26: 俺のミューズ
「『ミューズ』って聞いたことある?」
首を左右に振る。直訳だと、女神?
あれ?でも誰か他の人も「ミューズ」って言ってたような……。
「よく、ファッション業界で使われる言葉だけど、デザイナーのインスピレーションを刺激するモデルのことを、ミューズって言うんだ」
インスピレーションを刺激する…。
「『ポスターの女性』は俺にとってのミューズ。ファッションではないけど、今までに携わってきたいろんなデザインで、あのポスターのイメージに助けられてきた」
初めて聞く、理人の仕事についての話。あのポスターが転機になった、とは言ってたけど、それだけじゃなかったんだ…。
「かなちゃんが聞いたら、すごく喜ぶと思う」
姉としてちょっと誇らしく思って言ったら、きょとんとされた。
ブハっと、急に理人が吹き出した。
「……奈都……、わかってねぇの?ポスターの女性は、奈都だろ?」
「……?、うん?」
体を起こした理人に腕をつかまれて、私も起き上がる。ベットに向き合って座った状態になったら、理人の手が頬に伸びてきた。
「奈都が、俺のミューズ」
眩しいくらいの甘い笑顔で言われた。
「あ、……ありが……とう?」
真っ赤になって言ったら「なんで疑問形なんだよ」と笑ってる。
だって、あのポスターの中の私は、私であって私でない感じ。かなちゃんマジックがかかっていて、自分っていう意識が薄い。
って言ったら、なぜかニヤリと笑われた。
「実は、ポスターの女性って気づく前から奈都のこと気になってた」
「えっ……」
「社員全員で野外イベントの飾り付けした時あっただろ」
あった。天気がメチャクチャ良くて、イベント的にはいいけど、みんなで汗だくで飾って手伝って……。
「あの時、太陽の下で見た奈都のこの茶色い瞳が、吸い込まれそうにキラキラしてたのを見て、ドキっとした」
理人が、珍しく照れて目元がちょっと赤くなってる。って、もちろん私も赤いのだけど。
「その前から、仕事が丁寧で実は一目置いてたんだ。奈都が入ったグループは、案件が終わった後の資料がよくまとめられてて、後で参考にしたい時なんかに分かりやすかった。あれ、奈都がやったんだろ?」
「うん…。私、デザイン系はそんなに力になれないから、他でサポート出来たら、って思って…」
まさかそんな所を認められてたなんて、思いもしなかった。
「あと、あの彼方の写真展の時のおしゃれした奈都にもドキドキした」
こ、この人……、口が悪い悪いと思ってたけど、もの言いはストレートで、こういう時……参るな。
恥ずかしすぎて、居場所がない…。
頬にかかる手が耳に移動して耳たぶをクニクニいじってる。顔を見たら、とろけそうな微笑みで、こちらを見ていた。とたん、反対の耳元に顔が近づいた。
「奈都を俺のモノにしていい?」
自分の声の効果をわかって、ここぞとばかりに低い艶めいた声色が理人の口から出た。
「……っ、へっ……?」
言葉の意味より、先に低い響きが背中を走り、何を言われたのか一瞬理解出来なくて、変な返事をしてしまった。
俺のモノ?
理人のモノ??
―――って、どういう意味?
耳の手が動き、ぐっと襟足をとらえて顔が近づく。
泣いた夜は、目元や頬にキスされたけど、これは確実に口にしようとしてる……
「ちょっと待った!待った!!」
ぐいーっと理人の口元に両手を当てて押し返す。
「嫌?」
とたんに不機嫌そうな顔になった。
この人は、表では無表情でクールな仮面を被ってるのに、裏では喜怒哀楽がすごくハッキリしてる。
「嫌とかの話じゃなくて、ここウチだし、お父さんとお母さんいるし!」
「じゃあ、いないとこならいいのか?」
「そうじゃなくてー!」
混乱して、涙が出てきた。
「そうじゃ、なくて、理人のモノになるってどういうこと?理人も私のモノになって……くれるの?」
両手をつかんでぐいっと引き寄せられた。
顔と顔が近い。
真剣な表情の理人は本当に整った顔で、その造形にドキっとする。
「俺が欲しい?」
「!」
私が質問してるのに!
でも、もうダメだ。この、一見クールな黒い瞳に吸い込まれて、嘘もごまかしももう効かない。
「……ほっ……欲しい。理人が欲しい!」
なにを聞いてもダメなんだ。彼が欲しいのは許可を得るための質問ではなくて、私の意志なんだ。
目の前で理人の顔がふにゃりと緩んだ。
メガネ越しの無表情、困った時に寄る眉毛、大型猫科動物の獲物を狙う鋭い瞳、いたずらっ子みたいな面白がってる目、心配そうな真剣な顔、溶けそうな甘い微笑……。沢山のいろんな理人を見てきたのに、まだ私の知らない顔がある。
「奈都、俺が欲しいなんて、えっろ」
「!!!!」
理人が言い出したんじゃん!!
恥ずかしさが限界突破で両手で顔を覆った。
「奈都、理人君、下でコーヒー飲まないかい?」
コンコン、とノックの後にドアの向こうからお父さんの声がした。
「行く!すぐ行く!」
この状況から逃れたくて、即座に返事をした。
ベッドから下りかけたところで、後ろから理人に抱きしめられた。
「なんで守山の前で泣いたか、後で聞くぞ」
「……。こっちだって、三枝さんのこと後で聞かせて。まさか二股…」
「んなわけねーだろ」
即座に否定して、耳元にキスされた。
赤くなった顔が収まるまで、コーヒーを飲みに行けないじゃないの!!




