№8 決起の玉子サンド 1
ボロネーゼとミートソースの食べ比べを行い。
試食係兼消費係のレイスを交えパーティーに出す料理についてマルクさんと熱い論議を交わし、様々な可能性を考慮して試作品をいくつか完成させた、その夜。
明り取り用の窓に映る月を眺めながら、夜番のアルバンさんが厨房を来るのを今か今かと待っていた。
……そろそろ来るかな。
先ほど出来上がった玉子サンドはいつもどおり包んで保存棚に入れてあるので、あとはアルバンさんにこっそり伝えるだけだ。
ちなみに玉子サンドの作り方は簡単。
温めて柔らかくしたリコッタチーズ七十グラムと地球から持ってきたマヨネーズ四十グラム、ゆで卵から取り出した黄身五個分をよく混ぜ合わせて、角切りにしたゆで卵の白身五個分と粗みじん切りにした玉葱四分の一を加えて軽く和える。
最後にたっぷりの黒胡椒と塩少々で味を調えて、斜めにスライスしたキュウリと共に一センチくらいの厚さに切ったバケットで挟むだけだ。
マヨネーズと合わせるチーズはマスカルポーネやクリームチーズでもいいだけど、今回は家で簡単に作れるリコッタチーズを採用させてもらった。
なんたってリコッタチーズは、牛乳四百ミリリットルと塩を一つまみと、レモン又は酢小さじ二杯あればできちゃうからね。
それに作り方もそれほど難しくない。
まずお鍋に牛乳と塩を入れて、木べらなどで優しくかき混ぜる。
お鍋の中身を軽く混ぜたら、中火にかけて沸騰直前まで温める。大体お鍋の縁に泡がついて、牛乳の液面が揺れ始めるくらいかな。
沸騰直前まで温まったらレモン汁又は酢小さじ二杯を加えて弱火に。
そしてゆっくりかき混ぜながら一、二分加熱しているとやわらかい豆腐みたいなのが分離してくるんだけど、この時に上手く分離してこなかったら、レモン又は酢を小さじ一~二杯追加して再度温め直す。ただし、リコッタチーズはここで温めすぎてしまうと全体的にボソボソした食感になるので、注意が必要だ。
分離した塊が柔らかいうちに火を止める。
最後にガーゼなどを敷いたザルにあけて、三十分ほど水気を切ったら完成。
分離後に出る水分はドリンクやスープ、煮込み料理などに使うと美味しい。
リコッタチーズは乳脂肪分の多い牛乳や、牛乳の一部を生クリームに置き換えた方が濃厚な味になって美味しいけど、基本的に家にあるものでつくれるので、気が向いたら試してみてね。
マヨネーズにチーズを混ぜることによって卵サンドのベース部分が濃厚な味になっているので、大目に入れた玉葱の粗みじん切りがいいアクセントになっている。一緒に挟んだキュウリのお蔭で口の中をリセットすることができるし、小麦が香るバケットの相性も最高で、すごく美味しい。
マルクさんに分けてもらったフェザーさん達が育てた鶏の卵はさすがの味で、濃厚でチーズやマヨネーズに負けてない。
現在厨房の見張りをしている騎士達にも大変好評だったので、アルバンさんや友人さん達も気に入ってくれることだろう。
――全部終わったら、またオリュゾンに行きたいな。
ルクト様が大成功だったと語っていた水田も見に行きたいし、マルクさん曰くオリュゾンの保存庫には秋の味覚や私が書き残していった山菜などの日本ならではの食材が沢山眠っているとのことなので、ぜひ調理してみたい。フィオナさんとアンナさんおススメのお店にまだ行ってないし、久しぶりにレイスのお爺さんやアイザさんにも会いたいし、カリーナさんのシチューを食べて、鳥達のお世話をしながらフェザーさんのお話しを聞きくの。
きっと、すごく楽しいだろう。
みんな元気にしているそうで、オリュゾンの町や市場も私がいた頃よりも開発が進み、大きく賑やかになっているとジャンが自慢げに話していたので、足を運べる日が待ち遠しいかぎりである。
そのためにも早く女神様に仇成す人々が捕まればいいんだけど……。
ルクト様や勇人君の雰囲気から察するに、あまり状況は芳しくないらしい。
詳細は聞かないようにしてるのでざっくりしたことしかわからないけど、黒だと思える人物はすでに何人か見つかっており監視中。
しかし全貌が掴めないから逮捕に踏み切れない、といったようなことを言っていた。
お金で雇われたような末端を取り逃がす分には良いけど、地位や権力のある人達は全員確実に捕まえておかないと、次回はもっと慎重かつ狡猾に行動するようになり、より厳しい戦いを強いられることになる。
だから今はこちらが目をつけていると相手に気が付かれないように秘密裏に監視しつつ、迅速に女神様に仇成す集団の全貌を明らかにしている最中のようだ。
私にできることがあればぜひとも協力したいところなんだけど、今求められているのは隠密スキルと敵に探っていることを悟られないポーカーフェース、それからいざという時に戦える戦闘力なので論外である。
どうしようもないことなんだけどね……。
ままならないことだと思っていてもついつい役立ちたいと考えてしまうのは、私の中でたぶん自分で自覚している以上にこの世界や人々のことを好きなっているからなのだろう。
地球に戻ることを考えるならば、これは良くない傾向だ。
いずれ訪れる別れの日が辛くなる。
そうは思うけど、私は前回のように上手く線を引くことができないでいた。なぜなら、前回と違いいつまで我慢すればいいかわからないからだ。
前回は五年待てば女神様が目覚めると知っていたから罪悪感に蓋をして、踏み込もうとしてくるレイス達を退けることができた。
でも、今回は違う。
……だって、女神様は『私の世界を助けて』って言ったんだもの。
今勇人君やルクト様達が追っている人々を捕まえるだけで、すべて終わるのだろうか。それにヨハン陛下達はお力の源が女神様に還元されやすい場所が穢され、女神様の回復が妨げられていると言っていたけど、穢されるとは具体的にどういったことなのか。さらに言えばすでに穢された土地はどうやって回復させるのか。
一度荒れ果ててしまった畑や山を戻すのはすごく大変なことだもの。
穢されてしまった土地がそう簡単に元の状態に戻るとは考えにくい。
終わりの見えないこの状況で自分を律し続けるのは難しく。
前回来た時みたいに、生きるために衣食住を整えなきゃいけないとか差し迫った問題があれば見ない振りもできたけど、これほど満たされた環境ではそうはいかない。
ご飯を作る以外にすることないからつい料理やお菓子を量産してしまうし、折角作ったのに持ったいなからと周囲に振舞えば、アルバンさんも騎士もメイドさん達もすごくいい反応してくれるから嬉しくなって、さらに美味しいものを提供したくなってしまう。
そんなことを繰り返していれば自ずと仲は深まるし、親しくなればもっと喜ばせたくなる悪循環。
起きてご飯食べて慣れない仕事して疲れたから寝る生活なら、日々を過ごすことに精一杯でこんなことを考えたりはしなかっただろう。しかし勇人君やヨハン陛下から快適すぎる環境を与えられている現状では、どうしたってこうやって考えてしまう時間がある。
そうなると頭を巡るのはやはり危機に瀕しているというこの世界や、堪えきれずに仲良くなってしまった人々のことで。
『――もう一度、口にできればとずっと思ってた』
柔らかく細められたアンバーの瞳が、脳裏をちらつく。
どこか熱が籠った声で一緒に食べた料理の数々も、共に過ごした思い出も忘れるはずがないと言い切ったレイスに感じたのは紛れもない喜びで、ルクト様が声を掛けなければあの言葉の先にはどんな会話があったのだろうかと考えてしまう自分がいる。
……本人に聞けば一発、なんだろうけどね。
知りたいような、知りたくないような。
どんな内容だったにしろ確実に地球へ帰り難くなる気がしているので、今のところ保留中である。
そんなこんなで。
考えない方が身のためだとは思いながらも気が付けば考えてしまう事柄に頭を悩ませつつ、待つことしばし。
コン、コン、コンと扉を叩く音が厨房内に響く。
「入れ」
いつもよりも丁寧に鳴らされたノックに騎士の一人が疲れを感じさせない涼やかな声で答えればアルバンさんが静かに、しかしどことなく気合いが入った顔つきで扉を潜る。そして、いつもよりもしっかりとした声で交代を告げた。
「交代します!」
「ご苦労。今晩は気合が入ってるな」
「はい! お疲れ様です」
「ほどほどにな。夜番は一人で大変だろうが頑張れよ」
きびきびした動作で敬礼し、答えるアルバンさんに見張りをしていた騎士達は笑みを浮かべながら厨房をあとにする。
アルバンさんは、どうして今日はあんなにやる気いっぱいなのかしら……。
「それでは失礼致します」
「良い夢を。マリー様」
「はい。今日もありがとうございました」
やる気に満ち溢れているというか、使命感に燃えた様子のアルバンさんに「なにかいいことがあったのかな?」と首を傾げつつ、退室していく騎士達に手を振って見送ること数分。
扉が閉まり、厨房を出て行った見張りの騎士達の足音が遠ざかっていき、やがてシンとした静寂が訪れる。それと同時に、ピンッと背を伸ばし同僚を見送っていたアルバンさんがゆっくり振り向き、私の元へまっすぐに歩き始めた。
「……アルバンさん?」
いつなくキリッとした顔つきで近寄ってくるアルバンさんの気迫に驚き思わずその名を呼べば、強い意志を宿したグリーンの瞳に射貫かれ、私は思わず息を呑む。
――なんでそんな真面目な顔してるの?
ただならぬ様子のアルバンさんに心の中で絶叫するけど、私の疑問に答えてくれる人は当然おらず。出入り口から近いところに椅子を置いて座っていたこともあって、アルバンさんはあっと今に距離を詰めて私の目の前までくる。
そして動揺する私にさらに追い打ちをかけるかのように、片膝をついて跪いた。
勿論、アルバンさんにそんなことをされるのは初めてなわけで。
――え。え、ちょっと待って。本当にどうしちゃったの?
思いもよらない展開に内心は慌てふためいてはいるというのに、緊張からか体はピシッと固まっていて、やけに緊迫した空気漂うこの状況から逃げる術はなく。
解決策を考えようにも、パニックになった頭の中は『どうしよう』という言葉でいっぱいで役に立ちそうもない。
「マリー様」
重く響いたその声にドキドキと心臓が逸るのを感じつつ恐る恐る視線を上げれば、跪き目線の高さを合わせたアルバンさんが私を見詰めていて。
グリーンの瞳に灯る真摯な光に、ゴクリと息を呑む。
「貴方に頼みたいことがあるんだ。聞いてくれるかい?」
「な、なんでしょう?」
緊張しなくていいと言いたげに優しく微笑んで話すアルバンさんに少しだけホッとして、なんとかそう答えて頷けば、「ありがとう」と穏やかな声が返ってきたものだから、ついさっきまで感じていた緊迫した雰囲気と相まって嫌な予感が背に走った。
そして、私のそんな直感は裏切られることなく。
「ヨハン陛下か勇者様かルクト殿下に会わせてほしいんだ」
「え」
「魔王の血を引く男が魔王復活を目論んでいて、次の生贄として異世界から来た貴方が選ばれ、命が狙われている。協力者の中にはヨハン陛下の伯父であるバルト公爵もいて、彼らの目的が達成されれば世界を揺るがすことになるから、今のうちに止めてほしいんだ」
彼の口から零れたお願いは、とんでもないものだった。




