№7 嵐の前のボロネーゼ 2
小腹が減ったのか、新しい食べ物に興味津々なのか、そわそわしている人が若干一名いるので手早くボロネーゼとミートソースを作らないとね。
「それでは、ご教授のほどよろしくお願います。マリーさん」
「はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
ピシッと姿勢を正してお願いするマルクさんに、私も丁寧に答えて腕をまくる。
――さぁ。張り切って作りましょうかね!
「まずお肉と香味野菜を炒めるところまでは一緒なので、まとめてやっちゃいます」
そうマルスさんに告げて、フライパンに少し多めに油を敷いて強火にかけ、温まったら挽肉五百グラムを入れて焼いていく。
「ボロネーゼやミートソースは鶏そぼろなどと違ってゴロっとした塊があっても美味しいので、不揃いでも大丈夫です。なので焼き目をしっかりつけてからほぐすイメージで焼いていきます」
「へぇ」
感心したように相槌を打ちつつメモをとるマルクさんを横目で見ながら、焦げ目がついた挽肉を裏返し、木べらで崩すように炒めてそぼろ状にしていく。
ちなみに今回のお肉は豚肉と牛肉を一対一にしてあるけど、牛肉だけでも合挽肉でも問題ない。お店とかだと牛肉だけのところが多いけど、野菜の大きさと同じくこれも好みで変えていいんじゃないかな。我が家は牛肉だけだと重たく感じるので、いつも豚肉と一対一で混ぜて作ってるし。
そうこう考えているうちにお肉に火が通ったのでお鍋に移し、コンロの火力を弱火に落してフライパンを戻す。
「お肉の肉汁と油がもったいないので、ここにみじん切りにした香味野菜を入れて、野菜がしっとり汗をかくまで弱火でじっくり炒めていきます」
「油は足さなくていいんですか?」
「今回は豚肉を混ぜている分、十分油が残ってるので要りませんね。でも赤身肉とか、あまり油が出ないお肉で作る時は様子を見て足してくださいね」
「……なるほど。了解です」
油の加減を記憶しているのか、フライパンの中を真剣に覗くマルクさんに面映ゆい気持ちを抱きながら調理を進めていく。
本来ならマルクさんみたいな本職の人に料理を教えるなんて、畏れ多いことだけど……。
マルクさんってすごく真面目に聞いてくれるから、日本発祥のミートソースみたいについ調子に乗って色々話してしまうのよね。そんでもって、軽い気持ちで話したことをちゃんと覚えてて、思いもよらないアレンジ料理を作ってくれるから、本当に凄い人だと思う。
「野菜が汗をかいてしんなりしてきたら一旦火を止めて、鍋に移しておいたお肉と合わせます。お肉と野菜が均一に混ざったらここからボロネーゼとミートソースで作り方が違ってくるので、お鍋とフライパンに分けます」
マルクさんはボロネーゼでどんな料理を作るのかなと想いを馳せつつ、炒めたお肉と野菜をお鍋と深めのフライパンに半量ずつ分ける。
そして両方にトマトの水煮を二百グラムずつ投入。
「トマトの水煮の量も一緒です」
「このあとが違うんですよね?」
「そうです。なので先にボロネーゼを仕上げちゃいますね」
そう宣言して、私は赤ワイン三百ミリリットル、ローレル二枚、黒胡椒五グラム、塩十グラム、ナツメグ少々をお鍋に入れて強火にかける。
「赤ワインと香辛料を入れて煮立ってきたら灰汁を取って、弱火にして焦げないように時々かき混ぜながら三十分から一時間煮込みます。汁気が程よく飛んだら味を見て、最後に塩で整えたら完成です」
「これであとは煮込むだけとなると次はミートソースですね?」
「ええ。こちらは赤ワインの代わりに水を入れて煮込みます」
マルクさんに説明しながらお肉と香味野菜の入った深めのフライパンに水三百ミリリットルを加えて、先ほどと同じく強火にかける。
「加える調味料はケチャップ大さじ六杯にウスターソース大さじ三杯、砂糖小さじ一杯、ナツメグとシナモンを軽く二振りずつ。あとはボロネーゼと同じく汁気が程よく飛んだら味を見て、最後に黒胡椒と塩で整えたら完成です」
ボロネーゼと同じく調味料を入れて煮立ってきたら灰汁を取って弱火すれば、お鍋とフライパンの中身を見比べたマルクさんが驚いたように目を見張ったあと、私へと視線を向けた。
「色が全然違いますね」
作業工程はあまり変わらないのに、加える調味料でまったくの別物と化したボロネーゼとミートソースを物珍しげに見比べるマルクさんは本当に楽しそうで、こちらも紹介した甲斐がある。
「ボロネーゼは黒っぽく、ミートソースは赤っぽいソースになるんです。味もだいぶ違いますよ」
「香りも違いますもんね。食べ比べるのが楽しみです。マリーさんはどちらの方が好みですか?」
「どっちも好きですよ。ボロネーゼはワインと一緒に楽しめますし、ミートソースは子供の頃から食べ慣れた味なので口にするとホッとしますし」
「ミートソースは母の味なんですね」
「そうですね」
そんな会話をしながら、ボロネーゼとミートソースが煮詰まるのを待つこと、しばし。
余分な水分が飛び、ドロッと程よい粘度になったことを確認してお鍋とフライパンを火から下ろして作業台に運べば、茹で上がったパスタを持ったマルクさんとレイスが戻ってくるところだった。
「丁度いいタイミングでしたね」
「ええ。さすがマルクさん。ばっちりです。レイスもありがとう」
「ん」
マルクさんとレイスからパスタが載ったお皿を受取り、お鍋の持ち手を掴む。
ちなみにマルクさんが用意してくれたパスタは、イットリーヤというきしめんのようなヒラヒラした手打ちパスタだった。イットリーヤという名前は文献などで読んだことあったけど、実際に食べるのは初めてなので結構楽しみである。
「それじゃぁ、仕上げちゃいますね」
そう言って片方のパスタにボロネーゼを、もう一皿にはミートソースをかけて、それぞれのソースの上にチーズを削りかける。
薄黄色のパスタにかけられた焦げ黒っぽいソースと赤いソースの上に、ふわふわと舞い落ちたチーズが熱を帯びてトロリと広がっていく光景は心がくすぐられて、お腹の虫がキュウッと楽しげな声を上げた。
「これで完成です!」
トマトとチーズの香りに上がったテンションのまま高らかに声を上げれば、マルクさんからは拍手が、レイスからはゴクッと喉を鳴らした音が返される。
耳に届いたその音に視線を上げればレイスの顔が思っていたよりも近くにあって少し驚いたけど、それ以上に『早く食べたい!』と訴えかけるアンバーの瞳の圧力がすごくで、思わず笑い声が漏れた。レイスの気持ちはすごくわかるけど、結構な数のプリンを全部食べたあとなのによくもまぁ食欲が落ちないものである。
――レイスってなんでも楽しみに食べてくれるから、本当に作り甲斐があるわ。
食欲旺盛なレイスにそんなことを考える。
しかしその思考は「グー」と鳴くお腹の虫によって中断した。
そうだよね。
早く食べないと、折角いい感じに溶けてるチーズが固まっちゃうよね。
ハッと我に返って顔を上げれば、レイスもマルクさんもすでに取り皿を持っていたので私も慌てて手に取った。そして。
「それじゃぁ、いただきます!」
「「いただきます」」
手を合わせて、いざ実食である。
まずはボロネーゼ。
赤ワインを加えたことによって黒みを帯びた茶色の挽肉と糸を引くチーズをパスタに絡めて一息に頬張れば、濃縮された赤ワインとトマトの旨味と共にピリッと胡椒が効いたお肉の味が舌全体から伝わり、噛むごとにチーズやパスタと混ざり合い、その味わいを変えていく。
パンチの効いたお肉の旨味を最後までしっかり味わってゴクリとお腹の虫に届けたら、続いてミートソースのパスタをフォークで絡めとり、口の中へ。
トマトの鮮やかな色を残した赤いソースが連れてくれて来た優しい甘さが口内を占拠し、噛むごとにチーズの塩味やパスタの小麦の香りが顔を覗かせる。しかしただ甘いだけではなく、ウスターソースやケッチャップが織りなす複雑な風味が舌に残るので、飽きることなくフォークが進む。
大人な味わいのボロネーゼと、子供でも親しみやすいミートソース。
使う食材はほとんど同じなのにその味わいは別物であり、どちらもすごく美味しい。
……よく考えたら、ボロネーゼとミートソースを同時に味わうなんてすごい贅沢よね。
味は違うけど見た目は似ていることもあって、同時に出ててくることはほぼない料理の競演に今さらながらに感動する。
なにより胡椒の効いた辛めのボロネーゼと甘く優しいミートソースを交互に食べると、すごくフォークが進む。お昼前ということもあってモリモリいけちゃう……。
私でさえそうなんだから、なんだか食欲旺盛なレイスと働き盛りのマルスさんは言わずもがな。ものすごい速さで消費しており、おかわりしたパスタをもう少しで食べきりそうな勢いだ。
……本当によく食べるわね。
猛然と食べる二人の姿を唖然とした心持ちで眺めていると、私の視線に気が付いたマルスさんが楽しそうな笑顔を浮かべて語り出す。
「肉の旨味が強いボロネーゼと甘いトマトのミートソース! どちらもそれぞれに美味しいんですけど、俺はボロネーゼの方が好みですね。バケットにチーズと一緒に乗せて一杯やりたいです。もっとお肉を荒くしてパイ生地に包んでも美味しそうですよね! お肉が苦手なご婦人にはオムレツの具とかにした方が喜ばれるかな……マリーさんの言うとおりパスタにかけて食べなくても色々な料理に使えていいですね、これ」
「ええ。便利なので私大量に作って冷凍保存してます。ホワイトソースと一緒にご飯の上に乗せて、チーズをかけて焼いても美味しいですよ」
「それいいですね! 米の宣伝にもなるし今回はそれにしようかな。パスタは砂糖やチーズで食べるイメージでしたけどこういった食べ方もすごく美味しいので、大国で食べられているパスタとオリュゾンのお米を同じソースで調理して並べると面白いかもしれません」
実際に食べてみたことで展望が広がったのか三日後の料理について真剣に考えだしたマルクさんから目を逸らしてレイスを見れば、頬にミートソースを付けながら口一杯に頬張っていた。
「俺はミートソースの方がいい」
「それはわかったけど……頬に付いてるからね?」
キリッとした声でそう主張したレイスに呆れつつ頬を拭ってあげれば、さすがに恥ずかしかったのかフイッとアンバーの瞳が逃げる。
しかしその手からお皿とフォークが手放されることはなく、一拍後には食べるのを再開するものだからなんかもう、という感じである。わかったから。そんなに気に入ったんなら好きなだけお食べ……、って気分だ。
――甘いもの好きなレイスは、やっぱりミートソースの方がいいのね。
それならアルバンさんもミートソース派で、ルクト様とかジャンとかベルクさんはボロネーゼ派かしらと、これまでに知った皆の食傾向から思案する。
たぶん渋い食の好みをしている勇人君はボロネーゼで、アルバンさんは絶対ミートソースだろう。
ミートソースを食べさせてあげたら、喜ぶだろうけど……。
ケッチャプやウスターソースなど地球から持ってきた調味料をふんだんに使っているので、ミートソースをアルバンさんに食べさせてあげることはできないのが残念でたまらない。きっと喜んでくれるのに。
現在ザウエルク城の人々はルクト様とヨハン陛下の密談によって急遽決行されることになったパーティーの準備の所為で忙しいらしく、客殿担当の騎士やメイドさん達もお手伝いに行ったりして大変だと零していた。皆さんの担当場所は客殿なのでパーティーに関する仕事は少なく、まだ楽な方みたいで、他のところ騎士だと当日の警備の準備などやることが多く、ご飯を食べる間もなく働いているそうだ。
当然まだ昇進していないアルバンさんの友人さん達も、会場に机や椅子を運んだりと色々な雑用に駆り出されており夜は部屋でぐったりしているそうなので、なにか摘まみやすい物を作ってあげようと思っている。
なにを作ろう……。
甘いお菓子が好きなアルバンさんと異なり、友人さん達おにぎりとか腹持ちのいいものが好きらしいから、おやつ代わりにサンドイッチでも作ろうかな。
そんなことを考えながら、私は今晩も夜中に一人厨房を見守ってくれるだろうアルバンさんとまだ見ぬ彼の友人さん達に思いを馳せたのだった。




