朝のダイニングで、めちゃ納得してない顔でコーヒーカップを握りしめてるかなちゃんは、長いため息をついた。
「なっちゃん、仕事やめな?」
「えっ……。そりゃその上司はちょっと(かなり)怖いけど、他の人達はみんないい人で、仕事も楽しいんだけど…。」
「デザイン事務所でいろんなことしてる、とはいえ主にDTPとか印刷関係でしょ?それならウチの事務所の編集部門に声かけてみるから」
「いやいやいや、身内絡みの就職とか嫌よ」
神沢デザイン事務所は、デザイン関係ならなんでも引き受ける。まあ、主に神沢さんがメインに手掛ける仕事をサポートするのが社員の仕事で、神沢さんは企業から依頼された広告、ロゴ、パッケージデザイン、プロダクトデザイン、大きい仕事だとホテルやテーマパークのコンセプトデザインやイベントの空間装飾なんかも手掛ける、ほぼデザイン関係何でも屋さん状態。
それ以外に、神沢さんは監修止まりの仕事も多々あって、昨日納品したのはそういう仕事だった。化粧品会社のパンフレットだったのだが、ただのパンフではなく、社史も含めた読みごたえのあるもので、社長一族や役員、果ては退社した方々にまでインタビューしたり、昔の写真を掘り起こしたりして、かなりの労力をかけて作った力作だった。
私は実はDTPソフトをちょっとかじったくらいで、自らデザインする能力は自信がまるでない雑用係みたいなものだ。
でも、みんなで一緒になって1つのものを作り上げるあの感じが好きなのと、神沢デザイン事務所が初期に手掛けた広告が好きで、運良くあの会社に入れた棚ぼた就職なのだ。
それを、簡単にはやめたくない…。
「なっちゃん、用心に越したことはないよ」
さっきまで怒っていたのに、急に心配するような表情になってかなちゃんは私の頭をなでた。
まだ、私もかなちゃんも昔の痛手を引きずっている。かなちゃんなんて、完全なるとばっちりなのに責任を感じていて申し訳ないくらいだ。
「うん…。ちょっと……考えるね」
大人しく言うことを聞いたので安心したのか、かなちゃんはやっぱり仕事があるから、と午後から事務所に向かった。
次の日。
さすがに2日も休むわけには行かなくて出社した。
「おはよ、どうしたの?顔がこわばってるよ?」
事務所で一番に声をかけてきたのは万由子だ。
唯一の同期で、気も合って、もはや親友だ。
今日の彼女はパフスリーブのブラウスにフレアースカート、巻いてある茶髪ととても似合って女子力の高い格好だ。デザイン事務所っていうより、丸の内のOLさんと並んでも遜色ない系だ。
「ごめん、万由子。私、会社やめるかも」
小声でこそっと言ったのに、万由子の「ええっ!?」という大声で周りの数人が振り返る。
「なんで!?」
小声で聞き返されたけど、上から降ってきた声に二人ともピタリと止まる。
「おはよう。日向さん、ちょっといいかな?」
見上げたら、ニコニコしている金髪がいた。
意を決して後を付いていく。
そういえば今朝はまだ如月さんを見ていない。
フレックスなので、朝1番は事務所の半分くらいしか埋まってないのが常。でも如月さんはいつも朝から事務所にいる人だったから、いないことに理由がありそうで、それが昨日……一昨日?のことと関係してそうでちょっと気になる。
社長室のない事務所で個室といえば応接室。
その応接室で神沢さんと向かいあって座った。ここで如月さんに抱きしめられながら寝た……と思うと顔が熱くなる。両手で頬を押さえてなんとか落ち着かせる。
「あの、こちらを受理してもらえますか?」
神沢さんより先に切り出した。何か言われる前じゃないと怖じ気づいてしまいそうだったから。
私が差し出した封筒には「退職願」と黒々とした筆文字で書かれている。これを書いてくれたのはかなちゃんだ。彼は字が上手いので宛名書きはいつもまかせている。
「わーお、素早いね」
たいして驚いた様子もなく、無造作に封筒を掴むと……
「却下」
と言いながら中身も見ずに真っ二つに破かれた。
あっけにとられて、しばし神沢さんを見たまま止まってしまった。
「なるほど。この瞳でじっと見られると、クラっとクるね」
思案顔で顔を覗かれる。
「悪いけどそれは受け取れない。でもって次の仕事を言い渡すよ」
先日納品した仕事で私の手持ちの案件は全て終了していた。区切りには丁度いいと思っていたのに―――。
コンコン。
そこにノックの音がした。
「入って」
神沢さんは相手を確認せずに答える。
嫌な予感の通り「失礼します」と言って入ってきたのは如月さんだった。
今日もダークグレーのスーツをビシッと着こなし、銀縁メガネの奥の瞳は無表情だ。
その無表情が静かにこちらを見る……。
「二人に仕事を振るよ。俺、これから1ヶ月間テレビの密着取材が入るんで、それのサポート」
「は……?」
間抜けな声を出してしまった。
密着取材のサポート?テレビ……って…。
「こっ、困ります!」
焦って立ち上がった拍子に前のテーブルに足をぶつけた。上に乗っていた紙くずになった退職願が床に落ちる。
如月さんがそれを拾いあげ、ピタリと止まった。
無表情のまま私を振り返り
「やめるつもりだったんですか?」
と冷たい声で聞いてきた。あの時の柔らかで優しい声色と全然違う。
すかさず神沢さんが封筒を奪って言った。
「大丈夫。やめない。っていうか、日向さんはメディア関係の仕事を嫌がるのはなんで?」
ぎくっ、と体がこわばってしまった…。
今まで周りに気付かれないようにうまくかわしてきたつもりだったのに、神沢さんに見抜かれていたとは…。
それでも、理由を詮索されたくない。
「いえ、そういうつもりはありません」
即座に否定するも、二人から注がれる目線が痛い…。
「ふぅん。じゃあ、大丈夫だね。今日の午後からテレビクルーが来るから。まずは社内の風景撮りたいんだって。やりかけの広告とか、テレビに出したらマズイものは隠すようスタッフに言って」
「わかりました」
即座に如月さんは仕事モードに入っている。
「実は今、同時進行の案件がいくつかあって、取材が入っても俺の仕事は止めたくない。っていうか後が詰まってるから止められない。理人は俺とスタッフの連結を、細かい指示はお前に任せる。日向さんはテレビ局との連絡を主にお願いしたいんだけど、いいかな?」
デザイン的な仕事じゃないけど、ってことで聞かれてるんだろうけど、どうせいつもの私の仕事もそんな感じだ。
わかりました……と言いそうになって、ハッと気づいた。
「あの……私の退職願いは……」
「「却下」」
ふ、二人に言われた!!
神沢さんはともかく、なんで如月さんにまで!
「主な理由は理人でしょう?コイツは俺がなんとかするから、やめないで」
神沢さんが如月さんを親指で指しながら言う。
なんとかする、ってどうやって?
「じ、じゃあ、なんとかならなかったらやめます!」
なんか、おかしな展開になってきた。
そもそもちょっと絡まれたくらいで辞めるとか言う私がおかしいのか、如月さんの絡み方がおかしいのか、よくわかんなくなってきた。
確実なのは、会社を辞められなくなったと言ったら、かなちゃんに怒られる……ということ。
破かれた退職願いはかなちゃんに見られないように処分しなければ。




