2: 誰にも言わないのでやめて下さい
「お疲れ!今日はそのまま直帰していいぞ。あ、如月に代わってくれる?」
先方の会社を出てから神沢さんに電話したら、そう言われた。如月さんに私のスマホを渡す。
時刻は19時30分過ぎ。確かに会社に戻ったら結構遅い時間になってしまう。
「……わかってます。……ええ、…。しねぇよ。……うるさい」
社長と喋ってる如月さん…って、なんか親しげ?
通話を切った如月さんが、スマホを差し出しながら
「お腹空きませんか?」
と聞いてきた。
確かにお腹空いた。けど、仕事で二人きりはともかく、如月さんと二人でごはん……と、考えたら腰が引けた。
自分で言うのもなんだけど、私は元々そんなに人付き合いが得意な方ではない。
出来ればお一人様がいい、ぼっち万歳っていう方だ。
会社でも仕事の会話はするけど、プライベートな話をするのは同期の山岡万由子くらいで、他の人との接触はなるべく避けているくらいだ。
幸い見た目も中の中で、いい意味でも悪い意味でも目立たない。完全なるモブなのが私にはありがたい。
なのにあの無機質美形メガネで得体の知れない如月さんと二人……って…。
無理だ…。
そう結論づけてお断りしようとしたら先手を取られた。
「今回の案件はお疲れ様でした。私も他の案件と被ってしまったので、日向さんにも負担をかけてしまいました。お詫びにご馳走させてもらえませんか?」
下でに出られた…。
こうなると、断りづらい。
しかも、お誘いをお断りしたのはこれが初めてではない。
プロジェクトの途中で何度かランチも含め、食事に誘われてはお断りしていた。
な、なんでこんなにお断りしてるのにメゲないんだろう……。
とはいえ、実はこの如月さんの執拗なお誘いには心当たりがある……。
今回の案件の相手方の担当者が、如月さんの知り合いだった。
これだけなら、まあそういうこともあるよね、で済まされる。
その担当者の方、三枝道香さんが目の覚めるような美人さんだった。
出るとこ出て、絞まるとこ絞まる、いわゆるボンキュボンな体つきで、さらに目はパッチリ大きく肉感的な唇は色っぽく、ほどよく茶色にしたユルいパーマをかけた胸までの髪がよく似合う、本当に絵にかいたようなグラマー美人さんだった。
これもまあ、良い。
問題はそこではなく、私が本当にたまたま偶然聞いてしまった二人のプライベートな会話だった。
メールや電話だけでなく、何度かこちらに来てもらったりしても、知り合いとはいえ二人の会話はビジネスライクなものだった。
グループの男性達が三枝さんにデレデレしてても、如月さんはいっそ塩対応?くらいな接し方だった。
とはいえ、美男美女。如月さんは180くらいある上背なのに、三枝さんも隣に立っても見劣りしないバランスの良さ。オシャレなスーツメガネ男子の横に色気ムンムンの肉感的美女…。
デザイン系の社員はそのバランスの良さと見栄えの良さに男女問わず、眼福!と二人の組み合わせを喜んで見ていた。
ところがある日。
私が外出から帰ってきて、ビルのエレベーターを3階まで上がって廊下にでた時、丁度事務所から誰か出てくるドアの音がした。エレベーターから降りて、廊下を曲がると事務所のドアだ。ここからでは誰だかわからない。
「……、……」
何か会話してるけど、聞こえない距離で思わず足を止めた。向こうはだんだん近づいてくる。
「……、うっるせぇな。ほっとけよ」
……えっ…。
今の、如月…さん?
声は彼のものだが、口調が違う。
いつものバカ丁寧な言い方とは真逆の、かなり砕けた……ハッキリ言えば、口が悪い系の…。
「あら、ほっとけないわ。気になってしょうがないもの。この顔がどんなになるのか」
クスクス笑いながら、三枝さんが答えてる。
止まってる私の方へ歩いてくる足音が聞こえる…。
親しげな会話から、聞いてはいけないものだったかも、と思い、咄嗟に隠れた方がいいのか悩んだ、っていっても、エレベーターから降りたこの廊下に隠れられる所なんてない。と戸惑ってる所に曲がり角から二人が現れた。
三枝さんが如月さんの腕に腕をからめて、さらに頬を触ってる状態で…。
あわわわわ。
スゴい状態に遭遇してしまった!
如月さんは、珍しくビックリ顔して止まっている、三枝さんもビックリ…はしたものの立ち直りは早く、如月さんから離れると私に向かってニッコリ私に笑いかけてきた。
「日向さん、外出だったの?お疲れ様。私はもう帰るところだから」
ここまで言って、如月さんを振り返り
「彼をよろしくね?」
え?どういう意味?
と、聞き返す間もなくさっさとエレベーターに乗ってドアを閉めてしまった。
しばし閉まった扉を見つめて止まってしまったが、恐る恐る如月さんを振りかえる。
そこにはいつもの無表情な顔で立っている彼がいる…。
「あ、あの…。只今帰りました!しっ、失礼しまーす」
と早口で言って、如月さんの横をすり抜け事務所のドアに向かって駆け込んだ。後で如月さんが「待て…!」と言った気がしたがすぐにバタンと扉を閉めてしまった。
あー、ビックリした!
あれは、あれか。お二人は付き合ってるとかそーゆーことか。
うっわあ!お似合いすぎて何の違和感もない。
でもこれは他の社員には言えないな。如月さんのことを狙ってる人は1人じゃない。社内に限らず、取引先にもいるらしいってことは鈍い私でも聞いたことある。
だから、ずっと黙ってた。
万由子にも言ってないのに。
あの後から執拗なお食事の誘いが始まったのだ。
「あのっ、三枝さんとのことなら、私他言しませんので!口止めとか不要ですっ!」
結局、空腹に耐えられず、如月さんに連れられオシャレなイタリアンの店に行くことになった。まあ、空腹以外にも1回おつきあいして、こちらのスタンスを説明しとけば、もう誘われないだろう、と思ったからだ。
ミモザサラダとカプレーゼ、マルゲリータとパンツェッタのパスタをシェアして食べている。私が取りわけようとお皿をとったのに、如月さんが無言でそれを奪い、もくもくとよそってくれた。
さっきからこうだ。
お店に入る時はドアを開けてくれて先に通してくれる。席に座る時も椅子を引いてくれて、料理やワインを注文するのも、彼。
あまりにもスマートに自然にこなすレディーファーストに、あっけにとられてしまった。
仕事上ではなかった待遇に面食らう。
更に、注文したメニューは彼が全てを選んだのに、どれも私の好みのものでビックリした。エスパーなのか、たまたま私と好みが一緒だったのか…。
気不味いながらも、ポツポツ仕事の話をしながら、あらかた食べたところで、言いづらいのをワインの力も借りて、心配無用!と安心させようと切り出したのに、返ってきたのは
「は?」
というトゲのある返し。
え?そーゆーことじゃないの?
「なかなか、予想の斜め上を行ってきますね。日向さんは」
メガネの奥は面白がってるように細められている。それをバッチリ見てしまったら、背筋がゾクゾクした。
ヤバい。
この人。
普通じゃない……かも…?
理屈で説明出来ない本能のようなもので、危険を感じた。あれだ、蛇に睨まれた蛙?肉食獣にロックオンされた獲物の気持ち。
逃げなきゃ……食われる!!
目が離せないのは、離したスキに襲われそうな気がしたから。その目線を余裕で受け止めて、如月さんはゆっくりメガネを外してスーツのポケットに滑り込ませた。
「逃がさねぇよ?」
ニヤリと笑ったその表情は、全然知らない男の人のものだった。