№13 豚の生姜焼き 4
そうこう考えている間に、出来上がった肩ロースの塊を持ったマルクさんがやってくる。
「ここからどうします?」
「これくらいの薄切りにして炒めます」
「ならそれは俺がやりますよ」
指で五ミリほどの厚さを示せば、マルクさんが承知したと頷く。このまま料理を手伝ってくれるのだろう。
一瞬、王太子殿下に料理を出すような人に手伝わせていいのか迷ったけど、お腹の虫がグーと鳴いたので私は迷わず頭を下げる。背に腹は代えられないからね!
「では、お願いします」
丁寧に頭を下げた私は、他の食材や調味料、調理器具を出してもらうためにレイスの元に向かう。
白米と生姜焼き――。
その香りは不安半分興味半分に騒めいている騎士達の気持ちを攫い、豚さんへの認識を改めさせるだろう。
なにより、久方ぶりに食べるその味はきっと至福に違ない。
というわけで、お料理開始である。
まず、薄切り肉三百グラムに対して、同量の水で溶き伸ばした蜂蜜大さじ一杯半をかけて揉み込み十五分~三十分置いておく。
蜂蜜がお肉を柔らかくするのは有名な話だからね。
しかし厚いお肉ならば蜂蜜を直接揉み込んでも問題ないけど、薄切り肉だと上手く行き渡らずボロボロになってしまうので家ではお水で薄めて使っている。
お肉を待っている間に玉ねぎ一個を三~五ミリ幅にスライスし、キャベツ四分の一玉を千切りにして水に浸けておく。
次いで調味液の準備。
少し使いにくいけどすり鉢もどきで生姜を擦りおろす。大さじ一杯あればいい。
そこに加えるのは、醤油大さじ三杯と酒を大さじ一杯半、といっても清酒はないので今回は白ワインで代用する。ちょっと洋風な感じになってこれはこれで美味しい。
これにて調味液は完成だ。
あとは油を敷いたフライパンでスライスした玉ねぎを炒め、透明になってきたら蜂蜜で漬けておいたお肉を投入。お肉に火が通り赤い部分がなくなったら、調味液を加えて半分から三分の一まで汁がなくなるまで炒め煮たら、生姜焼きは出来上がり。
なんだけど。
すでにお肉と玉ねぎと調味液、添え物の千切りキャベツにご飯を炊炊き、あと炒めるだけという段階まで来た。
至福の時間までもう一歩。
だというのに、私の前にはグレーの瞳を吊り上げた騎士、ジャン・サルテーンが立ち塞がっていた。
「――貴様。それをどうするつもりだ」
「炒めて、お米と一緒に食べますけど」
睨み合う私達の周りは時が止まったかのように、静まり返っている。
ご飯が炊き上がり蒸らし時間に入ったので生姜焼きを仕上げようと、魔石コンロにフライパンを乗せたまさにその時、ジャンはやってきた。
無論その側には金髪の麗人ルクト殿下がおられ、彼等はレイスとベルクさんが解体していた豚さんへ歩み寄った。
そして部位ごとに分けられた豚肉を眺め、残った頭部を見る。
次の瞬間、ジャンは叫んだ。
その様なものは食えぬと激高し、破棄するよう命じた。
彼は赤身肉と白い脂のコントラストが美しい豚肉を、食べ物として決して認めぬという。
勇者様の活躍でただの動物となったとはいえ、どうみても元オーク。下劣な生き物を食べて生き延びることは、恥だと言う。
そして大変美味しそうな豚肉の破棄を主張しただけに飽き足らず、マルクさんが類まれなる包丁技術で薄切りにし、私がせっせと仕込み完成間近の生姜焼
きを捨てさせようと迫っている。
「米はまだ許そう。しかしそのような生き物を食すなど言語道断。捨てろ」
「では、他になにを食べろと?」
というか、米はまだ許すって何様だと思いつつそう問いかければジャンは胸を張って応える。
「それは今から探す」
「騎士様や魔法使い様達が一生懸命辺りを調べて、レイスやベルクさんでもこのお肉以外見つけられなかったのに、探せば他に食材があると?」
「それは、わからんが。しかしそのような下劣な生き物を食べて生き延びるなど騎士道に反する。ルクト殿下にお仕えする騎士である我々は清廉潔白でなければならんのだ」
そう告げるジャンの目には一点の曇りもなく、彼が心よりそう思っていることがわかる。自然薯団子を否定した時だって、王太子殿下の御身を慮ればこそでた言葉だったのだと思う。
それだけ主人を大切に想い、仕えているのだろう。
しかし。
「――馬鹿馬鹿しい」
「なんだと?」
「馬鹿馬鹿しい、と言ったんですよ」
眉をピクリと動かしたジャンに聞こえるよう大きめの声で、もう一度はっきりそう言ってやれば顔が赤く染まり、腰に佩いた剣に手が伸びる。
そんなジャンの行動にベルクさんやレイス、マルクさんまでもが間に割ろうとしているが、私は構わず口を開いた。
「きさ――」
「貴方の言う『騎士道』はなんのためにあるの?」
そして釣り上がった灰色の瞳をまっすぐ見つめ、問いかける。
「勇者様のお蔭で魔王が消え去り、創生時と同じ姿に戻った動物を下劣な生き物と称するなんて女神様を馬鹿にしてるの? 皆さんが一生懸命探してもないって言ってんのに探せばあるとか、根性論でどうにかなるならあんな重苦しい空気にはならないでしょ。空腹なんて気合でなんとかなるとか思ってんの? なるわけないでしょ。馬鹿じゃない? それで? 少ない食料で我慢して進んで熊とか盗賊とか出たらどうするの? 空腹でフラフラのまま戦えるの? 本当に? いざって時に戦えない騎士になんの価値があるの? 外面気にしてやせ我慢してご主人様守れなかったら本末転倒じゃないの」
口を挟む暇を与えずに言いたいことを告げれば、ジャンは目を見開き固まった。
しかし、一度堰が切れた私の気はこの程度では晴れない。
一度目は未遂だったけど、二度目の妨害。
それも切実な理由でなく、この男のこだわりでだなんて許せるものではない。
「騎士様、それも次期国王陛下に仕えてるんだから高潔な志を持って二心なく主人に仕え、誠実であり崇高な行い心がけるべきなんでしょうけど、このお肉でお腹を満たして万全な状態で殿下を守ることのどこがそれに反するの? それから何度でも言うけど、勇者様のお蔭で歪みは綺麗さっぱりなくなって、動物も植物も元の姿に戻ったの。これはオークでなくて、肉付きのいい無害な動物! 食べればきっと美味しいし、生きる糧になるのに、過去の記憶にこだわって食べたくないなんて馬鹿みたい。それにそもそも!」
キッと見上げればどこから「……まだあるのか」なんて呟きが聞こえてきたけど、気にしない。
この男には、言わなければならないことがあるのだから。
「私、騎士じゃないし、食べ物に清らかさとか求めていないので。体に害がなくて美味しければそれでいいと思ってるから、オークに似てようがなんだろうが気にしないわ。だからこのお肉も食べる。お腹空いたし。わかったら邪魔しないで」
そう言って、私はフライパンを乗せた魔石コンロの前に腰を下ろした。
王太子殿下に変な物を食べさせるな、というのはわかる。
この国にとって大事な人だからね。
しかし、それでなぜ私が食べるのも駄目なのかという話である。私だって、怪訝な顔をして遠巻きしている人々に無理矢理食べさせようとは思わない。
美味しいのにもったいないなとは思うけど、食事とは繊細なものだ。一緒に食べる人によって味の感じ方が変わることもあるし、嫌だと思って食べればお腹を壊したりもする。
だからどうしても嫌だというのならば、食べなくていい。
しかし、ジャンの言い分は私には食わず嫌いの言い訳にしか聞こえない。
だってフェザーさんは魔獣の中から、管理できそうな弱い種を選び飼育して食肉用に卸してたって言ってたもの。以前育てていたウズーは雑食な上に凶暴だったから、気を付けないと足に穴が空くとも言ってたし。
そんな鳥が食用として許されていたのに、無害な姿に戻った豚は駄目ってどういった了見なのか。
見た目と気分的な問題だとしか思えない。
――その程度のことで生姜焼きを諦めるなんて、ありえない。
苛立ちのまま少し乱暴に魔石コンロに火をつける。
フライパンに玉ねぎを投入して強火で炒めれば、パチパチといい音が鳴る。焦げないようにかき混ぜながら透明になるまで炒めたら、中火に落としてお肉に火を通す。
蜂蜜水を吸った豚肉は焦げやすいので、こまめに動かしながら炒めること数分。
お肉の焼けるいい匂いが漂いはじめ、誰かが喉を鳴らしている。しかし生姜焼きはこれからだ。
合わせておいた調味液を軽くかき混ぜてフライパンに流し入れればジュッといい音が鳴り、調味液がクツクツと煮立つにつれて醤油と生姜の香りが辺りを覆う。
もうちょっとかなー。
汁気の減り具合を確認しつつ火を止める頃合いを計っていると、フッとフライパンの上に影が落ちる。
近づいて来た気配をチラッと確認すれば、ご飯が入った鍋とお皿を持ったレイスがすぐ側に腰を下ろしていた。
そして至極真面目な声で私に問う。
「そろそろご飯をよそうか?」
「あ、うん」
「なら付け合わせのキャベツの水を切っときますね」
「この皿でいいか?」
レイスの反対側から声をかけてきたのはマルクさんとベルクさんだった。
「あ、はい。大丈夫です」
頷けば、ベルクさんが持ってきた皿にマルクさんが水を切ったキャベツを盛りつける。かと思えば、フィオナさんがお皿、アンナさんがカトラリーの束を持って私の目の間にかがむ。
「お肉はこの皿で大丈夫だろうか?」
フィオナさんの言葉でハッとした私はフライパンの中身を確認し、慌てて火を止めた。




