№3 待望の牛肉と牛蒡の時雨煮(おにぎりVer.) 4
「――走れ!」
先頭にいた騎士が我に返って声を上げ、それに反応した残りの騎士達がすぐさま行動に移そうとしたまさにその時。
騎士達の巨躯の間から見えたアンバーの瞳が私を映し、煌めく。
「マリー!」
「れ、レイス!?」
喜び溢れる声で私を呼んだレイスに驚き、声を上げれば騎士達の顔に困惑が浮かぶ。
ですよね。侵入者から私を逃がそうと一生懸命誘導してくれてたのに、その守るべき相手が件の侵入者と思わしき男と顔見知りどころか、なんか親し そうな雰囲気だったらどうするべきか迷っちゃうよね。でもごめん。私も今相当混乱してるの。
「なんでレイスがここに居るの!?」
まったく予想してなかった再会に目を瞬かせて叫ぶ私と、嬉しくてたまらないといった様子で足を踏み出したレイス。そんな私達の反応に戸惑いつつも騎士達が剣を抜いたことによって、ピリッとした緊張感が辺りに漂う。
そしてその空気は、第四の登場人物によってさらに複雑さを増していく。
「レイス! 勝手に動くなとあれほど――って、はっ? マリー? 本当に居たのか?」
叱咤の声と共に姿を現したベルクさんは、レイスを厳しい目で見据えるとすぐさま騎士達へと視線を走らせる。そして私に気が付くと、呆気にとられたような顔で食い入るように見つめてきた。
そんなベルクさん達と対峙している騎士達も混乱しているのか、チラチラとしきりに私と侵入者達を見比べては剣を収めるべきかどうか悩んでおり、彼らの顔には一様に困惑の色が浮かんでいる。
なに、この状況。
なにが起こっているのかまったくもってわからないし、どうしたらいいのかもわからない。
皆が皆、複雑なこの状況を理解しようと努めているのか誰も動こうとしない。
そんな膠着した空気を壊したのはさらなる人物の登場であった。
正直、そろそろお腹いっぱいである。
「真理さん!」
背後から駆け寄ってくる足音と共に聞こえてきたのは勇人君の声で、いつになく硬いその声色に驚き振り返れば、レイスやベルクさんの姿を捉えたことで私と同じ黒い瞳が大きく見開かれ、その後、どこか悔しそうな様子で伏せられる光景を目撃してしまった。
え? なに、今の。
勇人君がどうしてそんな反応をするのかわからず、心臓がドクドクと嫌な音を立てる。
――オリュゾンにいた時は仲良さそうだったし、見間違いだよね?
もしかして、私が気付いていなかっただけで、あまり仲が良くなかったのだろうか。それとも他に、レイス達と顔を合わせたらまずい理由があるのか。
……でも、レイス達と会うと不都合なことってなに?
なんだか見てはいけないものを見てしまった気分というか、知ってはいけないことを垣間見てしまったような。じっとりとした嫌な予感を感じ、私はサッと目を逸らす。
み、見なかったことにしよう。
……うん。私は今なにも見なかった。
「なるほど? これがルクト殿下の言ってたヨハン陛下の『探られたら痛い腹』か。場所もドンピシャだし、相変わらずいい勘してるぜ」
突然の勇者様の登場に動揺する騎士達の声に紛れてなんかベルクさんが物騒なこと呟いてる気がするけど、たぶん気の所為だろう。
この世の中、知らない方がいいことなんて沢山あるし……。
オリュゾンにいた時に交わした会話の節々から、ルクト様は大国にあまりいいイメージをもってないんだろうなとは思っていたけどなんだか薄ら寒い確執を感じるし、一度触れたら後戻りできそうな雰囲気が漂っているのでこの件に関してもスルーさせていただこうと思う。
むしろそれよりも気になるのは――。
「ルクト様もいらっしゃるの?」
「ええ……」
「ジャンやマルクもいる」
ポロリと疑問を零せば、少し息を切らしながら足を止めた勇人君が頷き、レイスが追加でさらなる情報をくれた。
「え! マルクさんまでいるの!?」
「……マリーはマルクに会いたかったのか?」
「うん! 色んな本を持ってきたから、調味料を作ってほしいと思ってたの。さっき作ってたおにぎりの具だって、酒とみりんがあれば完璧だったし!」
「へぇ。レイスが言った通り本当にマリーが料理してたのか」
なんだか不満そうに呟いたレイスにそう力説すれば、ベルクさんが感心したように呟いたので首を傾げる。するとベルクさんは、なんとも言えない表情を浮かべてレイスを見やった。
「結構離れたところを歩いてたんだが、レイスが急に『マリーだ』と言って走り出してな。それで一旦厨房に着いたのはいいが、扉のところでちょっと
考え込んでたレイスを俺が捕まえる前に『あっちだ』なんて言ってまた動き始めて一体なんなんだと思ってたら、こんなことになったんだ」
「マリーの(ご飯の)匂いがしたから」
ベルクさんの言葉を引き継ぐように口を開いたレイスの言葉は信じられないもので、思わずまじまじと眺めてしまった。
え、私の匂いってなに?
レイスは一体なにをもってして、私だと判断したの?
ご飯の香りって調味料の塩梅とか、具材の焦がし具合とか?
というか作り手がわかるほど細かく嗅ぎ分けられるの?
それって、すごくない?
「シューユを使って味付けた具を入れたおにぎりを作ってたんだけど、よくわかったね」
「(好きな人が振る舞ってくれた料理だから)当然だ。マリーが俺にくれたものは全部覚えてる。味も香りもどんな風に食べたかも(どんな感情を抱いたかも)すべて、(君と過ごした時間を)忘れるはずがない」
ある種の感動を覚えつつレイスにそう答えれば、アンバーの瞳がなにかを懐かしむかのように柔らかく細められ、まっすぐに私を映し出す。
「――もう一度、口(君)に(に)できれば(会いたい)とずっと思ってた」
「私も同感だ」
レイスの台詞と被さるように耳に届いた聞き覚えのある声に振り向けば、苦虫を噛む潰したような表情を浮かべたヨハン陛下となぜか瞠目しているジャン、それから相も変わらず美しいルクト様が立っていて驚く。一体いつの間に。
ベルクさんやレイスと話し込んでいた所為か、ルクト様達と私達の距離はわずか数メートルと大変近いにもかかわらず、声を聞くまで背後から迫っていることにまったく気が付かなかった。
それに、ジャンはなんであんなに驚いた表情を浮かべているんだろう。
そしてルクト様の隣にいるヨハン陛下は、なんであんなに頭が痛そうな顔をしてるのか。
……ルクト様が大国にあまりいい印象を抱いていないって知ってるとか?
ふと頭を過った考えに、これは触れない方がいいやつだと悟った私は嫌な予感に頬が引きつらないよう表情筋に気合いを入れる。
そんな中、美しい笑みを携えたルクト様が悠然と口を開いた。




