28: 怒らないで下さい。
「は?昨日、結局自力で帰った?」
理人が聞き返す。あれ?携帯いじってたんじゃないの?
「そう。自力ってもタクシーで」
「翔、車で迎えに来てたじゃねーか」
昨日、私と鉢合わせした後、大通りで待っていた神沢さんに三枝さんを引き渡して、理人はその場を去ったらしい。
「助手席に乗って、翔が運転席側に回り込む間に、女に声かけられたの」
思わず理人と目を合わせた。
「多分、知り合いだったんだと思う。話始めて、女が翔にべたべた触り出して……」
あっ……、泣きそう…。
「丁度、車の後ろにタクシーが止まって、お客を下ろしてたから、それに乗り換えて帰ってきたの!」
なんという……。
「かつてのクライアントだったんじゃねぇの?」
「そうかもしれない。あんまり無下に出来ない感じだった。それくらい、私だってわかってる。でも、昨日は酔ってたし、もう……限界……。翔が、私の目の前で、他の女に優しいの見るの、もうやだ」
確かに、神沢さんは誰にでも優しい。ノリも軽い。でも、軽いからこそ誰にでも気軽に話しかけていて会社の雰囲気はいいし、クライアントからも話しやすいと評判だ。
そばにいる理人と比べれば、チャラチャラしてないとは言えない…かも。女性社員なんかと雑談してるのを、そうとらえてしまえば、そうなのかも……。っていうか、逆に理人が「めんどくさいから」とスーツとメガネで武装してる方が世間的にはおかしい、と思わなくもない。
「あの、それって神沢さんは三枝さんがそう思ってることを知ってるの?」
「奈都、鋭い。三枝は翔の前で意地張りすぎなんだよ」
「だって……」
ピンポンピンポンピンポンとチャイムがなった。どうしてこう、ここを訪ねる人はチャイムを何度も押しぎみなのか。
「言っとくけど、俺は呼んでないからな」
と、理人が嫌そうな顔をして玄関に向かう。
「道香!」
ドアを開けたらすごい勢いで入ってきたのは、案の定、神沢さんだった。
珍しくTシャツジーンズじゃない。あれは仕事用のスタイルだったのか。
今日も金髪はツンツンしてない。大きめのダンガリーシャツをガボッと着て、タイトな黒いパンツと合わせている。背が高い神沢さんによく似合ってる。
振り返って三枝さんを見たら、真っ赤になってそっぽ向いてる。
「ああ~、日向さんまでいるのにー。ゴメンな、迷惑かけて。でもって理人、目線、目線が痛いー!刺さってくるー!」
神沢さんの横で、めちゃ冷たい目線を投げかけている理人がいた。
「道香、帰るぞ」
「やだ」
ソファーの上で体育座りしてる美女……ってなかなか見ないな…。
神沢さんが、はーっと長い息を吐いた。
「道香、いいかげんにしろ」
突然、冷えた硬い低い声で神沢さんが言った。
いつもにこやかに笑ってる神沢さんの表情が、理人の無表情みたいに硬い。
「来い」
一言告げて、さっさと玄関に向かってしまった。三枝さんに一切触れてない。
その三枝さんを見れば、真っ青になってる。
理人が「あー、マジ、切れた」と呟いてるが、これ、このまま行かせて大丈夫?
三枝さんは、真っ青な顔でノロノロと立ちあがり、玄関に向かった。扉を開けて待ってた神沢さんがこちらを見て「理人、悪かったな」と言いながら三枝さんが出た後ドアを閉めた。
しばし無言…。
初めて神沢さんが本気で怒ってる所を見たけど、こわっ……怖かった…。
知らぬ間に力が入ってたみたいで、ほーっと力が抜けた。理人が近づいてきて頭をポンポンされた。
「怖かったか?」
「うん。初めて見た……。神沢さんが怒ってるとこ。会社じゃ嫌なクライアントでもうまくかわしてるように見えたから…」
「そうだな。俺もマジ切れした翔は三枝関係でしか見たことない」
それって……。
理人がニヤリと笑う。
「そーゆーこと。素直じゃないんだよ、お互いに。そろそろ決着つけて欲しい所だ。ほぼ10年付き合わされてるこっちの身になれってんだ」
「お、お疲れ様です」
それしか言えなかった。でも、10年も二人に付き合って、今みたいに仲を取り持ってあげてるなんて……理人らしいな、とも思ってしまった。
「昨日も、三枝さんの話を聞いてあげてたのね……」
「昨日は散々だった」
ポツリと呟き、ソファーに座ってる私の隣に理人も座った。
「好きな女は違う男と二人で出かけちまうし、その男からは奈都が泣いたと聞かされるし、三枝から愚痴を聞かされたあげく、誤解されて逃げられるし」
つらつらあげ連ねて行くそれを、私のせいかのようにじとりと見てくる。
「でも、まあ、最後は奈都の気持ちが聞けたから、結果オーライだったがな」
じとりがニヤリに変わった。
「で?なんで守山の前で泣いた?」
うわ!しつこいな!
「理人……、意外と粘着…?あ、違った最初から粘着だった」
半目になって、思わず呟いたら突然がばりと抱き締めて来た。
「奈都限定粘着」
耳元でわざと色っぽい声で言う理人。この人は私がこうされると真っ赤になることをわかってやってる。
「守山君に、告白されたの」
腕の中で白状したら、理人の体がビクっと固まった。
「断ったんだけど、その時に理人が好きってバレちゃって……。まだ理人と三枝さんとのことを勘違いしてたから……泣いちゃって……。泣くくらいなら、俺にしとけよとか言われて……」
「……」
「……う、ごめんなさい」
「触られたり、した?」
抱きしめられてるので顔が見えない。でも、声が怒って……る?
「ちょっと…だけ」
「どこ?」
「えっ…」
理人の手が怪しい動きをしだした。背中にあった手が腰や脇あたりに伸びてくる。
「ちょ、そんなとこ触られてないから!」
と、体を引き離そうとして顔を見たらメチャクチャ不機嫌になってる。
「自分で言うのもなんだけど、俺、あの夜ものすごい我慢したんだけど」
「あの夜?」
夜一緒にすごしたのは、あの甘々に慰められた夜しかない。がまん……って。
「俺は我慢したのに守山には許したのか」
「ゆっ、許してない!……って、理人?嫉妬……してるの?」
「そうだ。悪いか」
不機嫌な顔を横に向けて、照れてる。かわいい。
理人の頬に手を伸ばす。
「理人」
甘ったるく響く自分の声が恥ずかしい。
こっちを見た理人の目に熱がこもってて更に顔に熱が集まる。
頬に置いた手を捕まれて、手のひらにキスされる。その唇が手首、肩、首筋、頬と移動してきた。
その間も理人の黒い瞳はずっと私を見ている。
恥ずかしいけど目が離せない。
とうとう唇と唇が重なった。
最初は、優しくそっと触れては離れる様子を見るようなキスだったのに、次第に激しく貪るようなキスになった。
「……ん、り、…ひと、まっ……!」
息苦しくて、待って欲しいのに止められない。
「奈都、好きだ」
腰に響く低音をそんなに甘く囁かれたら、溶けてしまいそう。
「いいか、奈都に触るのは俺だけ」
「うん」
「奈都を可愛がるのも俺だけ」
「んん」
いっぱいいっぱいの私に対して、余裕で色気を放ちながらのし掛かってくる理人を、もう止めることなんて出来なかった。




