№2 勇者ユウト視点
崩れた光のベールはキラキラ輝く粒となり、散りゆく花火のように降り落ちて宙に溶けるように消えてゆく。
それは女神の力によって地球と繋がっていた異世界アリメントムへの道が閉ざされた瞬間だった。
「っクソ!」
閑散とした住宅街の寂れた公園に俺の悪態が響く。
惚れ惚れとした表情を浮かべて光のベールに手を伸ばしていた、カジュアルスーツに身を包んだ細身の女性。袖から伸びる白く小さい彼女の手を、俺は掴むことができなかった。
――俺はなにをやってるんだ!
女神に手を引かれて異世界アリメントムへ渡り、勇者として過ごすこと五年。与えられた魔王討伐という大役を終えて地球に戻って来たことで完全に気を抜いていたのか、勇者として崇められて調子に乗っていたのか。
彼女の存在にまったく気が付かなかったばかりか、余計なことをして驚かせ、異世界へ身一つで行かせてしまった。
胸を焼く後悔に歯を食いしばり、脳裏に焼き付く見開かれた彼女の黒い瞳を思い出しながらギリッと拳を握る。
スーツを着慣れた様子だったので成人した会社員なのだろうが、肌は色白で運動とは無縁そうな女性だった。
俺が魔王を倒したことで魔獣、いわゆる化け物と呼ばれる類のものはアリメントムからいなくなっているはずだが、魔法が存在しているし強盗や人攫いといった危険が身近に沢山ある。
それに生活水準はそれほど高くない。日常生活を快適にするために友人達の協力の元コンロや冷蔵庫もどきなど色々と開発したが、日本での生活には程遠かった。
あの世界で女性が一人で生き抜くのは厳しいだろう。
身をもって知った異世界の厳しさを思い出せば出すほど、なぜ最後まで見届けなかったのかと自責の念にかられる。
その理由をわかっているからなおさらだった。
――アリメントムでの生活に、未練があった。
だから異世界と繋がる光のベールを最後まで見ていることができなかったのだ。別れがたいのだと全身で訴え引き留めてくれた仲間達の言葉に首を横に振り、地球への帰還を望んだのは自分自身だというのに勝手なものである。
異世界では騙されて殺されかけたこともある。
その一方で、素性の知れない俺を信じ、助けてくれた人達がいた。
助けてくれた人々のため剣を握ったが、魔王へいたる道は試練の連続で心折れそうになったことは数えきれない。
しかしそんな俺を支え、共に戦ってくれた仲間達がいた。
辛く苦しいことだけでなく、心躍る出会いや思い出すだけで幸せな気分になれる記憶が沢山あり、第二の家族と呼べるほど大切な人達もいた。
五年という時間は短いようで長く。
過ごした日々を想えば熱いものが込み上げてきて、気を抜いたらアリメントムへ繋がる光のベールにもう一度飛び込んでしまいそうだった。
だから俺は、背を向けて離れたんだ。
その所為でなんの関係もない無力な女性に、危険な異世界生活を強いることになるとは夢にも思わずに。
――助けに、行かなければ。
異世界で勇者として生きることも、地球で平穏な高校生活を送ることも捨てきれず、選択から逃げ続けた俺の中途半端さが招いた事態だ。
俺には彼女を元の生活に戻してあげる義務がある。
決意を胸に首にかかる鎖を引っ張れば、チャリという金属音と共に親指大の透明な石が掌に転がった。
水晶に似たその石は女神様から世界を救った報酬としてもらった物だが、今はまだ使うことができない。この石を創り出した女神様が再び眠りについてしまったからだ。
しかし女神様が目覚めて石が本来の輝きを取り戻した暁には、一つだけ願いを叶えてくれると言っていた。
『私の世界であるアリメントムに関することはともかく、地球で叶えてあげられる願いは限られてるけどね……』
花の顔を少し曇らせてそう言われた時はなにを願おうか悩んだが、今はアリメントムに関する願いが叶えば十分だ。あの女性を助けてあげられればそれでいい。
一刻も早く助け出せるよう沈黙したままの石を肌身離さず持つことを誓って一歩踏み出せば、カサリとつま先でなにかを踏んだ感触。視線を落とすと、芝生の上にケースに入れられた社員証があった。
株式会社○○ △△部 田中真理
ネックストラップを掴んで拾い上げれば先ほど出会った女性の顔写真と名前が書いてあり、俺はそれを大切に学ランのポケットに仕舞う。
必ず、迎えに行きます。
だからそれまでは、どうかご無事で。
心の中で祈るようにそう告げて。
俺は五年ぶりに自宅に帰るべく歩き出したのだった。