№5 葛藤のパルミエ 1
№5 葛藤のパルミエ
勇人君立ち合いの下、小難しい話し合いを繰り広げているヨハン陛下やルクト殿下達におにぎりを届け終えた私は現在なにをしているかというかと、レイスやマルクさんと共に厨房へでパイ生地を作っていた。
「マリーさん。中に入れるバター、板状にして冷やしておきますね」
「ありがとうございます!」
パイ生地に使うバターを準備してくれているマルクさんにお礼を言いつつ、その間に私は他の材料の用意をすべく、保存棚と作業台の間でせっせと動く。
ちなみに、侵入者騒動からのレイス達との突然の再会という流れに驚いていた私がなぜ、こうしてマルクさんと共にパイ生地作りに勤しんでいるかといえば答えは簡単。
することがなかったからである。
ベルクさんに勇人君、ルクト様、ジャン、ヨハン陛下が一堂に会し、一触即発の空気を漂わせながら始まった話し合いに耐え切れずに逃げ出した私が、レイスと一緒にこっそり厨房でおにぎりを頬張り英気を養っている間に決着がついたらしく。
動き回って空いていた小腹が満たされたことで若干余裕を取り戻した私が、気合を入れて残りのおにぎりを手に皆が待つ居間へと戻るとどこか落ち着いた空気が流れていて。
なにがあったかと問えば、ルクト様とヨハン陛下が協力し合うことになり、これから情報の共有を行うというのだ。
そしてその後にオリュゾン側からはベルクさんが勇人君のお手伝いをするべく貸し出され、その代わりと言ってはなんだけどルクト様達は私の客殿を出入りする許可をもらったらしい。なので今後、手が空いている面々がここに遊びに来るとのこと。
またその際に勇人君からオリュゾン一行がザウエルクに来ていたことは知っていたけど、会いたいと言われても困るので黙っていたことを謝られた。
現状を考えれば納得のいく理由だったので、私は素直にその謝罪を受け入れその問題は解決。
そんなに簡単に許していいのかと勇人君は複雑そうな顔をしていたけど、一刻も早く女神様に仇成す者達を捕まえて私を地球に帰そうとしてくれていたのは知っていたし、この一か月アルバンさん達やメイドさん達と交流しながら比較的楽しくご飯を作っていただけの私にさほど文句はなく。
勇人君に「早く犯人を見つけてくれればいいよ。頑張ってね」と答えるに留まったのは、当然の結果だった。
そして私の言葉に「任せてください」と勇人君が力強く答えたところで、出番は終了。
ルクト様やヨハン陛下達はこのまま情報共有に入り、今後どうやって彼らを追い詰めていくか話し合うそうなので戦力外である私は会議への参加を断り、皆さんが話し合いに集中できるよう部屋を出てきたってわけ。
どんな状況か聞いていくかとヨハン陛下に言われたけど、私にできることがあるのか尋ねたところはっきり「ない」と言い切られたので丁重にお断りさせてもらった。
この世界には魔法なんていう未知の力もあるので心を読める人とかいるかもしれないし、ばったり容疑者と出くわしてしまった時に平静を装える自信もない。なにより、事件の概要や容疑者を知ったことでいてもたってもいられなくなり、動きたくなっちゃうかもしれないからね。
それは私にとっても、勇人君達にとっても悪い方向にしか転がらない。
――知らないからこそ、我慢できることもあるしね。
勇人君が私にレイス達の存在を知らせなかったように。
居るってわかってたらたぶん、客殿を抜け出して会いに行ってたと思う。
そう伝えたらヨハン殿下は少し驚いていたようだけどそれ以上なにか言われることはなく、快く送り出されたので、今に至る。
ちなみにマルクさんも「荒事は専門外なので必要になったら呼んでください」と言って同様に辞退し、レイスは私達の護衛をすると宣言して当然のように厨房へ着いて来た。
というわけで、皆さんの話し合いが終わるまで特にすることもなく、時間が空いた私達。
私とマルクさんがいて食材と厨房あるとなれば、調理するという選択肢しかなく。
なにを作るかという話し合いの末、マルクさんの希望によりパイを折ることになったのである。
――ということで、サクッとパイ生地を作りましょうかね。
先ほど出したのはおにぎりだったので、今度はパイ生地を使ったお菓子。パルミエというハート形のパイ菓子を作る予定だ。
ちなみに、パルミエに使うパイ生地はフイユタージュ(折り込みパイ)の一種である。
使う材料は小麦粉・バター・水・塩とシンプルで、デトランプという粉に水を加えてまとめた生地でバターの塊を包んだあと、薄く伸ばして折り畳んでいく作業を数回繰り返す。これにより、小麦粉生地の層とバター層の二層構造となるパイ生地。
中に入れるバター百八十グラムはマルクさんが用意してくれているようなので、私はデトランプを作る準備をと整えていく。
小麦粉(中力粉)三百グラム、冷たい水百五十グラム、塩五グラムを用意し、このうち小麦粉は篩っておく。
チラリとマルクさんを見ればバターを一生懸命四角い板状に整形してくれているので、心の中でありがとうございますと呟き、そっと手を合わせた。あの作業結構大変なんだよね……。
マルクさんが担当してくれている中に入れるバターは、地球でも厚手のビニールやラップでバターを包み、綿棒で叩き伸ばして無理矢理四角い板状に整形するという比較的力のいる作業なんだけど、ビニールやラップのない世界での難易度は言わずもがな。正直、マルクさんが買って出てくれて、とても助かっている。
余談だが、バターというものは一度溶けてしまうと戻らない。冷やせばなんとなく固まるが、見た目が固まっていようとも当初のバターとは違う、別物なのである。分離しちゃうしね。
ならばどうやってバターを整形するかというと、叩くのである。
バターは叩くと柔らかくなる性質を持っているので、とりあえず叩く。
そして折って形を整え、温度が上がり溶けそうな雰囲気を感じたら冷蔵庫で冷やし、四角い板状になるよう折って整形していくのでなかなか大変な作業である。
バターを叩く音を聞きながら、大変な作業を引き受けてくれたマルクさんに胸の中で再度お礼を言いつつ、私はデトランプ作りに入る。
……バターの整形みたいに体力は使わないけど、デトランプも結構注意しなきゃいけないところが多いのよね。
パイ生地は注意する点が多く手作りしようと思うと結構大変なので、ちょっとおやつに食べるくらいなら市販の冷凍パイシートで十分だと思う。異世界には売ってないから作るけどね!
そんなこんなで気合を入れ直し、デトランプ作り開始である。
まず篩っておいた小麦粉で丸く土手を作り、中心に泉と呼ばれる大きな円形の空間を作る。
次いでこの泉の中に冷たいお水を入れたら塩を加えて、よく混ぜておく。
塩が溶けたら土手の内側を少しずつ崩し、玉にならないようちょっとずつ小麦粉を水に溶いていくんだけど、その際、土手を崩し過ぎて水が外に漏れ出ないように十分注意すること。
そして土手に穴を開けても水が流れ出ないくらいの濃度になるまで小麦粉を溶かしたら、生地にグルテンが形成されないよう気を付けながら、カードを使い一気に混ぜる。
この時、一気に混ぜ混まないと水分に粉が入りにくくなるので、ここは思い切りよくね。
万が一粉が入りにくくなってしまった場合は、カードで生地を細かく切って、一塊にまとめ直すという作業を繰り返して粉を生地に入れていく。
最後に、生地が纏まったら四角く伸ばして冷蔵庫で休ませるんだけど、綿棒を使って整形する必要はない。丸めた生地の上部に十字の切込みを入れて開けば、自ずと四角くなってくれるからね。
――ラップがないから、固く絞った布巾で包んでっと。
出来上がったデトランプを冷蔵庫に入れて、マルクさんの元に向かえば丁度バターの整形が終わったところのようだった。
「マリーさん。バターはこれで大丈夫ですか?」
マルクさんの呼び掛けに振り返れば、十センチくらいの正方形が出来上がっていたので、ゴーサインを出す。
「大丈夫です。それで冷やしちゃってください」
「了解」
私の言葉に頷いたマルクさんがバターに手をかざすと、表面が溶け始めテラテラしていたバターが艶やかさを失い、みるみるうちに元の状態へと戻っていく。
……魔法って本当に便利でいいよね。
あの冷やす魔法が使えれば、生地を常に一定の温度に保ったまま作業し続けることが可能なんだよ? なんて羨ましい……。
冷蔵庫などの道具を使うことなくバターを冷やす姿に羨望の眼差しを注いでいると、顔を上げたマルクさんが窺うように私を見た。
「これくらいですかね?」
「そうですね。いいと思います」
パイ生地に入れるバターはカチカチに固めてしまうと、デトランプで包んで伸ばす際に中で折れたり、外側のデトランプだけ動いてしまうことがある。そのため綿棒で押して伸ばせるくらいの固さを見極めなければいけないのだが、これはまぁ、何度か試して体で覚えるしかない。
「……パイ生地って難しいですよね」
「一番大事なのはこの次の折り込み作業ですけどね」
一仕事終えてため息交じり零したマルクさんに苦笑しながらそう返せば、大人しく見ていたレイスが久しぶりに口を開いた。
「そんなに大変なのに作るんだな」
心底不思議そうな声で問うかけたレイスに、私とマルクさんは顔を見合わせる。
最低限の料理しかしないレイスには疲れた、大変だ、と言いながらも手の込んだものを作ろうとする私やマルクさんが不思議でならないのだろう。
確かに工程を減らしたお手軽料理や、圧力鍋や電子レンジなどの科学技術を駆使して時間や労力を減らした時短料理も魅力的だけど、やっぱりじっくり手間暇かけたからこその美味しさというものは存在するからね。
同じ結論に至ったらしいマルクさんと頷き合い、私達は同時にその理由を述べる。
「「美味しいからね(な)!」」
ザウアーブラーデンしかり、パイ生地しかり。料理やお菓子において『なぜそんな労力や時間をかけたのか』という疑問の答えは、美味しいからの一言に集約される。
美味しくなければ誰も、頑張って手間暇かけようとは思わないしね。
「なるほど……?」
「まぁ、もう少し待ってて。食べれば納得できるから」
私達の勢いに押されたのか頷いたレイスにそう答えれば、マルクさんも力強く賛同してくれた。




