12: 抱きしめないで下さい
局を出て、最寄り駅に向かって歩く。
大丈夫。
周りにいる人達は知らない人。誰も私を傷つけたりしない。
理屈では解ってるけど、体が怖がる。
誰かとすれ違う度に強張る体を自分でコントロール出来ない。でも、立ち止まれない。早く、早くあそこから遠ざかりたい。
「……奈都」
不意に耳にスルリと入ってきた、柔らかく優しい声が、脳ミソにハッキリ届いた。
振り返ったら、メチャクチャ心配そうな顔した如月さんが、肩で息をしながら立っていた。いつもビシッとキメてるスーツ姿が、ぐしゃぐしゃだ。
追いかけて、きてくれた……の?
さっきまで感じていたあたたかな温もりを思い出して、無意識に手を伸ばしていた。
如月さんがちょっとビックリ顔したので、私も躊躇して1番手前で触れるスーツの裾を掴んでみた。
それを見た彼は、くっと顔を緩ませて笑い、ゆっくりした動作で私を抱きしめてきた。
こ、こんな駅前の人ごみの中で……と理性が働いたのはここまでで、如月さんが耳元で
「1人で泣くな」
と呟いたとたん、涙腺が崩壊した。
理由とかもうよくわからないけど、この腕の中は絶対大丈夫という安心感がもう既に刷り込まれてる。そのまま如月さんに体を預けてしまった。如月さんは無言で力強く受け止めてくれた。
止まらない涙を、他の人に見せないようにか、如月さんは私の頭を自分の胸元に抱えてゆっくり歩き出した。
駅でタクシーに乗ったけど、座っても如月さんは私を抱きしめたまま事務所方面の住所を告げる。その間も勝手に流れる涙を止められず、顔も上げられない。
如月さんが、どんな顔をしてるのかわからないけど、頭に添えられた手はあたたかいままだった。
知らないマンションの前でタクシーは止まった。
その頃には私も落ち着きを取り戻していたので、そっと如月さんの顔を見上げたら、
「俺んち」
とボソッと呟いて、手をつながれて連行されるようにマンションに連れてかれた。
泣きすぎて頭がぼーっとして、よく考えられない。なんで私、如月さんちに連れて来られてるの?
部屋に入ると、もう嗅ぎ慣れたハーブの香りがした。
手はつながれたままで、洗面所まで引っ張られる。タオルを渡され「顔、洗えば」とぶっきらぼうに言われた。
今ヒドイ顔してるのは確かなので、お言葉に甘えて洗面所を借りることにした。
鏡を覗くと、目が真っ赤になって腫れている。
ホント、ヒドイ顔。
たいしたメイクもしてなかったし、だいぶ落ちていたので、メイク落としがなかったけど手持ちの乳液でなんとか落とす。結んでいた髪も下ろした。
あえて水で洗顔したら、多少気持ちもスッキリした。
リビング……と思われるドアを開けたら、すごく広い空間が広がっていた。
入ってすぐの左側にカウンターキッチンがあり、カウンターの前には、デザインがおしゃれなスツールが1客だけある。
1番目につくのは片側の壁面を多い尽くす天井までの本棚。大型の本が多いようだ。小説や実用書…とかより美術書や写真集みたいな。
テレビが申し訳程度のサイズで本棚の一角に収まってる。多分、あまり見ないのかな。
その代わり本棚の上部に高価そうなスピーカーが左右に置いてある。オーディオ機器はテレビより立派なのが中央に鎮座していた。
そして驚いたのは、会社の応接室にあるあの座りごこちの良いソファーと同じものが2脚置いてあることだ。色違いで会社のはベージュだけど、こちらは深い赤だ。これがこの部屋のアクセントになっている。
本棚と反対側には引き戸があり、もう一部屋あるようだ。
気づいたらコーヒーのいい香りがしてきた。
キッチンを見ると、ジャケットとネクタイを外してワイシャツとスラックスだけの如月さんがマグカップを持って立っていた。
「あの……、すいません。洗面所、ありがとうございました」
「……ああ」
そっけなく一言言ってコーヒーメーカーからカップにコーヒーを注いでる。そんな姿すら絵になる人ってそういないと思うなぁ。
ご迷惑、かけてしまった……。
さっきから言葉少なな如月さんが、メガネはないけどいつもの無表情なので、感情が読み取れない。
こんな情緒不安定な後輩をほっとけなくて、しょうがなくここまで連れてきてしまったのだろう。あまり長居しないで帰ろう……と思いながらぼーっと如月さんを見ていた。
「座れば?」
顎がソファーを指している。例のソファーだ。
会社のは来客用なので、実はあまり座ったことがない。たまに打ち合わせで使うときくらいだ。……あそこで寝たこともあるけど、あの時は動揺して寝ごごちなんて覚えていない。
なので、本当の意味でくつろぐために座るのは今回が初めて。
「失礼、します……」
座ってみると、やっぱりとても座り心地がいい。本当にこれ、欲しいな。
前にあるローテーブルにコーヒーを置いて、如月さんももう一脚のソファーに沈みこんだ。
「ん」
「い、頂きます…。」
なんでこんなに喋らないのー。
とりあえずカップを手に取りコーヒーを頂いた。あ、私の好きな甘くてミルク入りだ。
……。
って、横からすごい視線を感じる…。
「ご迷惑をおかけしました…。」
コーヒーを置いて、座ったままだけど頭を下げる。
「ここ、事務所に近いんですよね。コーヒー頂いたら事務所に帰りますね」
「ダメ」
えっ…。
頭を上げて如月さんを見る。
「そんな顔を他の奴に晒すな」
そ、そこまでヒドイ顔!?と、思わず顔を手で隠す。
「違う」
そっと両手を捕まれて、顔から離される。
目の前に整った如月さんの無表情な顔がある。
「泣き顔を俺以外の奴に見せるなって言ってる」
如月さんの顔を見ながら困惑する。
それは、えーと、つまり……、どういうこと?
「はな……離して下さ」
「やだ」
言い終わる前に被せてきた。
「言いたくないって言われたが、言え」
何の話か誤魔化せない真摯さで真っ直ぐ言われた。
「ずっと、奈都の中で燻ってるんだろ?だから動揺するんだ。蓋をしたって溶けていかないなら、いっそぶちまけろ」
抽象的な言い方なのに、何を指しているか解りすぎていた。さっきはあっさり引いてくれた如月さんが、こんなに直接踏み込んでくるとは思ってなかった。
首を左右にゆるゆると振る。
「……や……、嫌……」
言いたくない、というより、思い出したくない。話す、ということは当時を思い出すことと同じだ。また涙目になってしまう。涙腺が壊れてゆるくなってる気がする。
「奈都」
強めに呼ばれる。
「な、なんで?私、言いたくないって言った。確かに、仕事なのにうまく対応できなくて、迷惑かけて、申し訳ないと思ってる!けど、だからって、なんで如月さんに全部言わないといけないの!?」
もう、今日はダメだ。気持ちの乱高下が激しすぎる。乱高下?実際には上がってない。下がってばかりだ。グラグラしすぎてちょっとつつかれただけで、こんなに揺れる。
捕まれてる両手にグッと力を入れて引きはなそうとしても、強い力で捕まれてて離れない。
逆に引っ張られ、顔が如月さんの胸板に当たる。
「全部俺に言えって」
そう言って離した手が腰と背中にまわる。
何度こうして抱きしめられただろう。
どうしてこの人はこんなに私に執着するの?
以前から知ってはいたけど、まともに話すようになってからまだそんなに日が経ってないのに、なんで如月さんは私にこんなに安心感をくれるの?
ようやく1人で立って、拙いながらもここまで歩いてきたのに、こんなに明け透けに両手を拡げて迎えられたら、すがりたくなってしまう。
「……っ、……うぅ……、やぁ…………」
またグズグズに泣き出した私に、如月さんはぎゅうっと抱きしめる力を込めた。
「1人で泣くな、とは言ったが、俺の前では泣きたいだけ泣いていいぞ」
「なにっ……それ……」
そんなになんでも許さないで。
抱きしめられた腕が緩む。泣き顔を覗きこまれた。ボロボロこぼれる涙を、如月さんが指で拭った。
もう、自分でもなんで泣いてるのかよくわからなくなってきた。
―――と、如月さんの顔が近づいて目尻に唇が触れた。
「なっ……なにを……」
「泣けよ。もっと、……泣けよ」
なぜか如月さんの方が苦しそうな切なげな表情をしてる。
涙の跡に何度もキスされた。
「……奈都……、奈都……」
その間に何度も何度も名前を呼ばれる。
なんなの?このズブズブに甘い如月さんは。
もう、抵抗することもなく、流れる涙を彼に任せて腕の中でされるがままになっていった……。