№13 豚の生姜焼き 3
よろしくない状況に心臓が嫌な音を立てるのを感じながら、騎士や隊長の会話に耳をそばだてていると、温かな手にそっと肩を叩かれる。
「マリー殿」
「夜は冷えるので馬車に戻りましょう~?」
自分達も不安だろうに気遣ってくれるフィオナさんとアンナさんに促されるまま立ち上がれば、私を安心させるように微笑んでくれる。
二人はそういう任務だからと言ってしまえばそれまでだけど、周囲の散策に付き合ってくれたり、こうして耳を澄ませることを許してくれたりしているのは彼女達の優しさなのだろう。
これからどうなるのか気になるけど、フィオナさん達にあまり迷惑をかけたくない。なにより、これ以上聞いていると不安で眠れなくなりそうなので大人しく馬車に戻る。
そして車内に入るため手をかけた、その時だった。
――! ――――!?
ザワッと空気が震えたかと思えば、怒声というか悲鳴のような声が聞こえてくる。
「レイス殿達が戻られたようだ」
「でもなんかおかしな雰囲気ですね~?」
「なにか持ち帰られたが、あれはなんだ?」
「ここからでは見えません」
徐々に大きくなる人垣に目をやりながら交わされた二人の会話にパッと顔を上げれば、フィオナさんが車内に入りかけていた私に騎士然とした動きで手を差し出す。
「見に行きましょう」
「あ、ありがとうございます」
紳士的な態度にちょっとときめきを覚えつつ馬車から降りれば、アンナさんがサクサク人ごみを避けていく。
「はいはい。邪魔なのでどいてくださいね~」
魔法で身体強化でもしているのか、そう言いながら自分より大きな騎士を片腕でどかしていくアンナさんの姿は意外過ぎである。思わず見入ってしまったが、フラフラ歩く私の手をフィオナさんが引いてくれており、いつの間にか人垣の中ほどまで進んでいた。
「――オークだ」
騒めく騎士達の中に入るなり聞こえてきたのはそんな言葉で、私は息を呑む。
オークって、あのオーク?
オークと聞いて思い浮かぶのは、ゲームや物語に登場する二足歩行の醜い豚の化け物。近隣の女性を攫う悪辣で傍若無人な存在として描かれることの多い、あのオークだろうか?
周りを見れば嫌悪の表情を浮べていたので、イメージ的には私が想像しているものであっているのだろう。
あれ? でも勇者様のお蔭でそういった化け物はいなくなったはずなんじゃ……?
ふと脳裏を過った疑問。
しかしそれはすぐに解決された。
「着きました」
フィオナさんの声に意識を戻した私を出迎えてくれたのは、レイスとベルクさん。
それから、丸々と太った豚さんだった。
すでに息絶えている豚さんは美味しそうに肥えた巨体を横たえ、レイスとベルクさんの足元に居る。
すでに血抜きはなされているらしく、綺麗な横顔だ。
白い毛だからヨークシャー種とかかしら……。
ピンクの肌が透ける白い毛に覆われた豚さんは、どこからどうみても地球で食べられているものと一緒で。
大きさからいって二百キロ前後といったところだろう。
食用豚にしては小さいが、鶏や鶉を見慣れている私からしたら食べ応えがありそうなサイズで食欲がそそられる。
思わず、ゴクリと喉が鳴った。
「マリー?」
「辺りに食いもんがない原因だろうから持ち帰ってみたが、女性に見せるもんじゃなかったな。誰か大きな布かなにか――」
そんな私の姿が息を呑んだように見たのか、レイスが心配そうに名を呼び、顔をしかめたベルクさんが騎士達に布かなにかを持ってくるように命じる。
でも、ごめん。
全然大丈夫。
さすがに解体はできないが、下処理済みの丸侭のうさぎや七面鳥は扱ったことがあるし、大学では生きた鯉を調理して食べたりもした。
こういった考えを非難する人もいるかもしれないが、私の中ではまな板に載ったら食材である。
豚肉ならばシンプルに焼いてもいいし、採取した茸や葱と炒めてもいい。薄切りにして自然薯に巻いて焼くのもありだし、醤油と蜂蜜があるので時間はかかるけど角煮という手もある。
命を奪ったのだから残さず、すべてを美味しくいただかなければならない。
それに豚が手に入るなら、騎士達の分の食料もなんとなるだろう。
「どう料理する予定ですか?」
そう思っての質問だったのだが、空気が凍り付いた。
しかし豚さんに視線を注ぎ、作れる料理を模索していた私は周囲の驚愕など露知らず。
――寄せ鍋にしゃぶしゃぶ、トマト煮込み、マルクさんがくれた生姜があるから……生姜焼き、食べたいな。
「――食べるのか」
生姜焼きに行きついたところで耳を打った、レイスの声。
なんだか重みある声色に顔を上げれば、アンバーの瞳が瞬き一つせず私を見つめていた。
「だって他に食べられる物はないんだもの。沢山お肉取れそうなのに食べないの?」
心の底からの疑問を口にすればベルクさんが息を呑む。そして豚さんの側で片膝つくと真剣な眼差しで全体を観察し、詰めていた息を吐いた。
「…………毒はないし、恐らく肉質もいい。崖下に沢山いたからすぐに捕まえてこれる。なにより、これを食えば食料は足りるだろう」
告げられた言葉に騎士達が騒めく。
「食べられるのか?」
「オークだぞ」
「でも、ベルクさんは」
「オークを口に入れるなんて」
「さすがにちょっと……」
私の想像以上に皆抵抗があるらしい。
いや、私も確かに二足歩行のオークだったら戸惑うけど、これはすでに魔物でなくただの豚。地球の広域で親しまれている普通の豚さんである。
むしろ食べたい。
脂ののった豚肉をがっつり噛みしめたい。
というか私のお腹は今、白米と生姜焼きを求めている。
チラリとレイスを見上げれば未だに私を見ていたらしく、パチッと目が合った。
「食べるんだな」
「うん。だって勇者様のお蔭でこれは魔獣のオークじゃなくて、ただの動物でしょ? 丸々太ってるしきっと美味しいわ」
「……そうだな。わかった」
意思を問うアンバーの瞳から目を逸らすことなく答えれば、レイスは覚悟を決めたかのように重々しく頷き、ベルクさんへと目を向ける。
「そいつを解体する」
「そうだな。仕留めたばかりじゃ美味くないかもしれないから、マルクを呼んで来る。だから先に――」
「ここに居ますから大丈夫です」
レイスに同意し立ち上がったベルクさんがすべてを言い切る前に、マルクさんが姿を現した。
どうやら騎士達に紛れて見ていたらしい。
「中身を拝まないとなんとも言えませんが、肉付きはよさそうですね。熟成は俺がやるんで、とりあえず部位ごとにバラしてもらえますか」
「わかった」
豚さんの腿を撫でてそういったマルクさんは、解体の邪魔にならないようレイス達から離れ私の元にやってくる。その表情は戦々恐々としながらもどこか楽しそう、と複雑だ。
「元オークを食べようなんて……思い切りましたね。マリーさん」
「もうただの動物ですし。なにより食材としての是非は美味しいか否かですから」
「――ハハッ。そりゃそうですね!」
私の信条を告げればマルクさんは目を丸くしたあと、吹き出し笑う。
「そう思って色々食べてみないと、新しい料理は生まれないですからね」
「ええ。美味しいかまずいかは別として、とりあえず毒がなければ大丈夫だと私は思ってます」
こちとらナマコやホヤ貝など多少見た目が悪くとも味さえよければ喜んで食す日本人。猛毒を持つフグさえ食べて見せる人種である。
わりかし本気で思っていることを伝えれば、マルクさんから尊敬の籠った眼差しが向けられ、その口から感嘆の声が漏れた。
「そうですね。毒さえなけれ食べられますもんね。トマトもアーモンドも米も……クセのある食材も上手く調理して美味しくするのが料理人の仕事ですよね。――不屈の探求心。ルクト殿下が気に入るはずだわ」
感心と納得が入り混じった様子のマルクさんが最後に私を見て何かを呟いたが、周囲のざわめきにかき消されて聞き取ることができなかった。
「? なにか言いましたか?」
「いいや。それよりも下処理が終わったみたいですよ」
「え?」
マルクさんの言葉に慌ててレイス達へ目をやれば、皮や内臓が取り除かれ、白く美しい脂身と鮮やかな赤身のコントラストが美しいお肉を露わにした豚さんがいた。早い。
先程のざわめきはこれだったのだろう。
「おー。これまた、美味そうな肉ですね」
「想像以上だな。試しにどこ使う?」
肉質がわかったことで乗り気になってきたらしいベルクさんの言葉に少し考え込んだマルクさんは、手招きして私を呼ぶ。
「マリーさんはどこがいい?」
どうやら私に選ばせてくれるらしい。
「――では、この辺りで」
三人の視線を受けながら私が指し示したのは、肩ロース。
我が家の生姜焼きは肩ロースの薄切りと昔から決まっているのだ。
「わかった」
そう言って軽く頷いたレイスは大きなナイフを豚さんに向けると、サクとお肉を切り出してくれた。豆腐を切り分けているような手軽さだったので、ここでもまた魔法が使われているのだろう。
切り出されたお肉はそのままマルクさんの手に渡り、ベルクさんが覗き込む。
「このくらいですかね」
「たぶんな。初めての肉だからな。微調整は食べてみないと」
「ですね」
美味しく食べられるよう熟成させているのだろう。
自然薯堀りやすり鉢もどきを作ってもらった時も思ったけど、この世界の魔法は便利だ。
熟成などもできるなら、牛乳から生クリームやバターなども簡単に作り出せそうである。
だから余計に、魔法を上手く使えないことが悔しいのよね……。




