№5 そぼろの二色丼 2
不思議だけど、お蔭様で安くお米を手に入れられるので正直助かっている。
ちなみにお二人はお米の味に興味があるようだったので、炊いたご飯を食べてみるか尋ねてみたんだけど、反応は芳しくなかった。
これまでお米を食べようと考えたことがなかったから、口にするのに抵抗があるんだと思う。
そのうち試してみるとは言っていたので、それ以上勧めたりはしていない。食べる物に困っていないのに無理強いする必要はないからね。
しかしお二人に食べてみてほしいとは思う。
料理上手なカリーナさんがどんな風に調理するのか気になるし、ご飯は腹持ちがいいのでお昼に出してくれると嬉しい。私の食生活のためにもフェザーさん達にはぜひ、お米の虜になってほしいところである。
なにかいいきっかけはないかな、と思案しながら歩いていると思い描いた米料理につられたのか、お腹の虫がぐーと鳴く。
私の胃袋は今日も今日とて素直だ。
――精米したての白米と朝取り卵と醤油で卵かけご飯なんて絶対美味しいもの。楽しみだわ。
米食の普及計画はどこへやら。
空腹に意識を持っていかれた私の脳裏に艶々の卵かけご飯が浮かぶ。
そうして夕食に想いを馳せていたのがまずかったのだろう。
心ここにあらずといった状態だった私は先客の存在にまったく気が付くことなく、暢気に物置へ足を踏み入れてしまったのだった。
***
――パサ、パサパサ。
物置の中に入ると布かなにかを叩くような軽い音が耳を掠めた気がして、私は首を傾げる。
物置に生き物などいないし、害獣や害虫対策は魔法でしっかりなされているとフェザーさんは言っていたからだ。
それなのに自分が出す以外の音が聞こえたことに、私は疑問を抱いた。しかしこの時の私は不思議に思うも、それが危険なことであるとは露ほども感じていなかった。
なぜかというと、鶏の観察をしているフェザーさんがなにか思い立って必要なものを取りに来たのかな、くらいにしか考えていなかったからだ。
実に平和ボケした日本人らしい発想である。
「フェザーさん? どこにいらっしゃるんですか?」
真っ暗な物置の中に私の声が響く。
夜目の利かない私では薄暗い物置の奥まで見渡すことなどできないのだが、異世界の人々は慣れているらしく明かりなどの設備はついていない。フェザーさんはおろかカリーナさんも明かりを持たないで入ることが多いので、私は暗闇で物音がしたことになんの疑問も抱かずそう問いかけた。
しかし返事は聞こえてこない。
一体何をしているのだろう、と首を捻りつつも何かしているなら手伝った方がいいよねという考えの基、私はカリーナさんがくれた籠を入り口付近に置かれた机の上に載せた。そして代わりにフェザーさんが私のために用意してくれた明かりを灯す魔道具を手に持つ。
そしてさらに物置の奥へと進むこと数歩。
突然何者かの手で口をふさがれ、魔道具を持つ手をひねり上げられる。
「――騒がず抵抗もするな。不審な動きをしたら殺す」
鼓膜を震わす妖しげな低音にゾクリと背筋が震えたのも束の間、囁かれた言葉の意味を理解するや否や、その物騒さにザッと音が聞こえそうな勢いで自身の顔から血の気が引いていくのがわかった。
慌てふためく脳で物盗りと遭遇してしまったのことをなんとか認識したものの、刃物を突き付けられているわけでもないのに恐怖に染まった体はピクリとも動かない。生まれてこの方事故現場に居合わせたこともなければ、犯罪に巻き込まれた経験など一度もなかった私は完全にパニック状態だった。
もう少し冷静だったならば私の口を塞ぐ男の手がひどく痩せ細っていて、全力で抵抗すれば逃げられる可能性があると気が付けたかもしれなかったが、犯罪者と遭遇してしまった驚きと殺されるかもしれないという恐怖で周りを観察する余裕なんて私には残っていなかった。
背後にいる犯人を刺激しないようにしないと、という考えが頭の中を締める。しかし明かりを灯す魔道具がカタカタと揺れるのを止めなくてはと思えば思うほど震える己の手をどうしたらいいのかわからなくて、ただバクバクと心臓が激しい音を立てた。
二人分の息遣いとカタカタ揺れる魔道具の音と早鐘のように鳴る心音が世界のすべてなんじゃないかと思えるほど私の聴覚は支配され、ただならぬ緊張に瞬きも忘れた目は乾ききっていて涙なんか出てこないし、ただただ体が強張った。
しかし明らかに怯え切ったその反応が功を奏したのか、背後にいた男がたじろぐように息を呑む。
そしてなにかを言いかけるように何度か吐息のような言葉にならない音を出し、やがて捻り上げていた私の腕をゆっくりと下ろしはじめた。
「…………言うことを聞くなら、乱暴なことはしない。だから、その……少し、落ち着くといい」
私をこれ以上刺激しないようにという気遣いが感じられる男の声色は思い浮かべていた犯人像よりもずっと若く、隠しきれない戸惑いがたっぷりと含まれていて。
耳元で聞こえる艶やかな低音に導かれるように視線を動かせば、動揺に揺れるアンバーの瞳が私を見下ろしていた。
「騒がず、逃げないなら、手を離す。誓えるか?」
言い聞かせるかのごとく一句ずつ区切りながら確認されて思わずコクリと頷けば、男は念を押すように「騒ぐなよ」と呟いたあとゆっくりと口を塞いでいた手を外す。とはいえその手が離れることはなく、掴まれたままの腕とは反対側の肩にそっと添えられた。
本当に騒いだり暴れたりしないか警戒してのことなのだろう。
しかし惑うアンバーの瞳からはもはや敵意など感じられず、私はそこでようやく詰めていた吐き出すことができた。
そして徐々に収まる心音を感じながら呼吸だけを繰り返すこと、数回。
私が落ち着いてきたのがわかったのか腕を掴んでいた男の指から少しずつ力が抜けていき、やがてスルリと抜け落ちるように手が離される。次いで肩を引かれて互いの顔を見詰め合うような体勢に変えられたことで、ようやく男の全身を見ることができたわけなのだが……。
目に映った男の姿に漏れかけた声を慌てて押し殺した私は、誤魔化すようにゴクリと息を呑む。
――う、嘘でしょ?
対面した男は、思わず目を見張ってしまうほど痩せ衰えていた。
背は頭一つ分ほど高いもののその腕の太さは私とそう大差なく、青白くやつれた顔は明かりを反射して輝くどこか虚ろなアンバーの瞳だけがやけに強調されて見える。
チラリと視線を落とせば視界に入る膝まであるモゾモゾ動く袋を下げた腰は大変細く、たいして大きくない荷がやけに重たそうだった。そしてズボンの裾から覗く足首や甲は、ゾッとするほど骨が浮いている。
ようするに、男はとてつもなく貧弱だったのだ。
手にある明かりの魔道具で殴れば私でも勝てそうな気がするほどに。
さっきまで感じてた恐怖って……。
艶のある低音にもっと体格のいい大人の男を思い描いていた私の胸中に、釈然としない想いが広がる。怯えきっていた己が恥ずかしくなるほど頼りない男の外見になんともいえない感情を味わっていると、気を取り直したのか真剣な色を浮かべたアンバーの瞳が私を射貫いた。
「ここへなにしに来た? 男の名を呼んでいたが、主人に言われて様子を見に来たのか?」
相手は窃盗犯ではあるものの「大丈夫? ちゃんとご飯食べれてる?」と聞きたくなるような状態で、もちろんそんな男に問い詰められたところで恐怖を感じたりはしない。
しかし先ほどまでとは別の動揺に支配されていた私は、言葉につかえながらも男の質問へ素直に答えていた。
「しょ、食材を取りに」
「食材? 一通り見たがそんなものはなかった。あったのは縄や薪や木板、あとは米だけだ」
「そのお米を取りに来たんです」
「米? あれは鳥の餌用だろう」
「私の中では立派な食材ですが」
そろそろ己の許容量を越えそうだと感じていたこともあり、食材としてのお米をあっさり否定された悲しみからつい食い気味に応えしまった。そのことを後悔するも、男が信じられないといった様子で目を見開いたことでそんな感情も吹き飛ぶ。どうやら見るからに食べるのにも困っていそうな彼にとってもお米は意外な食べ物らしい。美味しいのに……。
「……米だぞ?」
「美味しいですよ?」
「美味しいって、お前……本気で?」
「ええ、とても」
真剣な眼差しで窃盗犯に正気なのかと暗に問いかけられて少々傷ついたので、半ばやけくそ気味に微笑んでそう答えてやれば、男は茫然自失といった様子で言葉を失った。失礼な。
フェザーさんやカリーナさんにもいい顔はされなかったけど、優しい二人は表立って否定したりはしなかった。だというのに、この男ときたら信じられない生き物を見たといった感情を隠すことなく私を凝視している。
もちろんその様な目を向けられたことなんてこれまでないわけで、私の乙女心は深く傷つけられた。
――お米は日本人の主食なんだからね!
失礼しちゃうわ、と声に出したら本当に気違いだと思われそうなことを悔し紛れに心の中で叫びつつ、私は窃盗犯の顔を見据える。
ボサボサの栗毛は適当な刃物で切ったのがありありとわかる有様で、服も至るところがボロボロで裾は擦り切れており、袖から覗く手首は細くて彼が満足に食べることができていないことは明らかだった。しかし表情はほとんど変わらないものの声と瞳は雄弁にその感情を伝えてきて、無感情といったわけではなさそう。
そう観察したところで私の脳裏に、もしかしたら目の男が見た目以上に若いのではないかという考えが過る。
これまでに聞いた口調や垣間見える行動はどこか若く感じられたし、彼はここが物置だとさえ知らないで手あたり次第漁っていたような状態だった。それに手馴れた犯罪者ならば、立地や主人や従業員について下調べくらいはしているはずなのに、彼はフェザーという名を聞きつつも私に主人に頼まれたのかと尋ねてきた。
ということは鳥小屋の主人が誰かさえもわかっていない行き当たりばったりの犯行の可能性が高く、彼の容姿を見る限り貧困に嫌気がさして若さゆえの無謀を犯してしまったのかもしれないとも思えてくる。そう考えると色々しっくりくるしね。
――だから、怯える私にたじろいだのかもしれない。
彼が犯罪に手馴れた根っからの悪人だったならば、あの状況で「少し、落ち着くといい」なんて気遣うような言葉が出てくるとは思えない。
考えれば考えるほど目の前の窃盗犯がそれほど怖い存在ではないように思えてきた私は、もぞもぞと動く彼の腰にくくられた袋を見やったあとグッと拳を握る。
そして再び脈打ち始めた自分の心音を聞きながら、思い切って口を開いた。




