32: もう聞きたくない。
「このお話、大変申し訳ないのですが、今回はご縁がなかったということで、お断りさせてもらってもよろしいですか?」
にこやかな顔で神沢さんがキッパリと言った。
「あー、やっぱり?」
たいして残念そうでもなく、相楽さんは目の前のテーブルに置いてあった書類にタラタラとコーヒーをかけ、空になったプラスチックのカップを後ろになげた。
隣に座ってる相楽さんのお付きの人がハラハラしている。以前会ったことのある、私が知ってる人とは違う人。前の人も突拍子もないことをする相楽さんに振り回されて、いつも大変そうだった……。
神沢さんはそれを一瞥して、表情を変えずに続けた
「役不足で申し訳ありません。先程そちらの資料で説明した通り、うちの事務所では建築関係の実績に乏しく、ご希望の内容に添えないと判断致しました」
「使えねー。デザインはここで建物は別んとこ、ってことはできねぇの?」
やろうと思えば出来る。神沢さんも理人も、協力してくれる建築事務所を知らないわけでもない。でも、そこまでやるつもりはない。
「他をお当たり下さい」
応接室は一瞬止まった。
神沢さんから珍しく出ている威圧感で、相楽さんが止まったからだ。
理人をチラリと見れば、無表情で相楽さんを見ている。あれはあれで怖いだろうな……。
と、視線を前に戻したら相楽さんがこちらを見ている。
「なっちゃーん、なんとかならないの?」
「なりません」
なんとかならない理由を、懇切丁寧に明記した書類は私が作成したものだ。それをコーヒー漬けにされて、私はポーカーフェイスが保てそうにない。
「まあ、断ってもいいけど、今ウチでやってる取材もオコトワリすることになるヨ」
ニヤニヤしながら相楽さんは言った。
何それ?脅し?
「構いません。なんなら今ご連絡頂いても」
神沢さんは涼しい顔で答えてから、私を見た。私は携帯を取り出して谷中さんにかける。
ワンコール鳴った所で相楽さんが両手を上げた。相手が出る前に通話を切った。
「なっちゃん、やめて。わかりましたよ。降参。神沢くん、なかなか骨があるね」
相楽さんは立ち上がった。
「残念。神沢デザイン事務所に作ってもらった、っていう箔を付けようと思ったのに」
先回りして、応接室のドアを開けて待っていたら、通りすぎざまにグイっと顎をつかまれた。
「なっちゃん、キレイになったね。また遊ぼうよ?」
朝、相楽さんがこの事務所に来た時は、理人が見えないようにずっと手をつないでいてくれた。それで震えそうになる膝をなんとか押さえた。
応接室に座って、神沢さんが淡々と説明しだしたら、たいぶ冷静になれた。
でも今は、以前と変わらない得体の知れない沼のような細い目で見られて、ゾワリと鳥肌が立った。その瞬間、振り解くより先に後ろに引っ張られ、いつの間にか理人の腕の中にいた。
「あらあら、こないだもいたね君。如月…理人くんだっけ?」
「名乗った覚えはないのですが?」
理人の声が固く冷たい。
「確かに名刺はもらってねぇけど、親戚の見合い相手の名前くらい知ってるよ」
頭の中が真っ黒になった。
私はもちろん、神沢さんも理人も息すら出来ないくらい止まった。
理人の腕の中にいるのに、一気に心が冷えていく。
追い討ちをかけるように、相楽さんはさも愉快そうに言った。
「しかも、元カノとでしょ?変な感じだよねぇ。それも元サヤって言うのかな?」
やめて。
もう、これ以上聞きたくない。
相楽さんは私の顔を見てニイと笑った。
「じゃ、ボクはこれで失礼するよ。なっちゃん、気が向いたら連絡してね」
バタン、と応接室のドアが閉まった。本来なら事務所のドアまでお見送りするのが礼儀だけど、三人とも止まったまま動かない。
私を抱えていた腕がゆっくり下がる。
後ろから理人の震える声がした。
「……奈都……」
「どういう、こと……ですか?」
「奈都、ゴメン。話そうとは思ってたんだけど……」
「どういうことって聞いてるの」
理人の顔が見れない。振り返れない。
「……教授に相楽のことを聞きに行ったとき、そういう話があって…。もちろん、断るつもりだ」
理人のことだ。相楽さんの話をあそこまで深く聞いた手前、その場で断り切れなかったんだろう、ってすぐ分かる。
でも、分かるのと感情は別物だ。
足が、勝手に動く。理人から離れる。
後で理人が息をのむ音がした。




