15: 名前を呼ばせないで下さい。
「あのー……これは?」
どこだかわからない風景写真がゴッソリ入ってる箱を差し出す。
「それはこっちの棚」
腕まくりした逞しい手が右側の棚を指す。
「如月さん……これ、いらなくないですか?」
球体と長方形が組合わさった謎な真鍮のオブジェが付いた置時計を指差す。もちろん、時計は止まっている。
「「理人」な。うーん、いらねぇな。不燃ゴミんとこおいとけ」
「はい」
「おい、いつになったら敬語やめるんだ?」
足元にあった紙ゴミの山に足をぶつける。地味に痛い。
「今は仕事中ですよね?」
そっけなく返す。
「どうせ、二人きりじゃねーか」
振り返った如月さんと目が合う。
朝はよく見てなかったけど、今日の如月さんは初めて見るカジュアルファッションだ。
ベージュのクロップドパンツに紺のカーディガン、中のTシャツは白地にブルーの細ボーダーで、ちょっとマリンテイストだ。普段スーツでも、デザイン業界の人だから私服はやっぱり個性的……かと思いきや、意外とシンプルだった。でも、品質は良さそうで、シンプルながらもスタイリッシュで上品で、ダサさは微塵もない。
髪もセットしておらず、ナチュラルサラサラヘアーだ。もちろん、この口調なのでメガネはかけていない。
カッコ良すぎでしょう。
でもって今は、うっすら汗をかきながら腕まくりして、部屋の片付けをしている…。
「あっつ……」
そう言いながら腕で額の汗をふく動作は、本人は全くそんなつもりないんだろうけど、色気駄々漏れだ。
「窓を開けない?埃もすごいし、風を通した方がいいかも」
如月さんがニヤニヤしてる。
ん?あれ?今、私普通に喋ってた……。
昨日、メチャクチャに甘やかされてた時は確かに普通に喋ってた。どっからそうなってたのかよくわからないけど。
ちょっとくやしくて、ムッとした顔したら、如月さんは余計に嬉しそうな顔になった。
もう!なんなの?今までずーっと見てきたクールな如月さんはどこへ行ったの!?
赤くなってるであろう顔を見せないように、窓に向かった。
とはいえ、一筋縄ではたどり着かない。
ここは、会社が倉庫代わりに使ってるマンション。事務所から徒歩5分くらいの所にあるので、普段から社員がよく行き来している所だ。広めのワンルームに天井までの棚を置いて、資料やイベントで使った飾りや撮影小物、その他モロモロが置いてある。棚以外にも床には段ボールが積み上がり、足の踏み場もなかったのを、如月さんと午前中いっぱいかけてやっと半分くらい床が見えてきた所だ。
今日の仕事は、ここの整理。
神沢さんから「今日は日向さんは事務所に近付くな」と、今朝事務所に連絡した時に言われたのだ。
なぜなら、相楽さんが本当に神沢デザイン事務所に仕事を依頼して来たから。
しかも、無理言って昨日の今日でアポを取った。神沢さんはこれでも3年先くらいまでは仕事の予定が埋まってる売れっ子だ。なのにスケジュールのほんの隙に無理矢理アポを入れたのは、神沢さんでもお断り出来ないらしい大物の口聞きがあったんだろう……と容易に想像出来る。
こういうコネ使いまくりな所とか変わってない。あの細いぺったりとした目を思い出して身震いした。
段ボールの隙間を抜けて、やっと窓にたどり着き窓を開ける。ここ、2階のベランダからは向かいのビルの壁しか見えない。置くもののことを考えて、あえて光が入らない部屋を選んだらしい。でも、窓を開ければ風は通るし、外の喧騒も聞こえてきてこもった空気が一新される。
「んー、結構いい風入るー」
と、振り返ったらすぐ後ろに如月さんがいた。
「「理人」って呼べよ」
如月さんの手が伸びてきて、耳元の髪をいじる。
「遠慮しておきます」
「あっ、また戻ったな」
「出たゴミは事務所に持ちかえりますか?」
「……またそれかよ」
「…。申し訳ありません。無意識でした」
実を言うとこうやって如月さんと軽口し合うのがちょっと楽しくなってきている。
「昨日はあんなに素直だったのに」
ニヤリと笑って言われた。カッと顔が赤くなる。
「試しにでいいから、言ってみろよ」
もー、しつこいな!
「試す意味がわかりません」
「ホラ、「理人」って言えばいいだけだ」
耳をいじりながら、ちょっとかがんで顔を覗いてくる。
「なーつ?」
こんな、甘ったるい響きで名前を呼ばれたら、なんでも言うこと聞いてしまいそう……
「……り」
ピンポーン
インターホンが鳴った。
間をおかず、すぐにドアが開かれた。
聞こえてましたからね。インターホン鳴ったすぐ後に「チッ」って舌打ちしたの。
「お疲れ様ですー!差し入れ持ってきましたー」
と言って現れたのは、近くのケーキ屋さんの紙袋を持った神崎舞さんだった。
「すごい、だいぶ片付きましたね」
そう言いながらも目線はガッチリ如月さんを見ている。
「理人さん、私服なんて初めて見ました~」
あ、古参の神崎さんでも如月さんの私服はレアだったのね。
如月さんと、段ボールを避けながら、空いてるスペースへ移動した。
今日の神崎さんはいつものストレートの長い黒髪にエレガントな白いカットソー、ミモレ丈の花柄のスカートにライダースジャケットを合わす甘辛ミックスコーデだ。確か如月さんと同年代だったと思うけど、キリリとした美人さんで年齢不詳ながらにとても良く似合ってて格好いい。まあ、三枝さんと比べてしまうと、どうしたって色気や迫力にはかないませんが…。
「神崎さん、本日はそちらのプロジェクトは大詰めの日だったと思うのですが?」
いつの間にか銀ぶちメガネをかけている如月さんが、無表情で抑揚のない声で言った。
さっきまでのギャップがすごすぎる!思わず笑いそうになって両手で口を押さえた。
「やだ、もう昼休みですよ。倉庫のカギがなくて、理人さんもいなかったので、社長に聞いたらこちらだと言うので来てみたんです。よろしかったら、お昼ご一緒にどうですか?」
さっきから私のことは見えてるのかな?
神崎さんが如月さんにアプローチしてる、というのは万由子から聞いてたし、話しかけたりしてるのは遠目で見たことあったけど、こんなに目の前で繰り広げられると、圧倒される。これが如月さんの言う「めんどくさい」ってやつなのか、と思った。
「そう、もう昼休みでしたか」
メガネの中央を押し上げ、私の方に向いた。
「メシ、何食いたい?」
確かに以前「別に隠してない」とは言ってたけど、見事な切り替え。後で神崎さんがあっけにとられた顔してるのが見えるんですけど……。
「えっ……と、何でも」
「ん、じゃあ行くか」
そう言ってスタスタと玄関に向かう。
このマイペースっぷりにだんだん慣れてきてしまった私は素直に付いていく。
「神崎さん、ここ鍵かけたいので出てもらえますか?」
言い方は丁寧だけど、扱いはぞんざいだよね…。
憮然とした顔で出てきた神崎さんにじろっと睨まれた。
鍵をかけた如月さんは神崎さんに向いた。
「今日、新規の顧客が来ましたか?」
「えっ…、ああ、来ました。テレビ局の関係者らしい相楽さんという方で、事務所のコンセプトデザインの依頼でしたよ。」
「事務所に戻ったら社長に伝えてもらえますか?連絡をくれるように、と」
「わかりました」
「じゃあ、よろしくお願いいたします」
そう言って、私の腕をつかみ、さっさと駐車場に向かってしまった。
残された神崎さんは気付いているのだろうか?ものの見事に追い払われたことを…。