№13 豚の生姜焼き 5
危ない危ない。
焦がすところだった。
「美味しそうですね~」
嬉しそうに覗き込むアンナさん思わず目を瞬かせれば、キリッと表情を引き締めたフィオナさんが左手を胸に当て、そっと口を開く。
その姿は騎士然としており、とても様になっていた。
「マリー殿のお言葉を拝聴して自問自答してみたが、この肉を食すことは私の騎士道には反さない。故に御相伴に与らせていただきたい」
厳かにそう告げられたが、右手にお皿を持ったままなのでなんだか残念。しかし生姜焼きを食べたいと言ってもらえたのは嬉しいので、笑顔でお皿を受け取る。
「どうぞ召し上がってください」
「私も気にならないので、いただいていいですか~?」
「もちろん」
手を上げたアンナさんに応えながらお皿に生姜焼きを盛りつければ、ふわりと立ち昇った湯気の下から汁を纏い艶々輝く豚肉と飴色に染まった玉ねぎが顔を覗かせ、鼻先を掠める生姜と焦げた醤油の香りが食欲を誘う。
良い出来栄えである。
「俺は料理人なので。美味ければいいです」
「俺も食材に清らかさは求めないぞ。腹に入れば一緒だからな」
マルクさんとベルクさんの声に振り返れば、いつの間にか用意されていたテーブル代わりの台の上に千切りキャベツとよそったご飯が載っており、地面には腰を下ろせるよう布が敷かれていた。
随分と様変わりした光景に目を瞬かせていると、手の上から生姜焼きのお皿が消える。
「俺は、マリーが作ったものならなんでもいい」
レイスはそう言って卓上にお皿を運ぶとご飯のお皿が置かれた場所に腰を下ろし、私を呼ぶ。
「早く食べよう」
湯気を立てる美味しいご飯と目を輝かせるレイス。
いつもと変わらぬ食卓がそこにあった。
「――そうだね」
頷き、私が一歩を踏みだすのと時同じくして、闇夜でも目立つ金髪が視界の端を掠めマルクさんの隣に空のお皿を持ったルクト様が腰を下ろす。
「マルク」
「……どうぞ」
そしてたった一言でマルクさんからご飯を半分強奪したルクト様は、私を見やるとにこりと笑う。
「ちなみに私は、その先に臨む未来があるならばなりふり構わず進むべきだと思っていますから、現状もっとも有用な食材に文句はありません」
その宣言に周囲の騎士達がどよめくが、ルクト殿下が辺りを一瞥するとサーと潮が引くように静かになる。
「ルクト様……」
その様子を、暗澹とした表情を浮べたジャンが見つめていた。
おおらかな人なのかと思っていたけど……。
マルクさんや周囲の騎士の反応からいって、ルクト様はイイ性格をしているお方なのかもしれない。
本能からのそんな囁きに二の足を踏みそうになるが「冷めてしまいますよ」とルクト様に指摘されて、慌ててレイスの隣に腰を下ろした。
冷めた生姜焼きなど悲し過ぎるからね。
私が座れば、レイスやベルクさん、フィオナさん、アンナさん、マルクさん、それからルクト殿下の視線が私に向けられる。
「――い、いただきます」
視線に押されるようにそう手を合わせれば、皆もみよう見真似で食事前の挨拶をする。
しかも、思わず女神様への祈りでなく普通に手を合わせてしまったのに、誰も問い正してこない。
助かったような、むしろ恐ろしいような気分だ。
そんなことを考えていると、またもや皆が私を見つめていた。
どうやら私が手を出すのを待っているようなのだが、はたして王太子殿下より先に食べ始めていいものなのだろうか……。
「我々は御相伴に与っている身なのでいつも通りどうぞ」
毒見代わりに先に食べた方がいいのか、それとも殿下が取るまで待った方がいいのか悩んでいると、そんな私の胸中を見透かしたようにルクト様が告げる。
それでも社会人であった私は迷っていたのだけれど、レイスがいつも通り生姜焼きを取り、食べ始めたので覚悟を決めた。
ご飯の上に生姜焼きとキャベツを取り、まずお肉を食べる。
色々あったので熱々ではないけれどまだ温かく、蜂蜜の効果か豚肉は柔らかかった。
「――こりゃ美味い」
久方ぶりの味に震える私の心を代弁してくれたのは、マルクさんだった。
そしてそれをきっかけに皆が次々に口を開く。
というか、皆いつの間に取って食べていたんだろうか……。
「ああ。マリーの味付けがいいんだろうが、肉に臭みがなくて食べやすい。鳥よりも食べ応えがあるし、一度広まればあっと言う間に食い尽くされるだろう。今から養殖しておくといい資金源になる」
豚肉を噛みしめながら養殖にまで考えを巡らせるベルクさんの横では、フィオナさんとアンナさんがタレの味に感動していた。
「勇者の醤油と生姜がこんなに合うなんて」
「甘い玉ねぎとキャベツのサッパリ感で、いくらでも食べられそうです~」
レイスはというと、生姜焼きが盛られた皿に二度目となる手を伸ばし、黙々とご飯と生姜焼きをかき込んでいるので、気に入ったのだろう。
これはうかうかしていると食べ尽くされる流れだ。
なくなってしまう前に自分の皿に生姜焼きを追加して一息つけば、海のように深いブルーの瞳がジッと私を見つめていた。
「――君は不思議な人だね。噛みしめるほどに甘みを増す白い米は元の状態からは考えられないほど柔らかく変化し、濃い目に味付けられた肉料理との相性がいい。生姜の香味と醤油の塩気、蜂蜜の甘さのバランスは完璧で、コク深いこの肉と見事に調和しているし、共に炒められた玉ねぎが調味料や肉汁を含んでいるため肉を漬け置かずとも味付けがしっかりと感じられる。そして付け合わせのキャベツを合間に食べることで口の中がすっきりし、濃厚なこの肉料理を新鮮な気持ちで味わわせてくれる」
まるでこの肉を味わうためにあるような味付けだ――。
料理評論家のような感想のあと、耳元でそう囁かれ息を呑む。 私を見据える瞳は底が見えないほど深く、すべてを見透かしている気がして心拍数が一気に上がっていく。
しかし、ふわりと笑みを浮かべたルクト様は私から目を逸らし、所在なさげに固まっている騎士ジャンを呼んだ。
「ジャン」
「はっ」
考えに浸っていたようにも見えたジャンは、条件反射という言葉がぴったり当てはまる動きでルクト様の元に侍ると、片膝ついて主君の命を待つ。
それは一枚の絵画のようにしっくりくる光景で、主従として二人が過ごしてきた時の長さが感じられた。
「お前も食べてみろ」
「……」
生姜焼きと千切りキャベツと白いご飯が乗ったお皿を主君から突きつけられたジャンは、なにかを堪えるように眉を寄せるとなにごとかを口にしようと唇を戦慄かせて、やめる。
――そんなに嫌なら断ればいいのに。
生姜焼きだって、美味しくいただいてくれる人に食べられたいはずだ。しかし主君からの命だと断りにくいのかもしれない。
そう思い至り口を挟もうとした瞬間、再びルクト様の声が響く。
「ジャン。この状況で誰が正しいのか。もう、わかっているのだろう?」
「――はい」
諭すように告げられた言葉にグッと息を詰まらせたジャンは、目を瞑りそう答えるとグレーの瞳を私に向ける。
まっすぐ向けられた瞳にまたなにか言われるのかと身構えるが、鋭い眼差しに険はなく。不機嫌な顔しか見てこなかった私はその時ようやく、ジャンが釣り目であることを知った。
「独りよがりな考えを押し付けてすまなかった」
まさかの謝罪に自分の耳を疑うが、ジャンはもう一度すまないとはっきり告げた。次いでルクト様からお皿を受け取り、マルクさんが差し出したフォークで豪快に生姜焼きを刺すと、勢いよく口に入れる。
そして味わうように噛みしめること十数秒。
「――――美味い」
吐息を零すようにそう零したジャンはその後、手を止めることなく生姜焼きとご飯とキャベツを口に運び、米粒一つ残さず完食した。
ルクト殿下はそんなジャンさんの姿を満足そうな表情で眺めており、二人を見守っていたマルクさんがホッとしたように息を吐く。
「決まりですね」
「ああ。今晩は残ってる肉と食料で軽く炊き出して、明朝から捕獲だ」
マルクさんの言葉にベルクさんがニヤリと笑う。
なんだかよくわからないが、話しが纏まったらしい。
通じ合っている四人になんだったんだと思いつつ、私は生姜焼きを口に運ぶ。すっかり冷めてしまったけど、蜂蜜水のお蔭で柔らくなった豚肉にタレがしみ込んだ玉ねぎが絡んで美味しい。
続いてタレと肉汁がしみ込んだご飯とキャベツを混ぜてほおばっているとレイスに袖を引かれ、少ししてから物悲しそうな声が耳を打つ。
「マリー」
卓上へ目を向ければ、空っぽになったお皿。
レイスは先ほどの騒動などものともせず、食べ続けていたらしい。ルクト様にいつも通り食べていいと言われ、私も否定しなかったので、心行くまま貪っていたのだろう。
レイスもある意味ブレない男である。
「食べ終わったらね」
「……わかった」
追加を催促するレイスに待つように告げて、確保しておいた生姜焼きを頬張る。
私が自分の食欲を優先するのも、いつものことである。
炊き出しするなら寄せ鍋かしら……。
皆で分けてしまったので生姜焼きを食べ終わっても物足りない自身の胃袋と相談しつつ、次の料理に想いを馳せる。
そんな私が現実に引き戻されたのは、卓上の惨状に気が付いたベルクさんが驚きの声を上げる数分後のことだった。




