№12 終幕のカスタードパイ 2
***
売り言葉に買い言葉。
完全にその場の勢いで開催が決定したお料理教室を早速実行に移すべく、私達はそそくさと客殿の厨房へと場所を変えた。
時間が経って冷静になったバルト公爵に、やっぱりやらないと言われたら困るからね。
「――さて。それでは早速ですが、これから皆さんには洋菓子の基本であるカスタードクリームを作っていただきます!」
そう高らかに宣言した私の前に居るのは、バルト公爵とアルバンさんとその友人達三名。私と彼らの前には我に返る暇を与えないようヨハン陛下達にテキパキ準備してもらった、勇者印のコンロと片手鍋とボール、大きめの泡立て器、粉篩い、あとは鉄製のバットを一人に各一個ずつと、カスタードクリームの材料が置かれている。
カスタードクリーム。
卵黄と牛乳とお砂糖と小麦粉又はコーンスターチで作られるシンプルなそのクリームは、本場フランスではクレーム・パティシエールと呼ばれ、『お菓子屋さんのクリーム』という名のとおりお菓子屋さんにはなくてならない基本素材の一つである。
シュークリームやエクレアにフルーツタルト、ミルフィーユ、カスタードパイなどなど、そのまま使うこともあれば、生クリームと合わせたり、バターと香料を加えてクリーム・ムスリーヌというクリームを作ったり、ビスケットで挟んだりと使い道はまさに多種多様。
繁忙期ともなれば何度も追加調理され、一日で数十キロ使うことだってある。お菓子屋さんのレベルを判断する指標の一つであり、洋菓子界において基本中の基本であるカスタードクリーム。
お店ではこのカスタードクリームをいかに早く体得するかで差が出る、新人さんに与えられる最初の試験とも言えるべきものだ。
作業工程は少なく、完成までに時間もかからないし、お菓子職人になりたいというアルバンさんもいるので丁度いいだろうと思ってこれに決めた。
――気力と体力と腕力が試されるものでもあるしね。
楽しそうに見学しているルクト様達や、お菓子作りを見るのが初めてなのか興味深そうにこちらの様子を伺っているヨハン陛下に勇人君、それから公爵の監視のため着いて来た騎士達の視線を受けながら、フッと笑った私は目の前に立つ生徒達にカスタードクリームの極意について語る。
「様々なお菓子に使われるカスタードクリームは、言うなれば新人の登竜門です。しかし作る際に繊細な技術は必要ありません。美味しいカスタードクリームを仕上げるコツは一つ!」
私の剣幕に、アルバンさんとその友人達がゴクリと息を呑む。
一方、バルト公爵はお菓子作りと聞いて興味が薄れたのか不満そうな表情を浮べているが、ルクト様が提示した減刑が効いているのか今のところ文句を口にする様子はなく、私はこれ幸いと彼の気が変わって辞退を申し出る前に一気に話を進めていく。
「火にかけたら完成まで一瞬たりとも休まないことです」
そう。カスタードクリームの成功の秘訣は『休まずかき混ぜ続ける』にかぎる。
こう聞くと簡単な気がするけど、新人さんの最初の試練と言われるのだからそう甘くはない。
なにしろ、キロ単位で用意した素材を鍋に入れて、強火にかけて焦がさないようかき混ぜ続けながら一気に炊き上げるのである。
カスタードクリームは卵黄のたんぱく質凝固作用と、小麦粉やコーンスターチが持つ澱粉の糊化によって固まるんだけど、弱い火力では小麦粉に火が入る前に卵が固まってきて口当たりが悪くなってしまうので、強火で作業する必要がある。
なので、混ぜる手を止めたら鍋底からどんどん焦げる。
腕が疲れようとも、跳ねたカスタードで火傷しようとも最後まで手を止めてはいけないのだ。
卵や小麦粉に火が通り始め、液体だった素材が固体に変わり始めたカスタードクリームが腕に与える抵抗力は半端ではない。
しかしそこで混ぜる手を緩めようものなら、均一に混ざらなかったクリームにダマができ、鍋肌に長く触れた部分からたちまち焦げていくので、ひたすら混ぜるのである。
そうして、かき混ぜ続けているとカスタードクリームがつやを帯び、ある時、フッと軽くなる時がある。澱粉が十分に加熱されたことで糊化した瞬間だ。
完全に糊化したカスタードクリームはサラッとしているんだけど、これをバットなどにあけて平らに伸ばし、氷を敷き詰めた一回り大きいバットに乗せて冷やすと固まる。
ちなみに、きちんと糊化したカスタードクリームは冷やし固めるとペロンと取れて手で持てるんだけど、火入れが足りないと固まらず柔らかいまま。そうなると失敗なので、もう一度作り直しだ。
熱さに負けず、重さに負けず、最後まで妥協せずに、休まずかき混ぜ続ける。
まさに、気力と体力と腕っぷしが試される一品である。
――アルバンさん達やバルト公爵は頑張りきれるかしら。
まぁ、これで根を上げるようではお菓子職人にはなれないから、頑張るしかないんだけどね!
私も最初は頑張りきれなくて焦がしちゃってたのよね……と製菓学校での記憶を振り返りつつ、説明の続きを待っているアルバンさん達へ向き直る。
「カスタードクリームがどういったもので、どうやって作られるのか口頭で言われてもピンとこないと思うので、まず私がやって見せますね?」
私の目の前に用意されているのは、牛乳九百グラムに砂糖百八十グラム、卵黄百八十グラム、小麦粉(中力粉)九十グラムと削ったレモンの皮二個分。ちなみにレモンの皮はヴァニラビーンズの代わりに香りづけだ。
合計千三百五十グラム。
一キロと少しあるけど、このくらいならば私でもなんとかなる。お菓子屋さんではお鍋とかも大きいの使ってこの五倍、十倍の量で仕込んだりするからね。
ちなみに、普通に家で使うならこの三分の一の量で充分だと思う。
業務用の機材を思い浮かべつつ、小麦粉に手を伸ばす。
「まず初めに小麦粉を篩います」
小麦粉を篩わずに使うとダマになって口当たりが悪くなるので、ここは丁寧に篩っておく。
次いで手に取るのは、牛乳。
「牛乳をお鍋に入れて火にかけます。ここでは温めるのが目的なので中火くらいで。沸騰させないように気を付けて、お鍋の縁に小さな気泡が出始めるくらいまで温めてください」
その間に、残りの作業を進めるべくボールと卵黄と砂糖を手に取る。
「牛乳を温めている間に、ボールに卵黄と砂糖を入れて白っぽくなるまでよくかき混ぜます」
卵黄に砂糖をかけた状態で置いておくと、卵黄の水分が抜けてボロボロになってしまうので、この二つを合わせたらなるべく早く泡立てを開始する。
こうして空気をよく含ませておくことで卵黄に直接火が入らなくなるので、ちゃんと白っぽくなるまでよく混ぜてね。
そして卵黄と砂糖が良く混ざったら、篩っておいた小麦粉を投入。
「卵黄が白っぽくなったら篩っておいた小麦粉を加えて、再度よく混ぜます。粉が残っていると牛乳を吸ってダマになってしまうので、粉っぽさがなくなるまで混ぜてくださいね」
そうこうしている牛乳が温まったので、一旦火から下ろす。
「小麦粉が混ざったらここに温めた牛乳を少し加えて溶き伸ばしますが、大量に入れてしまうと卵が固まってしまうので少しずつ入れてください。緩い液体になるくらいまでですね。それで卵液が液状になったら、お鍋の牛乳を混ぜながらボールの中身を加えていきます」
温かい牛乳に一気に卵液を入れると熱で固まってしまうので、牛乳の渦に卵液を糸状に垂らしていれるイメージで加えていく。
あとは、一気に焚き上げるだけである。
「あとは火入れです。焦げ付かないように鍋底や鍋肌を泡立て器でさらいながら、撹拌し続けます。手前とか見え難い部分は忘れがちで焦げやすいので注意してください」
ゆっくりしていると折角温めた牛乳が冷めてしまうので、手早く注意事項を挙げて、コンロのつまみを捻る。
「鍋からはみ出すぐらいの強火で手を止めずに。フッと軽く瞬間があるので、そこまで頑張ってください。――こんな感じで」
そう言ってボッとコンロに火を点したら、戦闘開始だ。
鍋肌に触れている部分から固まっていくので、鍋底や側面、死角になりやすい持ち手の下部分など、触り忘れがないように気を付けながら混ぜる。
ジャブジャブいっていた卵液が徐々に固まり、腕にずっしりした重さを伝え来ても我慢して混ぜ続ける。腕がプルプルしてきても手を止めずにひたすら混ぜるのだ。
そうして、じんわりと額に汗が滲む頃。
艶を持ち始めたカスタードがフッと一瞬、軽くなる。
それから一、二分もすればモッタリしていた鍋の中のクリームは完全に糊化して緩み、サラッとしてくるので火から下ろす。
「これで完成ですが、鍋の余熱で焦げてしまうので火から下ろした後も少し混ぜててくださいね」
ダマなく仕上がったカスタードクリームに、一先ず安堵の息を吐きながらコンロの火を消す。
そして削ったレモンの皮を加えた。
「最後に香りづけとしてレモンの皮を加えたらバットに広げて、冷やします」
そう言って見学者たちの方へ目を向ければ、ススッとレイスが出て来てくれたのでカスタードクリームを広げたバットを渡す。
「冷やすのお願いしてもいい?」
「ああ。任せろ」
レイスの手にバットが渡って、しばし。
ホカホカと上がっていた湯気が消えて、艶々だった表面が少しだけ曇る。クリームの縁を見ればプリッと固まっているようなので、レイスにバットを返してもらう。
「ありがとう、レイス。それくらいで大丈夫よ」
「ん」
受け取ったバットの底を触り、完全に冷えていることを確認したら、カスタードクリームの端を掴んで持ち上げる。その途端、ペロンと綺麗にはがれて浮き上がったカスタードクリームに、私は笑みを浮かべて静かに見守っていたアルバンさん達やバルト公爵の方へ振り返った。
「冷やした時にこんな風に持ち上がれば成功です。頑張ってくださいねっ!」
無事に一発で成功した達成感を胸に満面の笑みでそう告げれば、疲労からか少し声が跳ねた。
「本当に手を止めちゃ駄目なんだね……」
「ええ! 手を止めた時が焦げる時ですから」
驚いたように尋ねるアルバンさんに力強く答えれば、少し顔色を悪くした友人三名が恐る恐るといった様子で口を開く。
「最初は液体なのに、途中から随分と重そうに見えたんだが……」
「こういうものですからね」
「……途中で火から外して休んじゃ駄目なのか?」
「折角上がった温度が下がってしまって、口当たりが悪くなるので駄目です」
「ちなみに身体強化の魔法は、」
「私も使ってないので勿論使用禁止です。冷やす時はそこに用意した氷を使うか、ヨハン陛下にお貸しいただいた騎士様達に頼んでくださいね」
次々と上がってくる質問にキビキビ答えていけば、徐々に元気を失くしていくアルバンさん達。バルト公爵も難しい顔で黙り込んでいるけど、一度も挑戦せずに逃がす気はないのでちょっとだけ煽らせていただこうと思う。
「ああ、あと女である私がこの量なので、皆さんはこの三倍量で挑戦してくださいね。お菓子屋さんをやるなら、それよりも多い量を複数回作らないとカスタードクリームは足りませんから」
「えっ?」
「って言いたいところなんですけど、失敗した時の材料がもったいないので今回は同量にしておきましょうか」
思わずといった様子で声を上げたアルバンさんにっこり笑って冗談だと言えば、見学者達が居る方から「鬼だ……」なんて呟きが聞こえてきたけれど、気にせず私はバルト公爵を見据えた。
そして敢えて朗らかに尋ねてみる。
「私と同量でも自信がないなら辞めますか?」
ジッと見つめながらそう問いかければ、気に障ったのか顔を赤く染めたバルト公爵が吠えるように答える。
「っやるに決まっているだろう! お前のような小娘にできて、儂にできないはずがない!」
「さすが公爵様! 出来上がったカスタードクリームはパイ生地で包んでお焼きするので、頑張ってくださいね」
期待どおりの返答に心の中で「かかった!」と喜びながらそんな声援を送れば、バルト公爵は舌打ちを零し己の前にある小麦粉と篩いを手に取った。
バルト公爵がいきり立った様子でカスタードクリームを作り始めたのを確認した私は、続いて顔を見合わせているアルバンさんと友人達に視線を向けて、同じ質問を投げかける。
「残りの皆さんはどうしますか?」
「やるよ。僕にもできるんだろう?」
「ええ。必要な動作は泡立て器で混ぜるだけですから。諦めず、妥協せず頑張れば美味しいカスタードクリームができます」
光を宿したグリーンの瞳から視線を逸らすことそう答えれば、アルバンさんは大きく頷いた。
「頑張る」
力強い声でそう宣言しバルト公爵と同様に己の道具を手に取ったアルバンさんに続き、友人達もカスタードクリームの材料と向き合う。
かくしてカスタード作りが、始まったのだった。
しかしながら、お菓子作りどころか料理もしたことない面々がそう簡単に体得できるわけがなく。
「どうだ!」
「焦げてるし小麦粉のダマが混ざってるのでやり直しです。バルト公爵」
「ま、マリー。お鍋が……」
「お鍋の真ん中だけじゃなくて、もっと鍋底とか側面とか全体をくまなく撫でるように泡立て器を動かさないと駄目ですよ。アルバンさん」
「これは?」
「混ぜ方が甘くてダマになっちゃってるのでやり直してください。イザークさん。体力を温蔵としようとしないで、混ぜる時はしっかりかき混ぜてくださいね」
「俺のは……」
「炊く時の温度が低すぎて分離しちゃってますね……。熱いし、焦げるのが心配でしょうがそれでは失敗してしまうので、次はもっと強火で炊いてください、ヴィリーさん」
「止め時がわからなくてこんなことになっちまったんだが……」
「……それは体得するしかないんですよね。泡だて器伝いに感じる重さに集中していれば、軽くなる瞬間が必ずあるので頑張ってください。エドガルさん」
出来上がったカスタードクリームを見て、各々に駄目な理由を挙げることしばし。
一体どうなったかというと、客殿の厨房に死屍累々が転がる結果となった。
一番初めにヴィリーさんがリタイヤし、次にイザークさん、エドガルさんと続けざまに白旗を挙げて、見学組に加わることになった。
そして現在、アルバンさんとバルト公爵が奮闘している。
頑張ってるけど、バルト公爵はそろそろ限界かな……。
度重なる駄目出しにやる気を失いつつあるのか、目が死んできているバルト公爵に次が最後かなと心の中で一人ごちる。
ちなみに私はなにをしているかというと、いまだに奮闘している二人を見守りつつ、皆が失敗したカスタードクリームを再利用すべく、焦げた部分を取り除き、ダマを裏ごしして滑らかに、火入れが足りないものは炊き直し、先日作ったパイシートで包んでマルクさんに焼いてもらいカスタードパイを製作中である。一発で上手く仕上げたものに比べれば風味も口触りも落ちるけど、消費した材料がもったいないからね。
五ミリくらいの厚さに伸ばしたパイ生地を七~八センチ角の正方形に切り分け、中心部分を伸ばして長方形にしたら、接着用に生地の半分に水を塗り、カスタードを乗せて半分に折る。
生地の端を指で押してくっつけたら、生地の両面に水を塗り、砂糖をまぶす。
最後に百八十度で二十五分から三十分焼成したらカスタードパイは完成。
表面のカリカリした砂糖とパイ生地のサクサク感が楽しい一品で、カスタードクリームとパイ生地があれば簡単にできるので、ちょっとしたおやつが食べたい時にはもってこいである。
大量のカスタードクリームを消費するためせっせと作っているカスタードパイは、見学組とリタイヤ組の胃袋の中にスルスルと消えて行っているので、アリメントムの人々の口にも合ったのだろう。材料的にもかなり贅沢な品だしね。私も作るだけでなく、早く食べたいところだ。でも、
――まだ頑張ってる人がいるからね。
せっせと新しい小麦粉を篩っているアルバンさんと光の消えかかった目でカスタードクリームが入った鍋と格闘しているバルト公爵を視界に収め、我慢我慢と心の中で呟く。マルクさんが「焼き上がりましたよー」と声を上げる度にお腹の虫が「キュー」、「グー」と鳴いているけど、言い出した私が二人を放ってお菓子に舌鼓打つわけにはいかないもの。
そうやってお腹の虫を宥めながら無心でカスタードパイを作り続けると、汗を流し過ぎたのかフラフラした足取りでクリームが乗ったバットを持って歩いて来るバルト公爵が視界の端を掠めてたので、手を止める。
「これは、どうだ?」
力ない声と共に差し出されたバットに広がるカスタードクリームにダマは見当たらないし、焦げているところもない。見た感じも固まっている。しかし、端を掴み持ち上げると綺麗にはがれることなく、カスタードクリームはバットにくっついたままだった。かなり上手くなったけど、惜しい。
「……残念ですが、火入れが足りてないですね」
私のその言葉に、バルト公爵は声もなく崩れ落ちる。
復活は……、無理そうだった。
「お疲れ様でした。あちらで水分補給しながらカスタードパイでも食べて、休んでいてください」
完成まであと一歩のところまで来ていたバルト公爵の奮闘を称えて、優しく声をかけてみるけど返事はなく、屍のようだった。
「マリー様。あとはこちらで」
「はい。お願いします」
回収しにきた騎士にバルト公爵を託せば、見学組とリタイヤ組がいる方へとズルズルと引きずられていく。哀愁漂う公爵の背に、私はそっと手を合わせて見送った。うん。すごく頑張ったと思うよ。バルト公爵。
……あとはアルバンさんだけか。
ひたむきに鍋と向き合うアルバンさんの姿を眺め、目を細める。
早々にリタイヤしたヴィリーさん達とは違い、バルト公爵とアルバンさんがやり直した回数はとっくに二桁を超えていて、一回一回は短時間とはいえ腕にかかる負荷は相当だろう。強火だから熱いしね。それでもいまだ衰えない集中力と一途さに、菓子職人になりたいというアルバンさんの熱意をヒシヒシと感じる。好きこそ物の上手なれっていうけど、本当よね。
先ほどアルバンさんが作ったカスタードクリームは、今バルト公爵が持ってきたものと近かったし、力尽きてなければ恐らく次は綺麗に仕上がったものが出来上がると思う。
百発百中で作れるようになるには、まだ練習が必要だと思うけどね……。
きっと今回は成功する。
そんな確信を抱きつつ、待つこと数分。
「これはどうかな?」
頬を伝う汗を拭いながらアルバンさんが持ってきたバットを受取り、視線を落とせば綺麗な黄色のクリームが広がっていた。
ダマもないし、焦げているところもない。
見た感じはしっかり固まってる。
あとは――。
カスタードの端に指を伸ばせば、上からゴクリと喉が鳴る音が聞こえてきた。 どうやらアルバンさんも緊張しているらしい。
かくいう私も、ちょっと緊張していて。
上手く仕上がってますようにと心の中で祈りながら、微かに震える指先でそっとカスタードクリームの端を摘まみ上げる。すると。
――プルンッ。
ペロッと綺麗にはがれて、カスタードクリームが持ち上がる。成功だ。
「アルバンさん。完璧です! お疲れ様!」
「本当に?」
バットを作業台において、完璧な仕上がりのカスタードクリームに惜しみない拍手を送れば、グリーンの瞳を輝かせたアルバンさんが喜び一杯に叫ぶ。
そんな私達に気が付いたマルクさんは丁度焼き上がった石窯の中のカスタードパイを取り出すと、こちらへ歩み寄ってきて完成したクリームを覗いた。
「へー、やりましたね。アルバンさん。お疲れ様です」
「え、本当にできたのか?」
マルクさんの言葉にアルバンさんが照れ笑いを浮かべると同時に、リタイヤ組から驚きの声が上がる。リタイヤ組はその大変さを知っているから、成功の知らせに感じる衝撃も一入みたい。
特にバルト公爵はアルバンさんに負けた事実が受け入れられないのか、自問自答し始めている。プライドが高い人って大変ね……。
「やり遂げた、だと? そんな馬鹿な。異世界の女ともかく、あの男より儂が劣っているなどあるわけが……、でも実際……、いや、そんなわけは……これは何かの間違いで……」
奥で座り込んだまま唖然としているバルト公爵と、わらわらと集まり声をかける友人達の表情はとても対照的で。
「やったな、アルバン」
「よかったなぁ」
「お前ならやれると思ってたよ」
「あ、ありがとう」
友人達に祝われ嬉しそうなアルバンさんに、良かったなと思う。
しかし、ここで終わりではない。
――折角作ったんだから、食べないとね!
自分が頑張って作ったものがどれだけ美味しいか。
それを知らずして、料理やお菓子を作り続けることなどできないだろう。
喜び合うアルバンさんと友人を横目に、完成したカスタードクリームが乗ったバットを回収すれば目が合ったマルクさんがうんうんと頷く。そして、静かにピールを作業台に置いたので、私はアルバンさんのカスタードクリームを手早くボールに入れて木べらで程よい固さになるまで練り、準備してあったパイ生地に詰めて、砂糖をまぶした。
そして側に控えていたマルクさんに、目配せを一つ。
「(焼成お願いします。マルクさん)」
「(お任せを!)」
力強く頷いて石窯に向かったマルクさんを見送り振り返れば、レイスやルクト様達見学組と目が合ったので、立てた人差し指を口に当てて黙っててくれるように頼めば、心得ているとばかりに首を縦に振ってくれたので私は胸を撫で下ろす。
――さてと。アルバンさん達はいつ気が付くのかしら。
焼き上がるまでバレないといいなと考えつつ待つこと、しばし。
ひとしきり騒ぎ、お互いの健闘を称えあったアルバンさん達がようやくカスタードクリームの不在に気が付く。
「あれ?」
「どうした、アルバン」
「カスタードクリームが……」
キョロキョロと辺りを見渡し始めたアルバンさんに、友人達もなんだなんだと騒ぎだす。
――驚かせたかったんだけど、残念。
バレちゃったかと、焦るアルバンさんに声をかけようとした丁度その時。
石窯の中を覗いていたマルクさんから、待ちに待った声が上げる。
「アルバンさんのカスタードクリームなら、もう焼き上がりますよー」
「へっ?」
マルクさんの言葉の意味が理解できなかったのか、アルバンさんがパチパチと目を瞬かせ、友人達も不思議そうに顔を見合わせた。
しかし友人の一人エドガルさんが状況を察したらしく、ハッと表情を変えて私を見る。
「まさか?」
「お話し中に仕上げておきました。すぐにカスタードパイを食べられますよ」
「カスタードパイ?」
友人の問いかけに胸を張って答えれば、アルバンさんが不思議そうに首をかしげる。
まぁ、アルバンさんはカスタードクリームを成功させるのに夢中で、皆がお菓子を食べている姿がまったく目に入ってなかったからね。仕方ないわ。
すごい集中力だったし、と目をパチパチさせているアルバンさんに苦笑していると、白い砂糖を纏ったパイ菓子を乗せたピールを持ったマルクさんが作業台に到着した。
「――これがカスタードパイですよ」
ザッと軽やかに置かれたカスタードパイからは、甘い砂糖とバターたっぷりのパイ生地の豊潤な香りがフワッと漂い、側に居る私達を優しく包み込む。
「これが……?」
「アルバンさんが作ったカスタードクリームがたっぷり詰まったお菓子です。食べてみてください」
マルクさんが持って来てくれたカスタードパイを食い入るように見ていたアルバンさんは、『お菓子』という単語に反応してパッと顔を上げる。私を見たグリーンの瞳は「本当に食べていいの?」と言っていて。
「折角頑張って作ったんだから、温かいうちにどうぞ」
キラキラ輝く瞳の期待に応えるように笑みを浮かべ、もう一度進めれば力いっぱい泡立て器を握っていたのか、手の平が赤く染まった大きな手が恐る恐るカスタードパイへと延びる。
そして目の前まで持ってきたお菓子を見詰めてゴクリと息を呑むと、期待からか頬を赤らめたアルバンさんは大きな口を開けてえいやっとパイ菓子に齧り付く。
――サクッ! シャクシャクシャクッ!
「すごく美味しい!」
口一杯にサックサクのパイを頬張って、ゴクリと呑み込んだアルバンさんの表情がパァッと明るくなる。うんうん。焼きたてのカスタードパイ自体とっても美味しいものだけど、その中身を自分が作ったってなるともっと美味しく感じるよね。
「その『すごく美味しい』パイ菓子の中身を作ったのは、アルバンさんですよ。体力あるし、腕っぷしもあるし、なにより諦めずに再挑戦できるひたむきさ。お菓子職人に向いてると思います」
だから、これから頑張ってください。
心からの賛辞を込めてそう告げれば、アルバンさんは己の手の中にあるカスタードパイを見つめながらそれはそれは嬉しそうに笑み崩れたのだった。
***
――カスタードクリーム作りから一か月後。
「まだかしら?」
「まだなのー? お母さん」
「そろそろだと思うわ。すごくいい香りがしてきているもの」
落ち着かない様子で厨房がある店内を覗くお母達とその子供達、その側には仕事を抜け出してきたのか少し汚れた作業着を纏った男達に仲睦まじい老夫婦。
「こんない香りがする食べ物があるなんてねぇ」
「ああ。そもそも儂らが子供の頃はお菓子なんてものがなかったからなぁ」
うっとりと目を細めてため息を零すご婦人に、杖を持ったご老人が感心した様子で相槌を打つ。
そんな彼らの視線の先にあるのは、本日開店の国営お菓子店。
アリメントム初だろう洋菓子屋さんは、この間作ったカスタードパイをいたく気に入ったヨハン陛下とルクト様によってザウエルエルクの町の一等地に作られたものだ。
多くの魔法使いを動員しあっと言う間に完成したお店の中には、客殿の厨房に負けず劣らずの設備が揃えられており、ザウエルク城で働いていた料理人さん数名とアルバンさんやその友人達も働いている。罪を償うために。
アルバンさんがカスタードクリームを成功させたあのあと、バルト公爵は内容がなんであれ『農民に負けた』という事実に大層衝撃を受けたらしく、その後復活することなく騎士達に引きずられるように連れ出され、アルバンさんと友人達はその瞳に未来への希望を宿しつつ促されるまま客殿の厨房から出て行った。
あのあとどのような話し合いが行われたのか、私は知らない。
いや、知らなくていいと思ってる。
……罪人の処罰に口を出す一般人なんていないからね。
勇人君のように勇者と名乗り、この世界の表舞台に立つ覚悟はまだない。
ならば私は、この世界の人々の人生を決める采配に口を出すべきではないと思うのだ。
実際、敵方として捕らえた人々の中には牢に入っていない人がチラホラいると聞いている。
その最たる人物はやはりヨハン陛下の伯父であるバルト公爵で、彼は大々的に裁くと問題があるので領地の没収などで家の力を削がれたあと本人はどこかに隠居という名で軟禁されており、強制的に当主替えが行なわれたらしい。
そして情状酌量の余地があったアルバンさん達は本人達の希望もあり、監視付きで国営店で働き罪を償っていくそうだ。
現代の地球のようにこんな罪を侵したら何年服役してといった明確な基準がない、絶対王政ならではの裁きだと思う。詳しい事情はわからないけど、そうやって内々に片付けた方が国のためになるそうだ。
私にはわからない事情があるのだろう。今は無知すぎてそこまで踏み込めないし、踏み込む気もないけど、これから知っていきたいと思っている。
――もっとこの世界のことを知りたい。
そう、思うから。
今回の再訪で私の中に芽吹いたその想いが、これからどう転ぶかはわからない。
国々の事情やその人の生き様や琴線を知り、また知ってもらうことで私とアリメントムの人々との距離は今まで以上にグッと縮まることだろう。
親しくなることでいつか別れの辛さに泣いて後悔するかもしれないし、しないかもしれない。
どちらせよそれは未来の話で、その時になってみないとわからないことだ。
それでも向き合っていきたいと思う。
――この世界の人々と。
アリメントム初の洋菓子店の開店を今か今かと待つ人々を眺めながらそんなことを考えていると、フッと頭上から影がかかる。
「マリー」
呼び声に顏を上げれば、どこか熱の籠ったアンバーの瞳が私を見詰めていて。
「君に聞いてもらいたい話があるんだ」
あまりにも真剣に、そして噛みしめるように紡がれたその言葉に、心臓が跳ねた。
すると、一緒に開店の瞬間を見守っていたルクト様達や勇人君達も寄ってきて、囲まれる。
「私もマリーさんには報告したいことがあるんだ。聞いてくれるかい?」
「俺も今後のことでちょっと相談したいことがあるので、お時間いただいてもいいですか?」
声をかけてきたルクト様と勇人君を、レイスがスッと目を細めて見やる。
同時に漂う、そこはかとない緊張感。
――な、なに? どうしたの?
事件は片付いたはずなのに一体何事なのか。
驚き他の面々を探せば、私達と少し距離を置いたところでワクワクした顔でこちらを見ているベルクさんとお忍び中のヨハン陛下、それからハラハラした表情を浮べているマルクさんと眉間に皺を寄せて睨んでいるジャンの姿。ええ? 本当になにが起ころうとしているの?
ドキドキと早まる心音に手を握り締めて顔を上げれば、アンバーとブルーと黒の三対の瞳が私を見詰めていて。
「マリー」
「マリーさん」
「真理さん」
いつにない雰囲気を纏うレイスとルクト様と勇人君に一体何を告げられるのかと身構えたその時だった。
バタンッと勢いよく扉が開く音と共に、より一層強く香る甘い香り。
「――お待たせしました! カスタードパイの販売を開始します!」
大きな籠いっぱいにカスタードパイを詰めたアルバンさんのその声に、私のお腹の虫が大きな声で返事をする。
――グー、ギュ―!
はやく行こうと大きな声で主張するお腹の虫に、じりじりと近づいてきていた三人の足がピタッと止まり、時同じくして緊迫した空気が霧散する。
――なんかよくわからないけど、助かった? ありがとう、お腹の虫さん!
「私、なくなっちゃう前に記念すべき初商品を買ってきますね!」
本能が叫ぶまま早口にそう捲くし立てて。
固まった三人の間をすり抜けてその場から脱出した私は、逃げるように店頭に群がる人々の中に身を投じる。そうして潜り込んだ人垣の中で私は順番を待ちながら、ドキドキと高鳴る心臓を落ち着かせるように胸元をギュッと握り締めて、大きく息を吸って吐く。頬が、熱くて仕方なかった。
チラリと後ろを振り返ればカスタードパイに集う人々の間から、僅かに肩を落とした様子のレイス達の姿が見えて、どこか気落ちした様子に再び心臓が跳ねる。
――いやいや。まだ早いでしょ。
フルフルと首を振ってレイス達から視線を外し、前に立つ老夫婦の背を見詰める。
と同時に、ふとした疑問が脳裏を過った。
――早いって、なにが?
というか、レイス達のこと知りたいと思ってるのに、なんで私は話したいことがあるという彼らから逃げてしまったのか。
確かに重たい空気とか苦手だけど、改めて聞いてほしい話があるなんて切り出して来るくらいだもの。なにか大事なことを話そうとしてくれていたはず。
それならば、なおさら聞いた方が良かったはずなのに、なぜ私は今そうしなかったのか。
わからない。
なぜ私の心臓はこんなにも脈打ち、体が熱を帯びていくのだろう。
――次は必ず守る。
なぜか、強い光を宿しまっすぐ私を射貫くアンバーの瞳が脳裏に浮かんだ。
…………え。なんで今、あの時のことを思い出したの?
一体どこに思い出す要素があったのか。自分のことなのにわからないことだらけだ。
なぜ、どうして、と疑問符が頭を埋め尽くしていた所為で、私は自分がお店の列に並んでいることなんてすっかり忘れていて。後ろの人に促されるまで私はその場に立ち尽くしたまま、訳の分からない自分の思考に悶々と考え込んでいたのだった。




