№13 豚の生姜焼き
――町を出発してから十日目。
自然薯の発見などがあった最初の野営地周辺を調べ終えた私達は、再び馬車に揺られていた。
今度の目的地は山の反対側だそうで、一通り調査したら行きとは違うルートを辿って、王城のある町へ戻る予定らしい。
茸や自然薯、紫蘇、すり鉢で作れる料理の話の代わりにマルクさんが黒胡椒と生姜を分けてくれたんだよね。ラッキーだったなぁ。鶏と葱で照り焼きとか生姜焼き、茸の生姜炒めとか自然薯の紫蘇巻、茸ご飯とかもありよね……。
新しく発見された食材やマルクさんにレシピと交換してもらったものを思い浮かべ、これから食べられるだろう料理を脳裏に描く。
食材だけなく、黒胡椒や生姜など見かけても高くて手が出せなかったものが手に入ったのは幸運だった。
ベルクさんやフィオナさんやアンナさんの三人だけではあるが、レイス以外に初めて振る舞った白米も意外と好評だったし、あの日食べ損ねたマルクさんも興味があるみたいだった。
お米が陽の目を見る日が、もうすぐ来るかもしれない――。
「――大丈夫か? マリー」
近くから聞こえてきたレイスの声に遠くへやっていた意識を戻し、コクコクと頷く。
声を出すことは出来なかった。
なぜならば、口を開いたら舌を噛みそうなほど馬車が揺れているからである。
「――道が狭くなっているから、慎重に進め!」
「「「はっ」」」
ガタガタ跳ねる車輪の音に交じって、緊張を帯びた騎士達の声が耳を打つ。
馬車が崖沿いの道に入ってから、早一時間。
徐々に揺れが激しくなる車体への不安から逃れるように食べ物に想いを馳せていたわけだが、正直辛い。
お尻は痛いし、話して気を紛らわせたり、のどを潤して一息吐くこともできない。
騎士達の会話を聞くかぎり、かなりギリギリのところを走っているようなので、幌が張られた馬車の中からでは外の景色を見ることができないのが不幸中の幸いと言えよう。
――早く終わってほしい。
私はその一心で一刻も早く悪路を抜けてくれるよう祈り続けていた。
***
ガッタガッタ跳ねる馬車に痛めつけられること数時間。
山の中腹辺りにある崖沿いの道を走り反対側へ回った私達は、広く拓けた場所でつかの間の休憩を楽しんでいた。
「無事に到着してよかったですね~」
「この山を本格的に開拓するなら道の整備が必要だな」
天に向かって腕を伸ばして体をほぐすアンナさんと、今しがた通ってきた細い道に目をやりながら考え込むフィオナさんはさすが城勤めの兵士様というべきか。さほど堪えた様子もなくゴロゴロと拳大の岩が転がる道を前に、今後の対策を練っている。
一方の私はというと、程よい大きさの石に腰かけ息も絶え絶えといった状態であった。
――どれほどの食材で釣られても、絶対もう参加しない!
馬車や乗馬は慣れてないと辛いっていうけど、本当だった。
町から山までの道はそこそこ整備されていたからまだ我慢できたけど、山道の弾み方は桁違いである。勇者様の知識と魔法の効果で馬車の車体が頑丈なもんだから、半ば無理やり山越えを果たしたけど、絶対徒歩の方がましだったと思う。
「飲めるか?」
「……ありがとう」
飲みやすいようコップに水を出してくれたレイスにお礼を言って受け取る。口をつければ冷たい水が喉を通り、体に染み渡っていくのが感じられて気持ちよかった。
――いい天気。
肌を撫でる爽やかな空気にコップを置いて立ち上がれば、視界一杯に鮮やかな色が広がる。
雲一つない青空と眼下に広がる色づき始めた木々。山々の間にはオレンジ色の屋根が並び、家々を見守るように城が建っている。そして遥か先には、陽光を受けて輝く海があった。
山間を吹き抜ける風は少し冷たいけれど、緊張と不安で火照った身体には丁度いい。
「あの辺りが俺やベルクがいつも行く森だ」
「なら、フェザーさんの鳥小屋はあの辺り?」
「ああ」
こうしてみると、オリュゾンは手つかずの自然の方が多く、綺麗な国だった。人や減った住処に行き場を失くした動物達が溢れる現代の日本よりもずっと。
昔は日本もこんな感じだったのかな……。
少し歩けば茸や自然薯、川魚など山の幸が沢山あり、生命の息吹を実感できたここ数日間を思い出す。資源豊かなオリュゾンは、これから大きく発展していくのだろう。
願わくは、この大いなる自然と共存できる国であってほしい。
だいぶ緑が減ってしまった日本を思い出しながら、そんなことを考える。
と、その時だった。
伏せた目線の先にあったコップの水が、揺らぐ。
「……レイス」
「どうした?」
「なんか、揺れてない?」
波打つ水を指差しそう告げた一拍後、普段のレイスからは想像できないほど大きな声が彼の口から飛び出す。
「崖から離れろ!」
吠えるような叫びに驚いた馬達が嘶き、崖下を観察していた騎士達が一斉に飛び退く。
次の瞬間、登ってきた崖道が崩落した。
大きな揺れと共にガラガラと響く崩壊の音。
通ってきた崖道が崩れ、入りきらずに残されていた馬車が割れた地面の下へ吸い込まれるように消えて行く。
スローモーションのように見えたその光景は、数秒の間の出来事だった。
先程まで多くの兵達が集まっていた崖沿いが大きく抉れ、沢山の物資を積んでいた馬車は数台しか残っていない。
その惨状に誰しもが口を噤み、痛いほどの静寂が辺りを包む。
「――――被害報告っ!」
凍りついた空気を切り裂くように声を響かせたのは金髪の麗人、ルクト様だった。
威風堂々と放たれた命令に、固まっていた人々が一斉に動き出す。
「一、二班、全員無事です」
「三、四、五班も異常ありません」
「無事な馬車は十台中三台! 至急奥に引き上げ、物資の確認をいたします」
「六班、客人含め全員無事です」
「七班以上ありません。また馬二十五頭も無事ですが、興奮状態です」
「八、九、十班。異常ありません。八班は馬車の確保、十班は馬を宥めろ」
「「「「「はっ!」」」」」
報告が次々と上がる中、最後に隊長が指示を出せば、敬礼ののち騎士や魔法使いが散っていく。
「マリー殿、レイス殿!」
「お怪我はありませんか?」
慌ただしく動き出した人々に交じって、アンナさんとフィオナさんが私達の元に駆け寄ってくる。
崖スレスレに居たというのに、二人とも無傷なようだ。
良かった。
「問題ない」
心配してくれている大丈夫だと応えようとした瞬間、頭のすぐ上から聞えてきたレイスの声にピシッと固まる。それと同時に急に感じ出した身を包む体温にそろそろと目を動かせば、見覚えのある腕がしっかり肩に回されていた。
「お二人がご一緒でなによりでした」
「お怪我なくてよかったですー」
私達を視界に安堵の息を吐くフィオナさん達には悪いが、今ちょっとそれどころではない。崩落時の揺れに備えて支えてくれたのはわかるんだけど、この体勢はどうしたらいいの!?
初対面で腕を捻り上げられた時以来の近さに、若干混乱しているとアンバーの瞳と目が合った。
「立てるか?」
「だ、大丈夫デス」
コクコクコクと頷けば様子を見るようにそっと腕が緩み、少しして側にあった熱が完全に離れる。
――た、助かった。
想定外の近さに動揺した心を落ち着かせるべく、深呼吸。初対面の時よりもずっとがっしりしてたとか、思っちゃったのは気の所為だろう。
「マリー! レイス!」
吹き抜ける風の冷たさに浸り頬を冷ましてると耳を打った呼び声。一体どこからとレイスと共に周囲を窺えば、騎士の銀と魔法使いの黒に紛れてベルクさんが手を振っていた。
その側にはマルクさんもおり、頬が緩む。報告では皆無事だって言っていたけど、こうして元気そうな姿を見るとホッとする。
「怪我はないかマリー?」
「はい」
側に来て開口一番が女性の安否確認である辺りぶれないないと思っていると、ベルクさんの大きな手がレイスの頭を掴む。
「――お手柄だ。よくわかったな」
「やめろ」
かき混ぜるように頭を撫でる手をレイスがすぐさま払うが、ベルクさんは気にせずもう一度手を伸ばす。お蔭でレイスの栗毛はすっかりぐしゃぐしゃになってしまった。
「っ! 先に気が付いたのはマリーだ」
子供のような扱いが嫌だったのか、ベシッと手を叩き落として距離を空けたレイスが放った言葉によって、ベルクさんやマルクさん、フィオナさん達の視線が私に集まる。
物凄く感心した目をしているがそれは誤解だ。
「水が揺れてると言っただけです。崖崩れを予見したのはレイスですよ」
勘違いされては困るので私はたいしたことしてませんと主張してみたけど、あまり効果はなかったようで。
私とレイスはその後しばらく、四人からお褒めの言葉を頂戴し続けたのだった。




