№11 ベルク視点
――王城の片隅にあるとある会議室。
十人がけの楕円の机に腰を下ろしているのは、近衛騎士団の団長と部隊長が一人、植物学者のオッソ殿とその弟子に料理長や宰相、文官が二人、それから王太子殿下と彼付きの騎士が一人。
そんな早々たる顔ぶれの視線を一身に浴びながら、俺は机の前に立ち声をかけられるその時を待っていた。
「――それで、彼女はどうだった? ベルク」
会議の最中、この国の王太子ルクト殿下が俺に問いかけたのは、最近弟子に取ったレイスの想い人であるマリーについてだ。
他の面々も彼女が気になるのか報告が始まるのを今か今かと待っており、俺は彼らに気が付かれないよう小さく息を吐いた。
揃いも揃って、なにやってんだか……。
ルクト殿下の祖父である前王には大恩がある。
故にとっくの昔に廃業した諜報の仕事に従事してみたわけだが、調査相手はこの辺りでは珍しいストレートのブルネットが美しいマリーという女性。
あどけなさの残る顔立ちをした彼女は、よく笑う普通の子だった。
「――結果から言うと白だな。記憶の改ざん等もなければ怪しげなつながりもない。殺気や首裏にナイフを当てても気がつかないし、腕や足も細い。あれは戦ったことなんてないだろう。生活は真っ当で、薄暗いうちから朝食食って、日の出と共に仕事を開始。鳥小屋のご夫妻と昼食取って午後は仕事の続き。終ったらまっすぐ敷地内にある小屋に帰って、夕飯食べたら就寝。休みの日は掃除や洗濯、あとは食材や生活必需品の調達。たまの贅沢として、レイスに手伝わせて菓子を作ったりしてる。年頃の娘とは思えないほど清らかな生活で、男としてまったく相手にされてないレイスが哀れになった。以上」
アイザの店に注文品を取りに来たマリーと無理やり対面し、その後一か月ほど観察した結果を述べれば、ルクト殿下の顔に笑みが浮かぶ。
一方、殿下付きの騎士ジャン・サルテーンの眉間には、これでもかというほど皺が寄っていた。
「――性格は? 長い時をルクト様の側で過ごすのだから、品行方正でなければならんぞ」
「控えめで良い子だったぞ。なにかと一緒にいるレイスはともかく、男に慣れてないのか話す時は常に一定の距離を空けてるし。礼儀正しい性格みたいで、ちょっと食材買ってやったら後日レイスと一緒に菓子を持って礼を言いに来た。元の風習が違うのか物知らずな部分はあるが聡明で、己の知識を相手にわかりやすいよう説明することもできる」
一緒に市場を歩いた時に聞いたマリー独特の調理法や食材の説明などを思い出しながらそう告げれば、料理長の目が輝く。
アイザのところで食べたクッキーはすでに報告済みだし、礼として持ってきてくれたカステラも少し分けやったので、期待が膨らんだのだろう。
「ベルク殿がそう仰るならば、問題ありませんな」
宰相の言葉に他の面々も頷いており、このままだとルクト殿下の要望通り、彼女もレイスと共に食材採取に向かう彼らに同行することになりそうだ。
それはマリーが今の生活を抜け出す、大きなきっかけになる。
しかしそれを彼女が望んでいるかは、微妙なところだ。
「なにか言いたそうだな。ベルク」
「国家の一大事を解消するための重大な任務に参加させるか否かを話し合っているのだ。不測の事態に見舞われないよう隠し立てせず、すべて報告しろ」
目敏い王太子殿下の言葉に、ジャンが喜々として乗ってくる。マリーと彼女への恋心に気が付いてもいない馬鹿弟子を想えば、この場で唯一彼女を参加されることに反対しているジャンには頑張ってもらいたいところなのだが……。
この情報は、ルクト殿下が喜ぶだけなんだよなぁ……。
彼女自身は人畜無害だ。
それは何度も確かめたし、夜中に忍び込み剣を振り下ろした時でさえ、マリーは安らかな眠りについたままだった。
戦う術など持たず、むしろ少し警戒が足りない気さえする。
そう。
マリーは無力で無防備すぎるのだ。
故郷を失い、着の身着のまま生き抜いてきた女性だとは思えぬほどに。
「ベルク。ジャンの言う通り、なにかあってから遅い」
祖父譲りの青い瞳が、俺を見据えてすべて話せと言っている。
零れそうになるため息を呑み込んで、俺はルクト殿下の命令どおり口を開いた。
「――彼女の手は多少荒れていたが、戦うことはおろか労働などしてこなかったのではと思うほど柔らかった。あれは働き始めて半年も経ってないだろう」
俺の報告に場の雰囲気が変わる。
こうなるのがわかっていたから言いたくなかったんだよ。
しかし元諜報員としての腕を見込んでの依頼であり、その依頼主が大恩あるあの方の孫とくれば、虚偽の申し立てをするわけにはいかない。
思い出すのは、監視されていることなど露知らず、お礼を言うためだけに俺の元へ足を運んだマリーの姿だ。
――ありがとうございました。
そう言ってお礼の品を入れた籠を差し出した彼女の所作は、美しかった。
「オリュゾンや大国で使われている共通語の読み書きはできないみたいだが、秤の扱い方を知っている。食事も彼女なりのルールに従い食べているようだし、挨拶やお礼の品を持ってきた時の所作を見るかぎり、
どこかの礼儀作法に準じているように感じる。戦う術を持たない無力な女性だが、彼女が作ったクッキーやカステラという名の焼き菓子を見るかぎり完成された知識と技術を有しており、平民として育ったというには些か聡明すぎる。以上! これで全部だ」
市場に並ぶ品々に眼を輝かせるマリーの姿が頭を過り、罪悪感がチクチクと胸を刺すが振り切るように声を張る。
マリー自身は人畜無害だが、彼女を見い出した人間によっては平穏な生活は望めなくなるかもしれない。
それが、今回俺が出した結論だった。
「――なにか彼女の身分を証明できるものは?」
ルクト殿下の瞳が煌きを増す。
今、彼の頭の中では彼女を王家に取り込むか、故郷を失った悲劇の令嬢として祭り上げるか、などと色々な考えが巡っているんだろう。
これは、良くない傾向だ。
「なかった。移住者の記録を辿ってみたが、経由地点になった大国で途切れてる」
「チッ。大国は相変わらず雑な仕事をする」
俺の言葉にルクト殿下は舌打ちを零したが、やはりマリーへの興味を深めたようだった。
「まぁいい。その件は彼女の働きを見つつまた考えよう。とりあえず彼女自身に問題はないようだから、予定通り次回の――」
大国への不穏な感情を滲ませつつも、マリーの同行を決定するべく会議を再開したルクト殿下や渋い顔を浮かべるジャン、彼女を気にかける殿下の姿に何かを思案し始めた宰相や文官達を眺めながら、俺は嘘がバレなかったことに心の中で安堵の息を吐く。
レイスにもあの方にも顔向けできねぇなぁ……。
様々な感情を知り人として成長中の可愛げない弟子と、人から奪うことしか知らなかった俺を拾い育ててくれた恩人の顔が浮かぶ。
恐らく、マリーは逃げられないだろう。
間違いなく、近いうちにルクト殿下と相見えることになる。
富や権力が好きそうには見えなかったのでレイスにも頑張る余地があるが、ただでさえ口説きにくそうな女性だ。きっと彼女を手に入れるには苦労するだろう。
レイスが恋を自覚する前に終わっていることがないよう、祈るばかりだ。
そしてもう一つ。
俺は、マリーが隠し持っていた小さな時計が、殿下達の目に触れないよう心から願う。
見つけた情報を隠すなど諜報員として失格だが、彼女の持っていたあの時計が明るみに出れば大変な騒ぎになるだろう。
あれほど小さく精密な作りの時計は大国でだって見たことがない。装飾品として使えるような作りになっていたし、競売にかけたら想像を絶する値が付くだろう。
故郷を失った彼女を守る者はもういない。
そんな中、あのような時計を作り出せる故郷の知識や技術をマリーが有していると判明したら、その後の生活がどうなるのかなど想像に容易い。
あれだけ精巧な時計を所持していた事実があれば、嘘であれ誠であれ、彼女が高貴な身分だったと証明できる。
それはきっと、マリーにとって不幸せなことだ。
青空の下。
鳥達と自由に戯れる彼女は、とても幸せそうに笑っていたのだから。
前王陛下に拾われてから、二心なくルーチェ一族に尽くしてきた俺が初めて吐いた嘘。
その代償は高くつくかもしれない。
しかし彼女の笑みや馬鹿弟子を想えば、後悔はない。
女性は愛でるもんだと俺に教えたあんたなら、許してくれるだろう?
前王陛下。
「マリーを同行させるから、女性騎士も何人か連れて行きたいな。見繕ってくれるかい」
「畏まりました」
マリーの不参加など考えもしないルクト殿下達の姿に、今は亡き前王陛下に心の中で語りかけながら、俺は会議の行く末を見守ったのだった。




