№4 フェザー視点 2
「………ねぇ、フェザー」
「なんだい?」
「マリーはなにをしてるのかしら?」
「……さぁ?」
依頼主へ送るため手紙に同封したり小物の中に隠したりするわけでなく、ザルを重ねた壺の中にお米を投入したままピクリとも動かないマリーに僕らは首を傾げる。
もしやお米を育ててどんな植物になるのか調べるつもりなのだろうか。しかし魔力の有無さえわかっていなかったマリーに、そんな高度な魔法が扱えるのか。いやもしかしたら魔法が使えない演技をしていたのかもしれない。
そんなことを考えながら壺の中をジッと覗き込む彼女の動向を見守っていたのだが、かれこれ十五分近く経っている。壺からお米が生る植物が伸びてくる気配はなく、分析しているにしても時間がかかり過ぎである。
彼女は一体なにをしているのだろうか。緊張と疑問を胸に見守っていると、それから少ししてマリーが動き出した。
立ち上がった彼女の腕の中には、白い粒が入ったザルが大切そうに抱えられている。
「あの白いのがお米なのよね?」
「……たぶん」
恐らく魔法で加工したのだろうがどうやったのだろう。
そしてなんのために?
意図の見えない行動に頭を捻っているとマリーは水でお米数回洗い、最後に綺麗な水の中へザルごと浸した。
そして再びお米を見守ること三十分ほど。
ザルを引き揚げて水切りしたかと思えば、一粒残さず鍋に入れて水を注ぎ、蓋をして火にかけた。
「…………もしかして、食べるのかしら?」
「お米を?」
「だって料理してるみたいじゃない?」
カリーナの言葉に確かにと納得しかけたけれども、お米を食べるなど僕は聞いたことがなかった。我が家でも麦などの穀物をスープなどにして食べることはあるけれども、お米は入っていなかったはずだ。それになにより。
「他の具や調味料も入れずに?」
「……茹でてるとか」
「それは美味しいのかい?」
「食べたことないからわからないわよ」
茹でたお米を思い描くがまったく味が想像できなくて、カリーナに尋ねればそっけない反応が返ってくる。
「美味しいなら貧困街の人達が食べていそうなものだけど。水辺に行けば生えているし」
「そう言われてみると確かにそうよね」
「だろう?」
思ったままを呟けばカリーナも同意してくれた。
しかしその到底美味しいとは思えないお米を、マリーは真剣に調理(?)しているわけで。
僕らの間になんともいえない空気が漂う。
そうして無言のまま、火加減を弱めたり強めたりするマリーを観察し続けること数十分後。
蓋を開けて湯気に顔を綻ばせた彼女は、白いお米を幸せそうな表情で頬張っていた。
柔らかそうではあるけど……。
味なんてないのではなかろうか。だってマリーは鍋にお米と水しか入れてないし、出来上がったものに調味料をかけていないのだから。
おかずもないのに美味しそうにお米を口に運ぶマリーの姿が段々滲んできて、僕はよく見ることができなかった。
彼女は天涯孤独でなにも持っていない。
だから飼育場の近くに研究用に建てた小屋を貸してあげることにしたんだからね。家から払われる給金でやっとご飯を食べられるような状況だ。
そんな状態でも、マリーには叶えたい夢があるらしい。
服はカリーナがおさがりをくれたから次は住まいを借りられるように頑張る。そして自分の住まいを手に入れたら家具などを揃えて美味しいものをお腹いっぱい食べて。いつか、世界を巡る旅するんだって。
そのために彼女が決して多くはない給金から、毎日少しずつお金を貯めているのは知っていた。
でもまさか、そのためにお米を食べるとは。
たしかにパンを毎日お店で買ったり、材料を揃えて自分で焼いたりするよりもずっと安くお腹を満たすことができるだろうけど、お米を主食にしようと考えるなんて誰が想像するだろうか。毒はないし、鳥達も食べてるんだから食べられるんだろうけども覚悟が深いというか、思いきりがいいと言うかなんというか……逞し過ぎるよ、マリー。
そんな僕の心の声が届くことはなく、ほどなくしてお米を食べ終えた彼女は鼻歌交じりにお鍋を洗っていた。
本当は美味しいものなのか、お米を食べられるだけでも幸せなのか。
僕らはマリーに問うことができず、それからしばらくして帰路についた。
彼女を疑い監視していたことを知られたくなかったし、もしお米が美味しいものでなかったら、と考えたら怖くなったからだ。だって美味しくもないお米であれほど幸せそうなマリーは、僕らの元に来るまでなにを食べていたんだという疑問が出てきてしまうからね。
確かめなければと思うものの、僕もカリーナも恐ろしくて未だにお米へ挑戦することができないでいる。
しかし近いうちに必ず。
勇気を出して真相を確かめるから、もう少しの間だけ意気地のない僕を許してほしい。
決意と謝罪を心の中で呟きながらチラリとマリーを見れば、彼女はあの日と同じく鼻歌を歌いながら餌箱を掃除していて。単調な作業を厭うことなく午前と変わらない、むしろそれ以上にせっせと仕事に励むマリーのひたむきな姿に熱くなる目頭を押さえて誤魔化した。
彼女がどんな生活を送って来たのか僕らにはわからない。
しかしその境遇を思えば容易なものではたしかだ。
だってマリーは、甘えるということを知らない。
今日のお昼だって、結局お代わりしなかったし……。
僕らが勧めても一人前以上を口にすることはなく、空っぽになった皿を残念そうに眺めながらカトラリーを置いてしまう。
聡明であるが故に我が家の現状を察したのだろう。だからこそマリーは余計頑なに僕やカリーナを頼らないようにしているのはなんとなくわかっているし、そんな彼女を謙虚で優しい子だと思う。
しかし同時に、大変臆病な子なのだろうとも思う。
屈託なく笑う一方で、ここを追い出されないように僕やカリーナの顔色を窺い、距離を測るその姿は飼い慣らす前の鳥達と同じだ。
鳥達と一緒で焦りは禁物――。
怖がらせないよう慎重に信頼関係を築きつつそっと囲い込み、どこに行っても恥ずかしくないよう彼女に足りない知識を補ってやろうと思う。そしてゆくゆくはマリーの親として、彼女の結婚式にカリーナと出席するんだ。
めくるめく想像の末に、生半可な男には絶対嫁にやらないぞと一人決意を固めていると可愛らしくも落ち着いた声が僕を呼ぶ。
「フェザーさん! 終わったので確認をお願いします」
「うん。すぐ行くよ」
元気な声で僕を呼ぶマリーに笑いかけて、持っていた鳥達の観察記録を閉じる。そして彼女の元へ向かった。
「どうですか?」
「とても綺麗になってるから大丈夫だよ」
働きぶりに太鼓判を押してやれば、マリーは花綻ぶような笑みを僕に返してくれる。辛い過去など感じさせないその屈託ない笑顔が、彼女の強さと心根を表しているようでとても眩しかった。
この笑みが曇ることのないように――。
見守ってやりたいと思う。
そのためにもまずは新しい鳥達の養殖を成功させて以前の経営状態まで戻す、そして研究を重ね以前よりももっと大きくするんだ。もう人を雇うのが怖いなどとは言わない。手広く商売できるよう沢山の従業員を育て上げて、実家を越える大規模な鳥小屋にしてみせよう。
でないとマリーはきっと遠慮してしまって、甘えてくれないだろうからね。
少しくらい頼っても大丈夫だと思ってもらえるような財を築き、器の大きな人間になるんだ。控えめで上手く甘えられない子供でも、わがままを口にできるよう安心させてやるのは親の仕事だからね。
「掃き掃除の道具を取りに行ってきますね」
「うん。ありがとう」
マリーが両手を伸ばして甘えてくれる日を夢みながら、僕は軽やかな足取りで次の仕事に取りかかる彼女を見送った。




